テーマ:ブランドシティ奈良(51)
カテゴリ:「ならまち」を考える
旧世尊院の盆藤展は、3日まで開催中ですが、こっちの藤もしっかりと咲いています。 こちらの場所は、奈良町の東城戸町「大国主命神社」です。左の屋根が、大国さんの拝殿で、お参りする時はこの藤棚の下に立つような形になります。この場所を外から見るとこういう感じです。奈良町の景観形成地区に指定され、数年前には奈良市の補助を受けて門や塀などが改修整備されました。道を挟んだ向い側には、ぶと饅頭の満々堂さんが所有する美しい町家もあります。
敷地の中はこういう風になっています。 藤棚の左手と奥とが、町の「会所」で右手が大国さんの拝殿(その右手で見えないのが本殿)です。拝殿手前の木は50年ほど前に植えられた桜ですが、先日まで満開で塀の外にもたくさんの花びらが舞い落ちていました。春日講などの行事は、現在、奥の会所で行われていますが、左の棟は町内会の会所としてはかなり広いものです。 椿井小学校の前身の一つ「嚶鳴舎」がここにありました。 明治5年から6年にかけて、奈良市内でもあちこちに小さな学校が開設されました。その一つがここにあった嚶鳴舎でした。開化天皇陵に隣接する漢国町の「山の寺」(念仏寺)に設置されていた陶化舎と統合されて、現在の椿井小学校の前身となりました。 この広い敷地は、もともとこの地にあった「奈良晒」の大きな商家のもので、現在「柴田寝具店」となっている四つ角からここまでが一つの敷地であったと言います。移転の際に「家運隆盛は大国さまのおかげであった」として、町内一同が引き続いて大国さんをお祭りすることを条件として、その敷地を町有のものとして寄贈されたのだということです。 現在は住人がいないため、行事などの時以外は鍵が閉まっていて入ることができません。ただ、最近水曜日の午後には先生が来られて書道教室を開いておられます。子どもたちの学舎としての復活も期待したいところです。
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Last updated
2013.05.26 12:26:40
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