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神々のパラドックス

「神々のパラドックス」 薄井ゆうじ著 講談社

久しぶりの小説。

でも、この小説をジャンル分けするとなにになるのだろう。
もともとSFが好きで、その延長としてファンタジーノベルがあって、一時期よく読んだものだが、これもそのファンタジーに近いものがある。

本の装丁にある「最先端科学は”人間”を救えるか!」に惹かれて読んでみたが、初めの予想は、「リング」や「らせん」、「パラサイトイブ」などと共通したものかな、と思っていたが、少し違った。

これは短編集で、表題の「神々のパラドックス」というのは、収められている7編の短編の最後の作品名。

それぞれの短編が「遺伝子工学」「考古学」「天文」「建築」「ナノテク」「細胞の冷凍保存」「環境」などの分野の先端の業績を素材に、民話などと結びつけながら一つのテーマを構成している。

先端、と言っても、いやだからこそかもしれないが、この本の出版は1996年末であり、その初出は95年から96年初めにかけてなので、10年近く前の先端知識がもとになっているため、今となってはやや色あせてしまっているものもある。なにしろ、先端分野は日進月歩どころか、下手をすると秒進分歩なのだから。

これは、この種の題材を扱う場合、ある程度仕方がないのだろうが、読んでいて、そういった部分が出てくると、最新の知見では、こんな書き方はできないだろうな、と思ってしまい、小説の中身にすんなり溶け込めない。

でもそういったことを考慮しても人間そのものを見つめるテーマがなくなるわけではなく、それはそれで楽しめた。

あとから著者のあとがきを見てみると、ある程度、上述の感想が裏付けられた。

曰く、「僕は自分の書く小説をノンジャンル、あるいは境界のない小説だとしている」

「世界のあらゆる先端がノンジャンルになりつつあり、、」「科学も宗教も芸術も、臆せずその境界や壁を取り壊すべきではないだろうか」

とある。

小説の「ノンジャンル」と、先端科学が神を見出し始め、宗教、思想、と科学の境界がなくなりつつあると言う意味での「ノンジャンル」とはぜんぜん異なることだけれど、なんとなく言っていることはわかる。

「科学者も宗教家も芸術家も壁を越えて自由に出入りすればいいのではないか」

「異分野への散歩が済んだらまた透明な壁の中に戻ってそれぞれの仕事に没頭するのだ」

今世界は、巨大化するグローバル経済と、加速してゆく科学技術の進歩、そして物質文明の宿命である、際限のない欲望の増大の中で、人間が人間自身を見失い始めている気がする。

僕自身は、21世紀は精神の時代だと思っているし、そうならなければ、ひょっとすると現人類の文明は長くはないのではないか、と危惧している。

最後の短編「神々のパラドクス」の中に、「バイオスフィア」というのがでてくる。簡単に言えば、とじた世界の中で、食物連鎖やエネルギーの交換、代謝が完結し、その中での生態系が維持されている環境を指している。

そこにこんな会話が出てくる。

「この地球だ。それ(地球)をここのスタッフは”バイオスフィア1”と呼んでいる。地球もまた閉ざされた限りある貴重な実験場なんだ。」

もちろんこのこと自体は、いまではありふれた環境エコロジーのベースとなる考え方だが、この小説の中で読むと、もう一つの疑念が頭をもたげる。

それは「実験場」と言う言葉からくる。つまり、人間が研究のために作り出した人口環境としての「バイオスフィア」に対比して、この地球も「実験場なんだ」と言う考え方。

だれの実験場か。それは神に他ならない。

ここを読んで、ふと今世紀最高の体脱能力者として知られるロバートモンロー氏の著書「魂の対外旅行」に出てくる一説を思い出した。

それはこんな内容だった。

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「夕暮れ。ガーンジー種の乳牛は餌を求めて牧草地を何マイルも歩き回っていた。ここには牧草が今ではたくさん生えているが、乳牛はそれがどうしてなのか頓着しなかった。道の向こう側の門を通り抜ける代わりに、「彼」の指示するまま穏やかにこちらの門の方を通り抜けてきたのだ。乳牛は気がつかなかったけれど、「彼」は乳牛にはここの方が良い草が見つかることがわかっていたので、この乳牛をこちらに移動させたのだ。乳牛は「彼」に指示されたことをしたまでだった。

 だが、夕暮れになったので、また時間が来てしまった。「彼」の家へ行かなければならない。乳牛は自分の体の下側につつかれたような痛みを感じるので、いかなければならないことが分かるのだ。岡の上の「彼」の家は涼しく、食べるものがある。そして「彼」は痛みをとってくれる。

 ガーンジー乳牛は丘を登り、「彼」の家の脇で待つ。じきに門が開いて彼の家にある自分の場所に歩いて入り、「彼」が自分の前においてくれる草を食べる。食べている間に「彼」は痛みを解いてくれる。そうすると朝まで大丈夫だ。

 その後、その「男」は丸い容器に入った白い水を持って出て行く。ガーンジー乳牛には「彼」がどこでその白い水を得たか、どうして「彼」がそれを欲するのかわからない。

わからなくても乳牛は別にかまわない。」

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これは、モンロー氏が体脱中に遭遇した知性体から得た人類史の象徴であった。

 


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