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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() The Three Georges の追っかけの、うるとびーずさんのHPも必見です。 http://plaza.rakuten.co.jp/3georges/ ネオアコ主婦(主夫)同盟 This site owned by KYONTAN [ prev| next | random | list] ![]() ![]() 穴沢ジョージの日記 [全328件]
“The First Noel” Ella Fitzgerald (1967) 早いもので、久々の京都旅行から二月がすぎて、もうクリスマスです。 先週は土日にライブが2つあって、ちょっと疲れましたが、去年の今頃のどうにもならない疲れ具合とは違って、ゆっくり眠ればかなり治まって、ある意味で以前のような疲れ方に戻ったかに思われます。 去年・一昨年は、夜疲れて床に就いても2~3時間で目が覚めて、再び寝付くのにも時間がかかるような状態でした。たとえば車の運転も、ちょっとハンドル握っただけで疲れちゃうんで、なかなかできませんでしたが、今では片道1時間ぐらいなら、そのあと少し休めば、帰りの運転も大丈夫です。 クリスマスの朝にしみじみ思うのは、現代医学のおかげでこうして生き延びているありがたさです。 さて、クリスマスとは全く無関係ですが、前回に続いて高校の修学旅行での一・二番を争おうかというもう一つの強烈な思い出です。それは、あの便利で懐かしい市電が、縦横に走っていた京都の街での体験です。 自由行動の時間に、友人二人と一緒にレコード屋でも探そうかということになり、とりあえずジーパン屋見たりしながら適当に歩いていたら、いつのまにかかなりの距離を移動していて、広い通りだったのに人通りが少なくなってしまった。 お目当てのレコード屋もなかなか見つからないし、友人Aはジーパン買って目的は達成し、あとは市電に乗って早く宿に戻りたいのだけど、辺りはすでに暗くなっていて、ようするに京都駅への道はこれで良いのか自信がなくなってしまったのだ。 それでも、まあとりあえずはそのまましばらく行こうと歩いていると、そんな所に小学校高学年ぐらいの男の子が自転車に乗って通りかかったので、呼び止めて、市電の駅までの道を尋ねた。 少年、お易い御用とばかりに、当然京都弁で「ここまっすぐずーっといって、どんつきあたったらみぎにまがるねん」ですと。言った言葉を一字一句覚えているわけではないけれど、たぶんこんな風だった。 僕らはなるほどそうか、この道をまっすぐ行って、突当たりを右折するんだなと、とりあえず了解したけれど、念のためもう一度確かめても、少年は「どんつきみぎやねん」と。 僕は「どんつき」とはおもしろい表現だなあ、「まっすぐ行ってドーンと突き当たったら」というところを、たった一言で済ませちゃうんだなあだと思ったんですが、友人Bは、「どんつき」が何のことかはわからないけど、そいつがあるから右に曲がるんじゃないかと言う。 まあ、いずれにせよ、とりあえず方角は合っていたようだし、このまま行ってみようとしばらく歩くと、道は確かにその先で突き当たりになっていて、つまり大きな三角で、そこを右に曲がるというわけです。まあ、だいたい予想通りだったわけですね。 で、突き当たりの店の看板が視界に入った次の瞬間、…、な・なんと!こういうことだったのか!と、三人ともほぼ同時に大声を上げてしまった。 そこには、いくら看板でもこれは大きすぎるのではないかと思われるほど大きな四文字が…。 もちろん『ドンツキ』です。 もしかすると平仮名だったかなという気もしますが、いや、たしかカタカナで『ドンツキ』だったと思います。 あれは何の店だったんだろう。カタカナだったかどうかも含めて、五寅さんか夢子姐さんなら知ってるかもしれないなあ。うん、あとできっと教えてくれるでしょう。 あと、この『ドンツキ』は固有名詞ですけど、やはり「つきあたり」の意味で「どんつき」という言葉を使うところから来ているんでしょうね。あるかどうか知りませんが、スナック『曲がり角』とか、喫茶『分かれ道』みたいな、そういう感じなんですが、とにかく響きがもっと直接的というか、力強さを感じます。 いずれにせよ、『ドンツキ』の印象は相当強烈でした。