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地球人として生きる

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Republic of Iraq

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2006年ドバイ訪問時。

最初に断っておきますが、これは私自身の体験ではありません。 2005年夏、ジンバブエからドバイへ移住した私の友人(ジンバブエ出身の白人)の体験談です。先日ドバイへ出張した際、彼から聞かされた話がとても興味深かったので記録しておくことにしました。

2005年夏ごろ、彼は生まれ育ったジンバブエから家族と共にドバイへ移住し、通信関連の会社を設立しました。 彼が移住してから何度か短いメールをやりとりしましたが、なんとか元気でやっているという感じでした。 そのうち私もドバイでの仕事をつくったので出張ついでに久しぶりに会おうと思いメールを送ってみました。 でもちょうどその時彼も出張の予定が入っていたので会うことができず、それから数ヶ月後またドバイへ行く機会を得たので今度こそとメールを出してみたのですが今度はイラクへ出張する予定だと返事が返ってきました。

「い、いらくぅ?」

まだ彼の詳細日程が決定していなかったので私が出発する直前に再度連絡を入れることにしました。 しかし今度は彼から返事が帰ってこない。 まさか既にイラクへ旅立ったのではと彼の事務所に電話を入れてみました。 取り次いだ女性は彼の奥さんでした。 案の定彼はイラクへ行ってしまった後で、いつ帰ってくるのかはっきり分からないということでした。 なんでも現地のアメリカ軍の基地内でワイアレスインターネットのアクセスポイントを設置する仕事をもらったそうです。 基地内ならまだ少しは安全が保障されているのでしょうがそれにしてもイラクですよ。 普通そんなところの仕事は請けないでしょ? 

彼の奥さんとは以前ジンバブエで会ったこともあるのでお互い懐かしく、しばらく会話を楽しみました。 しかし彼女はすごい。 いつ夫が帰ってくるかわからないのに「まぁ大丈夫でしょう」とあっけらかんとしている。 結局今回もすれ違いとなりましたが8月に今年3回目のドバイ出張を入れ、このときにようやく彼と会うことができました。

ホテルのバーに現れた彼は以前よりかなり垢抜けた感じ。 ドバイへ来てから今までの話を一通り聞かせてもらいました。 故郷に何もかも棄てて来たようなものなので苦労は多いようですが、気持ちは晴れ渡っている感じ。 仕事は順調で希望に満ちている様子。 そしてイラクの話が始まりました。


イラクまでは行くだけなら実に簡単に行くことができるんだよ。 ドバイにはイラク航空が就航しておりバグダッドまで直行。 ちょっと違うのは、バグダッド空港への着陸は、地上からゲリラ攻撃を受けにくいよう急降下で行なわれるところ。 古い機体がきしみ実に恐ろしい。着陸後は米軍のチョッパーが待機しており、すぐに乗り換え。 すると兵士の一人が「敵が地上から撃ってくるかもしれない。 その時はこれで応戦しろ!」とマシンガンを渡さてしまいびっくりした! 必死で「俺は民間人だ! 銃なんて今まで撃った事ないし、撃ち方も知らない。 勘弁してくれ!!」と逃げる。 やっとの思いで銃を返したところでチョッパーが離陸。 敵の攻撃を警戒して地上スレスレの高度でジグザグに飛ぶ。 ゲロが出そうになったよ。  

しばらくしてGreen Zoneと呼ばれる米軍基地の内部に到着した。 ここは安全なところでさすがに銃を持てとは言われなかった。 ただ、基地内にはマッチョな米兵がただならぬ雰囲気でいたるところ闊歩していてみんな機関銃を担いでいる。 なんなんだここは・・・! 戦争の中を生きていると人はこうなってしまうのか。 おかしいよ、完全に狂っている!

そんな環境のなか設置工事の仕事自体はスムーズに進んでくれた。 ここは敵が攻めてくるような場所ではないし、目の前で戦闘も行なわれることはなかった。 それでも戦場の真っ只中にいるということには変わりはなく、工事の工程も「だいたいこの週までに完了?」といった感じではっきりしない。 ここでは確定した未来の出来事など無いんだよ。 家に帰れる日も直前までわからないという有様。 まぁ仕方ないと割り切って来たけどね。

ある日のこと、2階の屋根にアンテナを設置する工事をしていた。 屋根に上がるため長い梯子を立てかけて作業していたのだが、部品が足りないことに気づき、いったん下に下りなければならなくなった。 窓の横を梯子をつたっておりるのだが、窓から部屋の中が見えて、中にはコーヒーを持った兵隊たちがタバコを吸いながら談笑していた。 しばらくして部品を持ってまた同じ窓の横に差し掛かった時のことだ、部屋の中の様子がおかしい。 あれ? え?窓に穴が開いている??。 もしかして、ここに弾が当たったとか?? え、狙撃?どこから???

