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カテゴリ:スピリチュアル
嘉納治五郎(かのうじごろう)が好んで書いた座右の銘ともいうべき言葉だそうである。 これは「力で必達する」というような意味ではなく、「努めれば必ず達する」という意味で、努力しさえすれば、何事も達成できる、という意味の言葉である。 確かに、あの文明開化の時代に世の中の趨勢に逆らって、高等教育を受けた前途有望な若者が、すたれつつある古武道の再生に、自らの生涯をかけることに、かなり周囲の反対や妨害があったらしい。 しかし彼は、日本の良さを残す、という使命感で、それまでの伝統的な古武道を研究し、それを統合する形で柔道の礎を築いた。 その道程を見てみると、よく言われる「古きをたずね、新しきを知る」という言葉そのままに、伝統のよいところ、そしてそれが形骸化している部分とを分け、守るべき伝統と、それを発展させるために多くの新しい取り組みを行っている。 振り返って、現行の宗教を考えると、このすたれゆく古武道に似ていなくもない。 伝統と形にこだわり、本来の宗教としての使命がともするとおろそかになり、何よりも自分の殻に閉じこもる閉鎖性と、発展への素直な取り組みの欠如が見受けられる。 何も全て新しいものがよい、ということは言えないにしても、改めるべきは改める柔軟性と、新しい考え方、あるいは異種の考え方に対する開かれた態度がなければ、すたれていった古武道と同様な道をたどるだろう。 そこに、時代に合わせた、そして価値観や環境の変化に伴った取り組みが必要なのではないか、と思える。 いつの時代にも生きることに悩み、人生の意義を求めている人は多い。 残念ながら今の宗教は、悩んでいる人に救いをもたらす、という個人的な恵みをもつ場合もあるが、それが一般化することは絶対にない、と思える。 加納治五郎の日本の良さと伝統の保持と、それを実現するための柔道に対する考えと取り組みに、そこに対する大きなヒントがあるように思えてならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.07 06:38:27
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