数々の名所旧跡を退けて、京都の思い出第2位ですからね。けど、もし当時に戻って今みたいなこと作文に書いたりしたら、先生にどやされそうです。本来の目的からは遥かに逸脱してしまってますからね。 でも、楽しい思い出としてこれほど鮮明に記憶していているのだから、自由行動の意味の大きさも含めて、あの時の京都・奈良行きの修学旅行には感謝している。 ********************** 今年は早くからクリスマスソングを聴きすぎて、12月に入ってからはほとんど聴いていませんでした。さすがに今日あたりは聴こうかと思っているところに、妻に賛美歌のCDをリクエストされたんです。クリスマス当日は、やはり賛美歌がふさわしいのは自覚しておりますので、とっさに、「ここはエラ・フィッツジェラルドの名盤がいいな、手元になかったので部屋に取りに行こう。その前に、ブルースの寄せ集めクリスマス盤が手元にあるから、つなぎでかけておこう」と、プレイボタンを押したらいきなり耳に飛び込んだのが、 ♪ It's Christmas morning and 6 a.m. ・・・ ですって。「何だ?僕の今朝の起床時刻そのままではないか!」 Chick Willis (チック・ウィリス) という人の “(All I Want for Christmas Is to) Lay around and Love on You クリスマスを君と” という曲ですが、まだちゃんと聴いていなかったCDなので、こんな歌詞だったのかと何だか嬉しくなってしまいました。 で、現在はエラ・フィッツジェラルドとエヴァリー・ブラザースのクリスマスアルバム (どちらもほとんど賛美歌です) を聴きながら、書いております。 チック・ウィリスの『クリスマスを君と』 エラ・フィッツジェラルドの『まきびと羊を』 エヴァリー・ブラザースの『きよしこの夜』
10月のことですから、もうだいぶ経ちますけど、3泊4日で京都・大阪に行ってきました。 実に京都は大学時代に行ったのが最後だから、何年ぶりだろう。 京都のような町には1度住んでみたかったなあ。あと、神戸もね。何歳になっても憧れの町なのです。 病気が発覚してから約1年半になりますが、泊まりがけで旅ができるようになろうとは、思ってもいなかっただけに、ついうきうきとして、まるで修学旅行の高校生のような気分でしたよ。 あ、そうなんです。修学旅行といえば、僕が高校生の頃は、うちの辺りは皆ほとんど関西方面でした。奈良・京都ね。因に、小学校は日本海の海へ、中学では東京・鎌倉・江ノ島でした。今では小学生は静岡とか東京で、中学生が奈良・京都。高校生は沖縄ですからね。時代も変わったもんです。 で、今回は息子の大学受験の下見。もちろん息子同伴で (いやむしろ息子に連れられてというべきか)、私大の第1志望がとりあえず京都の大学なのを良いことに、学校をちょっと休ませて。ついでにあれこれ見たいなあと。つまり、これはむしろ僕の楽しみに付き合わせたようなものだわさ。 京都に着いた初日は、楽天仲間の五黄の寅さんに案内していただいて、私大の第1志望校へ。ここは五黄の寅さんの母校なのだから、彼に勝る案内人はおりません。しかも生粋の京都っ子!バスの窓から「この中学に通っていたんです。当時は1学年16クラスでしたよ」などという解説を聞けば、どんなバスガイドもこれは真似できまい。 しかし、いくらベビーブーマーの我々世代とはいえ、1学年16クラスはすごいなあ。当時はまだ都市の空洞化とかドーナツ化現象などは大してなかったでしょう、大都会の中学が規模が大きかったのは記憶していますが、うちの近くの県庁所在地のマンモス校でもせいぜい13クラスぐらいでしたからね。五黄の寅さんと僕は学年が同じなので、比較対象としては絶好のサンプルだと思います。僕の通っていた中途半端に都会の中学は、僕の学年が9クラスだった。これに対して16クラスは都会のど真ん中だったことが良くわかります。 しかし、あの頃は子供が多かったんだなあ。 などと考えたりしているうちに目的の大学に到着しました。 五黄の寅さんが通っていた頃に、理科系の学部と文科系の一部の学部が、市の中心部からこちらに移転して来たんですが、当時は建物も少なく、五黄の寅さんの言葉を借りれば「何も無かった」そうです。その後、理科系は隣県に出て行き、文科系のほとんどの学部のこちらへの移転が完了して、現在の姿になったとのことでした。 