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ザビ神父の証言
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ザビ神父の証言

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2011年11月30日 楽天プロフィール Add to Google XML

ナイチンゲールの世界 (53)
[ 女性史 ]    

ナイチンゲールの世界 (53)

最後に、ナイチンゲールの生きた時代を振り返りながら、彼女の功績を整理したいと思います。

19世紀前半の病院は、医療の中心現場ではなく、救貧院に併置された、病気の貧民を収容し、隔離する施設でした。そしてそこで働く看護婦は、病人の世話をする単なる召使として扱われ、専門知識など必要がない卑しい職業とみなされていました。

ナイチンゲールは、この現実を憂慮し、病院内の衛生事情の改善に尽くし、かつまた専門的教育を施した看護婦の必要性を声高に主張し、その実現を目指しました。

ナイチンゲールが看護婦としての仕事もしたのは、看護婦の仕事を学ぶ見習いの時間を除くと、そう長い期間ではなく、実際に戦地の病院で負傷兵達に奉仕した2年間に、数ヶ月が加わるだけでした。

帰国後の彼女は、公衆衛生学と統計学を武器に、兵舎や病院、貧民窟などの環境改善に取り組み、広く社会環境を改善することを目指しました。そういう彼女の武器となったのが、統計学と数学の知識を駆使したグラフの作成でした。

ですから、クリミアでの活動以降の彼女は、統計学者として知られた存在となったのです。そして彼女は、近代看護教育の生みの親でもありました。
                                続く

最終更新日  2011年11月30日 21時35分53秒
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続 大韓航空機爆破事件
[ 国際関係 ]    

続 大韓航空機爆破事件

爆破犯逮捕のいきさつ

爆破犯金賢姫の逮捕には、日本の警察と外務省の連係プレイがありました。それは、重信房子らの日本赤軍の行動に対する警戒から培われたものでした。そのイキサツを記します。

事件が爆破によるものと分かってから、バグダッドで搭乗して、爆発前の同機の唯一の経由地だったアブダビ空港で降りた乗客全員が、調べの対象になりました。降りた客は全部で15人でした。中で不審と思われる客は、親子と名乗っていた男女だけでした。

2人は日本の旅券を持っており、事件の翌日バーレーンに入り、マナマのホテルに宿泊していました。韓国もこの「日本国旅券」を持つ2人の男女が事件に関与しているとの疑いを強め、バーレーンの代理大使が2人に接触しています。

日本では、事件の直前に日本赤軍の丸岡修が東京で逮捕されていました。丸岡は、翌年に迫ったソウルオリンピックの妨害工作のために、ソウル行きを計画していたことが明らかにされたため、日本も韓国も、爆破には中東を本拠地とする日本赤軍が関与しているとの疑いを共有していたのです。

そのため韓国当局は、ただちに情報を日本側にも伝えました。日本政府も「日本人による反韓テロ事件」を懸念していました。日本の旅券を持つ2人について、日本側も動いていました。在バーレーン日本大使館は入国記録を調べ、航空券に英文の「姓」が抜けていることに気付きます。日本人であればまずあり得ないことでしたから、2人の旅券番号を本国に照会したところ、女性の旅券番号が徳島市在住の実在の男性に交付されたパスポートと同一であることが判明し、偽造旅券でであることが確定したのです。

翌日2人は、バーレーン空港からローマ行きの飛行機に乗ろうとしていたところを、駆けつけた日本大使館員と、日本側が協力を依頼したバーレーン警察の手によって、出国を押し留められました。そして、日本大使館には身柄拘束権がありませんから、同国の入管管理局にも立ち会ってもらって、2人の身柄をバーレーン警察に引き渡したのです。

空港内で事情聴取をしようとした時、男は煙草を吸うふりをして、用意していたカプセル入り薬物で服毒自殺した。同伴の女性金賢姫も自殺を図ったのですが、こちらは一命を取りとめました。 彼女の口から、「北朝鮮」の犯行が明らかになるのは、それから半月ほど後のことです。

事件は日本赤軍の犯行ではなかったのですが、当初はその可能性も疑われたのですから、事件発生当初は、日本政府も相当緊張したでしょうね。




最終更新日  2011年11月30日 11時28分02秒
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立川基地全面返還 30日の日記
[ 日本の政治と政治史 ]    

クロニクル 立川基地返還

1977(昭和52)年11月30日

あれから34年になるのですね。この日、米軍の立川基地が接収から32年3ヶ月振りに全面的に
日本側に返還されました。

基地内に多くの土地を持つ立飛企業や昭和飛行機といった上場企業の株は、基地返還が噂されるたびに、思惑的に買われ、この時期も高値にありましたが、現実に返還の日を迎えると、見事に材料出尽しで安くなりました。

立川基地に続き、横田や朝霞の基地も縮小、返還されて行くのですが、神奈川県の厚木基地は、市街地に隣接しているにもかかわらず、夜間の離着陸訓練が繰り返されるなど、住民感情を刺激する事態が続いています。日本政府の米国と米軍に対する弱腰のなせる業です。

この現実を見るにつけ、72年に核抜き本土並みの歌い文句で、祖国復帰を果したにもかかわらず、相変わらず基地の大波の中に、住民の居住地が存在するが如き状況に置かれている、沖縄の皆さんの思いはいかばかりかと、思わずにはいられません。普天間返還問題ひとつ、13年たっていまだに決着できないとは呆れます。
                            、

最終更新日  2011年11月30日 02時39分45秒
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