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長野県阿智村に、引揚者の姿を描いた大画像が展示されている様子を、先日TVで見た。 身一つで命からがら辿り着いた悲惨さが伝わってきた。 日露戦争の時代から120年も経過しているというのに、本性は昔から一つも変わっていない。 ますます程度が悪くなって、ウクライナなどではやりたい放題である。
大東亜戦争の終了時の、武装解除して投降していた日本軍将兵や民間人を、不可侵条約を一方的に破棄して侵攻したロシアはこれを不当に捕虜としてシベリアなどに連行し長期にわたる抑留生活と食事も満足に支給しない奴隷的強制労働に従事させたのは、ロシアであった。ソ連軍に占領された満州、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島で戦後にかけて抑留された日本人は約57万5千人に上る。厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万8千人が死亡した。 このソ連の蛮行は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言を無視したものであった。ソ連の継承国であるロシア連邦のエリツィン大統領は1993年10月に来日した際、「非人間的な行為」として謝罪の意を表したが、ロシア側は、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないとしている。ロシアがよくやる嘘と言い逃れである。ソ連政府は日本政府による安否確認や帰国の意向調査を妨害し続けたのが事実であり、今もって日本は歴史を改竄しようとしていると宣伝している。 幼年期であろうと女性は男装して逃亡生活せざるをえず、ようやく引揚船に乗れたのだという苦労話は、語ることさえされずに伏せられてしまったが、忘れていいことではあるまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.04.04 12:25:03
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