女子学生も多く、緑もたくさんあって、現代らしく明るいキャンパスは、かなり良い雰囲気でしたが、「当時は男ばっかだった」ということで、五黄の寅さんにはずいぶん隔世の感があったようです。 さて、今回の京都での話はここまで。 五黄の寅さん、本当にありがとうございました。 え?まだ1日目の最初じゃないかって? すいませんねえ、ついつい調子に乗って、書き始めちゃいましたが、何しろ3泊4日ですから、あまりに盛りだくさんで、いちいち書いていたらキリがありません。 それに、今日書くのはあの暗めの名曲 “Yesterdays” のことですので。 あ、誰ですか。ジョンの命日だけに今日はビートルズの超有名曲の話題だと思った人は。 タイトルを見て、おい、穴沢!“Yesterday” に “-s” が付いてるぞ。“などと、鋭い (けれど見当違いな) 指摘をしてくださった方もおありでしょうか。 けどね、こう言っては何ですが、僕がそのような間違いをすること自体がありえないでしょ。まあ、とりあえず読んでみてください。 ********************** ここでまた話は京都に戻ります。 僕が高校の修学旅行で初めて京都に行ったときの一番の思い出を。 聖護院の宿に泊まった翌朝、旅館のテレビで素晴らしい番組を見たのです。10分ほどの民放のつなぎ番組で、風景の画像を流しながら、音楽を聴かせるというやつ。今ならそんな手抜き番組はあまり無いですけどね。しかし、まだ民放のテレビ局が1つしか無いような田舎の高校生には、かっこいい歌が流れるだけで、十分素敵な番組だったんですよ。特に選曲が良いなあと、感動してしまいました。 そして、そのとき聴いたのが、何を隠そう “Yesterdays” だった。 暗い感じなのに、素敵な曲だなあ。京都は良いなあ、朝からテレビでこんな良い曲が聴けて。とか、思ったもんです。 歌っていたのはビリー・ホリデーだったと、なんとなく記憶していたのが、最近手に入れたダイナ・ショアの CD に入っていたのを聴いて、もしかするとこっちだったかと、自信がなくなってしまった。 この二人、歌い方も声の質も全然違うのに、曖昧な記憶というのは、たちが悪いなあ。どっちかわからなくなってしまった。でも、考えてみたら、こんなスタンダード曲なのだから当然ほかに何人も歌っているわけで、ビリー・ホリデーとダイナ・ショアの二人に限定するというのも、かえって無理があるのかもしれないなどと思うと、ますますわからなくなってくる。 で、とりあえずもう一度両者をじっくり聴き比べてみた。 声の感じはダイナ・ショアが近い気がする。バックの演奏は、あまり楽器の数の無いバンドだったように思うので、ビリー・ホリデーの方かなあ、やっぱ。けど、結局わかりません。 ただ、なんとなくビリー・ホリデーだったという記憶があるのは、ひょっとすると画面に曲名と一緒に歌手名も出たのかもしれませんね。曲名が出たのは鮮明に覚えているんですよ。 まあ、こんなことが修学旅行の一番の思い出ですから、二番目も変なやつだろうと思ったあなた! そのとおりです。 やはり京都の思い出です。けど、その話はまた今度。 “Yesterday” の前に “Yesterdays” があったのか。ポールは “Yesterdays” を意識していたのかなあ、なんてことが頭からなかなか離れない高校生の穴沢君でした。 今は、ジョン・レノンの在りし日を偲びながら、過ぎ去りし日々 (Yesterdays) に想いを馳せる老穴沢です。 ビリー・ホリデーの “Yesterdays”
“Sukiyaki” by Kyu Sakamoto 1963 (Originally hit in Japan 1961) この日記は、6月15日に書き始め、2日後に書き終えていたのだけど、結果的にアップできない内容が含まれていて、加筆訂正などで、今日になってしまいました。その辺り、よろしく。 妻に「あなたのふるさとってどこ?」っていう意味の質問をされ、しばし悩んでから、一番一人暮らしの長かった海辺の町だと答えた。が、待てよ、その湘南の町に移り住んだのが一浪して大学に入った年の秋で、もうすぐ二十歳だっから、生まれ育ったふるさとというにはあまりにも大きくなりすぎていて、本来の意味の「ふるさと」ではないなあと思いつつ、ほかに思い浮かばなかったのは、ようするに父親の転勤に合わせて引っ越しを繰り返していたからだろうか。 