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地球人として生きる

地球人として生きる

Soweto, South Africa



Soweto, South Africa







アパルトヘイト時代の暮らしを今なおうかがい知ることができるところ、Sowetoへ行って来ました。 南ア在住の白人もあまり行ったことのないところで、ガイドと同行しないとまず無事に出てくることはできないところです。 ここの歴史を簡単に紹介します。 




<初期>

Sowetoの歴史のはじまりは、Johannesburgの始まりと同様に1886年の金の発見に遡ります。 世界中から何千何万という人たちが金の採掘労働者としてJohannesburgに集まってきた結果、4年も経たないうちにJohannesburgは南アで2番目に大きな都市にまで成長しました。 Gold Rushです。 過半数は黒人であり、そのほとんどが金鉱山の近くにあるスラム街に住んでいました。 そしてここは様々な人種の坩堝でした。 金の採掘量が増えるにつれ労働者の数も増えていきました。 その結果海外から移住してきた労働者も増加し、こういった人は鉱山の中の集合住宅に暮らしていた。 しかしながら他の労働者たちは自分たちで住むところを確保せねばならず、中にはひどい状況で暮らさざるを得なかった人たちもたくさんいたようです。

現在Sowetoとして知られている居住地は1904年にKlipspruitと呼ばれるところから始まりました。 これはそけい線ペストの流行の結果Johannesburgの中心部にあった“Coolietown”を隔離したのがきっかけです。 Johannesburg評議会はこのときより人種隔離政策をとるようになりました。 ある住人は現在のSandtonの近くにあったAlexandraスラムへと移住させられます。 インド人やカラード(混血)と呼ばれる人たちは土地所有権を認めらましたが後にアパルトヘイト政権によって覆されることになります。 黒人だけがKlipspruitに強制移住させられ、住居は賃貸でしか住めませんでした。 Klinspruitは後にPimvilleと改名されました。

1930年代は、Johannesburgに移住した大家族を持つ黒人たちの住居が不足したため(最初の行政官の名前にちなんだ)Orlandに新たな住居が建設されました。

1940年代は、James Mpanzaがホームレスの人たちを率い、Orlando近郊に約20,000世帯の不法占拠を実施。 James Mpanzaは”Father of Soweto”として知られています。

1959年、Sophiatownの住人たちはSowetoから強制的にMeadowlandsと言われる土地に移動させられることになりました。 


Soweto



今日、SowetoはGauteng州のJohannesburg Metro Councilの自治体となっています。 
従来よりのレンタルハウスは、国の助成を受けた借家人に販売されています。 1980年代より銀行が資金を拠出し、一般の不動産会社による不動産売買も開始されました。 土地の自由保有権も認められています。

SowetoはSouth West Townshipsのそれぞれ最初の2文字から作られた名前です。

Soweto



<Sowetoデータ>

人口は公式には150万人とされていますが、実際はもっと多いようです。 政府発表の人口はSowetoを含むJohannesburg近郊全体で280万人とされていますが、Johannesburg Tourist Companyは330万人と見積もっています。
Sowetoは東西約16km、南北は4~9kmで全体面積が120平方キロメートル内に点在する34地区から成り、西側と北側部分の開発が進んでいます。 今日93%の世帯に電力が供給されています。 残りの7%はSquatterと呼ばれており、電線より電気を盗んで生活しているのが実態です。

多くの世帯が未だに数十年前に海外よりやってきた労働者向けに建てられた悪名高いバラックのような住居に住んでいます。 これらの住居は男性のみが居住することが前提に寮のように設計されています。
多くのSquatterや違法居住者がまだまだ存在しており、政府の支援をほとんど受けることができない状況です。 

Soweto


平均所得は日本円で月2万7千円程度と考えられますが、貧富の差が激しく所得のバラツキが大きいとされています。 
失業率は公式には50%とされていますが、多くの者はSelf Employedです。 

Sowetoには小学校が260、中学校が65ありますが、多くの子供たちはバスでJohannesburg郊外の水準の高い学校へ通っています。 Gauteng州の教育省は各校のレベルの統一化を進めています。 スラム街にある学校の授業料は月あたり1400円~1800円ですが、郊外の公立学校では18万円にものぼります。 大学も1校存在しています(Vista university)。

医療サービスはBaragwanath Chris Hani Hospitalとその診療所によって供給されています。 “Bara”という病院が第二次大戦時に軍用病院として設立され、現在アフリカ及び南半球で最大の病院となっています。 ベッド数は3,000で148,000の病室があり、200万人の外来患者を受け入れています。 毎年35,000人の赤ちゃんが産まれ、30以上ある手術室では年間42,000のオペが行なわれています。 スタッフ数は11,000人以上とされています。

SowetoはJohannesburgに鉄道でつながっています。 しかしながら殆どの人々は安いコンビタクシーを使っています。 Baraのタクシー乗り場は世界で最も大きく、利用者の多い乗り場の一つとされています。 

Sowetoで訪問すべき場所は、Mandela House Museum、The Hector Pieterson Museum、Regina Mundi Church、Walter Sisulu Square of Dedication、Baragwanath Hospital他様々な居住区も含まれます。

Sowetoは昔のみじめなスラム街と新たな繁栄の間に見られる南アフリカのシンボルのようなものです。 アパルトヘイト時代の傷跡を今に生々しく伝えつつ新たな南アフリカの可能性も表しているのです。




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