ここは外部から完全に遮断されたエリアでどこからか狙撃されるようなことは無い筈。 とするとどこからかの流れ弾か? もしくは誰かの銃が暴発したのか? いずれにせよ自分は被弾した窓のすぐ横を往復していたんだ。 ちょっとタイミングが悪ければ・・・。 思わず身震いしてしまった。 銃の弾が飛んできたのはこのときだけだけどね。

そしてようやく設置工事全ての工程が終了した。 全部で22日かかった。 これでやっと家に帰れる。 帰りも来たときと同じようにチョッパーに乗せられてバグダッドへ向かった。 米英占領当局はフセイン元大統領の宮殿に本部を構えているため少しだが宮殿内部を窺うことができたよ。 しかしここで問題が。

米軍係官「出国VISAを見せてください」
「?何ですかそれ?」
係官「出国VISAですよ、VISA」
「??そんなの知らないですよ??」
係官「知らない? 出国VISAがないと出国できませんが」
「???聞いてないですよ、そんなこと???」
係官「VISAをもらって出直して来てください」

ということで基地へ戻らなければならない羽目に。 しかし今度は自力で行かなければならないためチョッパーなんかに乗せてもらえない。 仕方なく基地へ向かう米軍車両に同乗することに。。。 どこで爆弾が爆発するかわからない陸路での移動。 はっきり言って恐怖だよ。 

それにしても米軍車両の移動というのは大名行列さながらであったねぇ。 近づくものは容赦なく発砲することになっているんだ。 なので米軍車両が近づいてくると皆逃げるように避けるんだ。 たまに民間の車両が米軍に攻撃されて一般の人たちが犠牲になったという話を聞くが、これは多分米軍車両に気がつかずうっかり近づいてしまった人たちが銃撃されてしまったものだろうね。 軍としてはこれは仕方のないこととされているようで、このような事件が起こっても軍法会議が開かれたという話は聞いたことがない。

多分多くのイラク人はこんな米軍に対していまいましいと思っているに違いない。 俺はまさにその状況を体験し、米軍と一緒に移動していたのだが、なんと運が悪いことに途中で車が故障し立ち往生してしまったのだ! しかも気温は摂氏50度。 こんな状況で攻撃されたらどうなるのだろう。 全く最悪だ。

しかし運良く別の車列が通りがかり無事基地まで引き返すことができた。 早速出国VISAの申請に行く。 無愛想な係官はパスポートを取り上げ翌日まで預かるとのこと。 本当に帰ってくるのだろうか。 
眠れぬ一夜を過ごしたが翌朝パスポートは帰ってきた。 VISAを取得することができたのだ。 また米軍車両に乗せてもらう。 今度はトラブル無くバグダッドまで帰ってくることができた。

帰りはヨルダン経由だった。 離陸は地上からの攻撃をかわすため急上昇する。 機体がビリビリ音を立てて怖い怖い。 空中分解の恐怖と地上からのミサイル攻撃の両方におびえながらなんとかイラクを後にすることができた。 やれやれだったよ。


こんな具合に彼は22日間のイラク体験を語ってくれた。
さてこの仕事で彼は一体いくら稼ぐことができたのか。 20日あまり現地で過ごしたが日当は2,500ドル。 かなりの額を稼いだことになりますね。 彼の会社は設立して以来少々キャッシュフローがきつい状態が続いていたそうですが、この収入のお陰で会社は安泰。 今となっては良い思い出だと笑っています。

そんな彼にまた別のオファーが来ているそうです。
彼「次はアフガニスタンに行って見ないかって言われてるんだ」
私「おい、まさか・・・?」
彼「う~ん、よく考えてみるよ」
爽やかな笑顔でした。


~後日談~

2007年1月にドバイへ行った際、彼の家で夕食に招待されました。
あの後本当にアフガニスタンへ行ったのかどうか聞いてみたが、さすがに奥様に反対されて断念したそうです(当たり前でしょ!)。
イラクの体験は今ではいい思い出になっているそうです。 結構怖い思いはしたものの結局無事だったし、少し時間が経つとこんなもんなんでしょうかね。




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