「ふるさと」を単純に「親元」と言い換えてしまえば、僕はたしかに、四十代半ばにして親のすぐ近く (クルマで20分ほどの山間部) に戻ったわけだが、ふるさとに帰ってきたという感覚がほぼまったくと言っていいほどなかった。父は、最後の赴任地に退職後家を建てたが、ここも住んだことがないところだったからか。 僕らのように、地方で高校を終えて都会に出て行くという人間は今でも相当数いるはずだが、皆「ふるさとを捨てた」り、「ふるさとに戻った」りというような意識を持っているのだろうか。僕にはそういった意識が潜在的に欠如しているようだ。簡単に言ってしまえば、僕の中に「自分自身のふるさと」というものが存在しないのだろう。 しかし、だからといって、「ふるさと」のある人がうらやましいとも思わないし、「生粋の○○っ子」みたいなものにも憧れたりすることもない。むしろ、自分のようなこういう中途半端な立場は、拘束感がなく、かえって居心地は良い。 もう少し言い換えれば、引っ越した先々がそれぞれ「ふるさと」のようなものでもあったわけで、中途半端ではあるけれど、いくつも「ふるさと」を持っていると言っても許されるだろうか。 何度か引っ越しをした中でも、小学5年生から中学卒業までの5年間は、とりわけ思い出深い。 それまでいた田舎に比べれば、小都市とは言っても遥かに都会で、駅前通りと呼ばれるにぎやかな商店街からちょっと入った路地裏の共同住宅に住んでいたので、様々な人間模様も見ることになるし、メンコぐらいしか知らなかったのにベーゴマも覚え、楽器にも目覚め、初めてテレビが我が家に来たり、ようするにここでの5年間はエキサイティングな出来事の連続だったと言えるかもしれない。思い出の数で言ったら、ほかの場所をさておいて、ダントツ1位だろう。 テレビといえば、6年生の時「夢で逢いましょう」が始まり、たちまち虜になった。中でも、永六輔・中村八大が毎月作る「今月の歌」は、それまでの歌謡曲とは全く違う新鮮で斬新な歌ばかりで、洋モノカヴァーが大好きだった僕でも、大いに楽しめた。 『上を向いて歩こう』は、この年(1961年)の秋10月・11月の「今月の歌」だった。坂本九は、『ステキなタイミング』や『カレンダーガール』なんかを歌っていて、まちがいなく僕のアイドルだったから、『上を向いて歩こう』もすぐに覚えた。子供心にも、ホントにいい歌だなあと思った。 で、『上を向いて歩こう』は文字通り爆発的ヒットとなり、テレビ・ラジオからは連日聞こえてきて、大人から子供まで、この曲を歌った。僕は間違いなくその年のレコード大賞は坂本九が取るのだと思って、楽しみにしていたのだけれど、なぜか全くヒットしていないフランク永井の『君恋し』に取られてしまった。それ以来、僕はレコード大賞を信じなくなったのだ。 今回の地震の後、サントリーのCMで『上を向いて歩こう』が使われたのは、皆さんも目にしたでしょうか。様々な歌手・タレントが次々に登場して、一節ずつ歌うスタイルが、モノクロの画面と相まって、なかなか秀逸な出来だと思いました。 上を向いて、涙はこらえて、みんなで復興に向けて、歩いて行こうというメッセージが伝わってきましたが、初めてこの歌を小学5年生の時に聴いて以来、僕はこの歌が失恋の歌だと解釈していたので、「なるほど、こういう使われ方もありか」と、感心してしまった。しかし、復興支援ソングとしては、やはり同時に使われた『見上げてごらん夜の星を』の方が、歌詞の内容からも、ぴったりでしたかね。 いずれにしても、『上を向いて歩こう』が、世界に認められた日本の歌として、これからもいろんな場面で歌い継がれて行くのは間違いなさそうだ。ですから、みなさん、できれば正しい歌詞を覚えましょうね。 ここで、タイトルの6月15日は、いったい何の日なのと思っている人も多いでしょうから、若干説明させていただきます。 時は1960年。僕が5年生になった年。「夢で逢いましょう」放送開始1年前。『上を向いて歩こう』の1年半前。引っ越してきた小都市でも、安保反対の機運は高まっていて (あるいは僕が勝手にそう思っていて)、運命の6月15日を迎えたのだ。 連日の国会を取り巻く圧倒的な数のデモにもかかわらず、強行採決された安保条約は覆らず、この日、ついに国会議事堂に突入したデモ隊に死者が出た。 これが、1960年6月15日。 しかし、今日のタイトルの6月15日は、この日ではなく、その3年後の6月15日だ。 1963年6月15日。日本の大衆音楽の歴史に画期的な出来事が。 なんと!アメリカのヒットチャートで、坂本九の『上を向いて歩こう』が1位になったのだ。このことは、すでに皆さんよくご存知のことですよね。でも、当時中2の僕は、この快挙に至るまでの経過、盛り上がりを体験し、素直にうれしくて、我がことのように喜んだのだ。あの『上を向いて歩こう』が、世界中で流行っていて、もうすぐ1位になるぞという、期待感も蘇ります。 この時期は、ラジオにかじりついて、いわゆる洋楽のヒットパレードを欠かさず聴いていた頃なので、レスリー・ゴーアの『涙のバースデーパーティー』に取って代わって、並みいるビッグネームを従えての堂々1位は、誇らしい朗報だった。レコード大賞は取れずとも、Cash Box と Billboard で1位ですよ、みなさん。もう何も言うことはありません。 ちなみに、この半年後、NHKの海外ニュースでビートルズを目撃するのだ。 振り返ってみれば、日本語訳ポップス、オリジナル英米ポップス、六八九すなわち永六輔・中村八大・坂本九、ビートルズ初期、モダンフォーク、フレンチ&イタリアンポップス。この日記にも再三書いてきたこれらのほとんどを、僕は、小学5年生から中学卒業までの5年間で聴いたわけだ。 さらに、上記の歴史的出来事のあった6月15日を、この5年間に2度体験しているのも、思い出の中身をさらに濃くしているのだろう。 話はちょっと戻るが、田舎からこの小都市に越して来て様々な変化があったわけだけれど、母がずいぶん生き生き延び延びとして、毎日が楽しそうだった。 それまで住んでいた所が、まわりじゅう農家ばかりだったせいか、ほとんど専業主婦の母は周囲の目から見ると、十分羨望の的だったのかもしれない。実際には、内職的に家で和裁の仕事はしていたし、冷蔵庫もなく、洗濯も手でしていたのだから、今の主婦のような余裕はなかったけれど。 田舎ではいろいろ嫌なこともあったようだが、引っ越して周りの人たちとの付き合い方が一変してからの母は、劇的に明るくなった。 特に共同住宅では、年齢的にも老人を除けば一番上だったせいもあり、若い夫婦の相談役になったり、子育て中の主婦にいろいろ教えたり、ようするに身の置き所があったのだ。さらに、編み機を買って、毛糸屋から編み物の仕事を請け負ったり、また、スーパー主婦ですっかり有名になった「友の会」に入ったのもこの時期だ。もちろん、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が手に入ったことでの解放感もあったと思うが、兄に言わせれば、「この頃家の中の雰囲気も変わった」というように、少し都会のこの町が、僕ら家族の性に合ったのだろう。 その母が、6月17日、入院中の病院で息を引き取った。94歳まであと二月ちょっとだった。最期まで頭がしっかりしていて、僕の身体のことを心配していた。当日は僕も治療の日で、死に目にはあえなかった。結局のところ、つくづく僕はどこまでも親不孝者だった。
“I Get the Blues When It Rains” by Sue Raney 1959 先週の金曜日のことですが、新鮮な冬菜 (ふゆな) を頂きました。 この辺では「ふゆな」と呼んでいますが、いわゆる「なばな」の系統のもので、小松菜系の冬菜 (ふゆな/とうな) とは別物です。 紛らわしいので、どう表記しましょうか。「ふゆな」とひらがな表記したらインパクトに欠けるというか、青菜の印象がなくなるしなあ。「ふゆ菜」もなんとなくしっくり来ません。まあ、とりあえず「冬菜」にしておきます。 やはり頂いた生パスタがあって、早く食べなくてはと思っていたので、ちょうど良かったです。生パスタって、いろいろあるんでしょうが、近頃スーパーなんかで見かけるようになった袋入りの生麺です。 スパゲッティーニ風って書いてあるけど、それほど細くは見えないなあ。広島のお好み焼きに入っているようなあの麺くらいの太さ。つまり普通のスパゲッティの太さですよね。 固まりで買ってあったベーコンを使って、ひと月ほど前に作った『ほうれん草とベーコンのパスタ』をちょいとアレンジすればね。ほら、『ベーコンと冬菜の生パスタ』のでき上がり。などと、頭ではもう作ったつもり。気が早すぎるわい。 まずは、材料を切ったり洗ったり。だね。 冬菜は軽く湯がいておいた方がいいかな。じゃあ、これは奥さんにお願いするとして。 にんにくは、まだあったかなあ。と、冷蔵庫の奥を捜索。 よかったよかった、ひとかけら残ってた。にんにくは大事です。少しでいいから、これがないとね。例えて言うなら、だし無しみそ汁みたいなもんになってしまいます。 唐がらし(鷹の爪ですね)は、前に買った枝付きのが一束あるし。 フライパンに少し多めのオリーブオイルを入れ、つぶしたにんにくと鷹の爪を炒める。 にんにくがきつね色になったら、鷹の爪も一緒に取り出して、細かく切ったベーコンをしっかり炒める。そうか、ベーコンは最初から炒めても同じことですね。 湯がいた冬菜を加えて、準備は完了。ここまで10~15分ぐらいかな。 いよいよ生パスタをゆでますが、何と!ゆで時間は2分です。 あわてて息子を食卓につかせます。冷めたらおいしくないからね。 さて、この生パスタですが、製造が香川県坂出市ですって。なるほど、うどんの本場なので生パスタも簡単にできちゃうって寸法ですか。最近の讃岐系のうどんはずいぶんコシの強いのが一般的だから、強力粉も普通にあるんでしょうしね。 何しろ2分でゆで上がりですから、楽ですよ。即席麺でも3分ですからね。 フライパンの具材も同時に暖めて、と。 ゆで上がった生パスタをフライパンに移して具材と絡めて。はい、でき上がり。20分かかったかどうかぐらいでしょうか。 ![]() 主役は生パスタですから、あっさり目の味がよろしい。私は、乾燥パセリと乾燥バジリコをかけてこのまま頂きます。粉チーズや塩、黒こしょうなどは、お好みで。 ちょっと鷹の爪2本は多かったかしら。私と息子は辛いのが好きなので、問題なかったんですが、妻にはちょっと辛すぎたようです。次回は1本にしよう。 お、なかなかうまいもんですなあ。国産生パスタ。 特に材料の分量を書かなかったのは、すべて目分量だからです。ベーコンは多めに。冬菜はたっぷりがいいですが、少なくても問題なし。 塩は、冬菜とパスタをゆでる時に入れただけ。炒めたベーコンから十分塩が出ていますから、あまり入れる必要はないと思いますよ。足りないと思ったら、食べるときにお好みで。 ********************** ところでみなさん、昨日のロックの日、何かロックっぽいもの聴きましたか。 ロックの日だからって、何も無理することはありませんよ。僕は、不届きにもジャズをね。ほら、梅雨時になると聴きたくなる Sue Raney の “Songs for a Rainy Day (邦題:雨の日のジャズ)” というアルバムですよ。 まあ、僕のことですから、ジャズってったって、軽めのヴォーカルってわけで、いわゆる通の人からすると、あまりにも口当たりさわやかなスタンダードナンバーばかりで、ちょっと物足りない部類に入るかもしれませんね。 けど、僕にはこういうのがツボでして、特に近頃はこういうフェイクのほとんどない女性ヴォーカルばかり集める傾向があります。 12曲すべてが雨にまつわるスタンダード曲で、冒頭と途中に何度か雷鳴が入っていたりして、この季節におすすめの1枚ですよ。 特に1曲目の “I Get the Blues When It Rains (邦題:雨のブルース)” を聴けば、なるほどと思ってくれると思います。 邦題だけ見るとどんなブルースだろうと思ってしまいますが、全然ブルースじゃありません。たしかに原題にも Blues という単語は入っていて、ようするに「雨が降ると憂鬱なのよね」ぐらいのことですが、曲調だけでは悲しさが伝わらないような明るいメロディーと歌声が心地良いわけです。 You Tube さんに僕のでえ好きな The Ink Spots (インクスポッツ) のがありました。 ↓↓↓ “I Get the Blues When It Rains”
"What Have They Done to the Rain" by Marianne Faithfull 1965 サーチャーズ (The Searchers) といえば、一番おなじみは『恋の特効薬(Love Potion No.9)』ですけど、今日も『雨に消えた想い(What Have They Done to the Rain)』のつづきです。 まず、暇な人は 2002年11月13日の日記(9年も前か!) を読んでください。 サーチャーズの『ピンと針(Needles and Pins)』について書いたんですが、最後の一文に注目していただきたい。 読みに行くのが面倒な人は、こちら↓を。 「僕は、ある時、フォークロックの元祖は、バーズでもサイモンとガーファンクルでもなく、このサーチャーズだということに気が付いたのだ。ふっふっふ・・・」(2002.11.13.の穴沢ジョージの日記より) どうにも意味深長な言い回しで、なぜ気付いたのかについての記述もなく、その後、どこかに書いた形跡もないではないか。 このまま無視した状態で何年後かに、しまった!あのときサーチャーズがなぜフォークロックの元祖だと気付いたのか、理由を書いてないじゃないか!・・・なんて思っても、もしかするとこの楽天ブログが存続しているかどうかもわからないし、僕自身、老いぼれ果てて、パソコンが使えなくなっている可能性も十分にある。 ま、ようするに、今書いておかないと後悔しそうだということです。え、それほど騒ぎ立てるほどのことでもないですか。まあ、そうおっしゃらず、少しお付き合いください。 そもそも話は27~28年ほど前 (正確な記憶がない) に遡ります。当時テレビでよくやっていたミュージックビデオの番組を録画したくて、ビデオデッキを買ったんです。いわゆる型落ちの展示品ですが、ビデオデッキ自体まだ結構高かったので、相当奮発しましたよ。 え?……お前のことだから、どうせベータだろうって? よくわかりましたねえ。そのとおり、ソニーのベータマックスでございます。Hi-Fi が出る前の型で、それでもStereo・音声多重で、フロントローディングが売りの、でかいやつね。 いえ、でもね、そのころはまだソニーも結構強気で、まもなくVHSに席巻されるなどとは、僕も考えていなかったんですよ。画質と音を優先するならベータの方が良いと言われていましたしね。 それから、TVK(テレビ神奈川)で金曜の夜やっていた「SONY Music TV 」という、当時としては画期的な長時間の MTV 番組が見たい一心で、東京にいながらUHFのアンテナを屋根の上に立てて、せっせと録画したりしてたんですが、しばらくして、世はほぼ完全に VHS 一色になってしまった。 それに伴い、あちこちにレンタルビデオ屋ができ、置いてあるビデオは99.9パーセント VHS。8ミリビデオの据え置き型デッキも買ったばかりだというのに、どうしても VHS のデッキも必要になってしまい、結局さらにもう1台買うはめになってしまったんです。しかも、何とあのソニーがいつのまにか作っていた、VHS の機械をね。 この当時、ミューシックビデオは結構高くて、欲しくても買えるようなものではなかったんですが、近所にできた大型のレンタルビデオ屋では何本か見たいやつを置いていて、良く借りて来ては、盛んにダビングしたものです。 VHS → β のダビングテープは、今でもとってあります。ただ、後に買ったHi-Band β のデッキもさすがにもう古いので、正常に作動するかどうかわかりません。もし動くようなら、いくつか DVD にして残しておきたいものもあるんですがね。今度見てみよう。 そのビデオ屋に、BBC の 60年代の音楽番組 “Ready Steady Go” のダイジェスト版のようなのがあって、64年~66年ぐらいの貴重な映像がたくさん入っていました。今でこそ You Tube でこういう映像が普通に見られますが、以前は本当に手に入れるのが大変でした。 “Ready Steady Go” は、全部で3本だったかなあ。ブリティッシュ・ビート全盛期の映像ですから、とてもワクワクしながら何度も見ましたね。ビートルズやストーンズももちろん出てましたよ。 そんな中、そこに出ていたサーチャーズが、当時ヒットした "What Have They Done to the Rain" を歌っていたんですが、このフォークソングにエレキの12弦ギターを使っているところとか、コーラスの感じとか、どうもこれは後のバーズやサイモンとガーファンクルに通ずるスタイルだなあと、漠然と思っていたんです。 でもね、ということはですよ、つまりこれがフォークロックの元祖といっても過言ではないだろうと、思うに至ったという次第です。 トリニ・ロペスやジョニー・リバースなんかは、フォークロックというにはちょっとスタイルが違う気がする。やっぱり、ビートルズ以降の、グループサウンズ的というか、コーラスグループ的なハーモニーがないと、ね。(つづく) みなさん、もうサーチャーズの『雨に消えた想い(What Have They Done to the Rain)』は聴きましたか。今日は、BBCの “Ready Steady Go” に出演した時の映像を見てください。口パクですがね。まさに僕が見たのはこれでした。それにしても、You Tube はすごいなあ。 サーチャーズの『雨に消えた想い(What Have They Done to the Rain)』 あとは、マリアンヌ・フェイスフルの “What Have They Done to the Rain” も聴いてください。僕は、ジョーン・バエズのより好きかもしれない。 マリアンヌ・フェイスフルの “What Have They Done to the Rain”
"What Have They Done To The Rain" by The Searchers 1964 2011年5月11日(水)[速報]限度の62万倍のセシウム検出 福島第1原発3号機の取水口近くの穴の水から海水の濃度限度の62万倍のセシウム134など検出。(共同通信社) すっかり浸透してしまったネットサーフィンという言葉。みなさんも普通に使っていますか。 そのネットサーフィンをしながら思ったのは、僕のようなネットサーファーもだけど、本物のサーファー (海で波に乗る人) たちも怒っているだろうなあっていうことです。 実際、浜岡原発が一応停まることになった時、御前崎のサーファーの一人が、テレビのニュースでインタビューを受けて、「ほっとしている」と答えていましたけど、福島原発の海洋汚染はいったいどこまで広がって、どれだけのサーファーに影響が出るんだろう。 「海水の濃度限度の62万倍」っていう数字ですけど、62万倍なんだから想像つかないほどものすごい濃さなんだろう、ということぐらいしかわからない。目に見えないだけに、ほんと、たち悪いよね。放射能っていうやつ。けれど、これでますます太平洋の魚は食べられなくなってしまった。三陸の生牡蠣は好物だったけどなあ。 以前、安全委員会の人が、海に流せば薄まるって平然と言ってのけた。そういうことをテレビカメラの前で言って、世界中の人がどう思うのか、もしかしたら何も考えないまま言ってしまったのだろうか。理解に苦しむわい。 その少し前の東京新聞 のサイト(TOKYO Web) の記事。 【社会】海にストロンチウム 福島第一周辺 2011年5月9日 夕刊 東京電力は八日夜、福島第一原発の敷地内の土壌や周辺の海水から、放射性物質ストロンチウム89、90を検出したと発表した。土壌二カ所から出たストロンチウム90は、冷戦時代の核実験で国内で観測された濃度の約百倍で、東電は「今回の原発事故で放出された」と話している。(以下略) みなさん、あのストロンチウム90ですよ。 冷戦時代に幼少期を過ごした僕らには、すっかりおなじみの単語です。 ノバヤゼムリャ島なんていうのも、舌を噛まずに言えます。 当時は、核実験が頻繁に行われていて、連日ラジオや新聞 (後にはテレビも) でその危険性が報じられ、雨に当たると禿げるとか言われて、何だかホントに怖いなあって思っていた記憶があります。核戦争の脅威っていうやつもありましたからね。 それが、50年経った今、この国がストロンチウム90を出す当事者になってしまうとは。 余談ですけど、その頃、原水爆禁止を訴える大会が、毎年かなりな規模で行われていたんですけど、主なものは2つの大きな団体が主催していて、そのうちの一つは、ソ連の核実験には反対しないという、かなりびっくりな方針を出したせいか、ある年の大会がはっきり分裂した大会になってしまったんです。 まだ小学生でしたが、ある国の核実験は正しくて、ある国のは間違っているっていうのは、絶対に矛盾していると思ったものです。どっちにしろ、雨に当たると禿げるんだろってね。 反核って、全然政治とは切り離して考えるべき問題だということが、イギリスのCNDなんかの運動を見るまでもなく、世界の常識だと思うんですが、僕のその団体とその母体の政党に対する不信感は、今も続いています。 でもね、いったい誰が海をこんな風にしてしまったんだって、言いたくもなるよね。 「海をよごしたのは誰」じゃないけど、『雨をよごしたのは誰』っていう歌がありました。僕らにはおなじみのプロテストソングでした。 原題は "What Have They Done to the Rain" (←直訳:あいつら雨に何しやがった) で、サーチャーズの場合は、邦題が『雨に消えた想い』でした。我が国では、ジョーン・バエズの『雨をよごしたのは誰』が一番知られているかもしれませんね。 時系列で追ってみると、ジョーン・バエズが歌って有名になり、サーチャーズが英米でスマッシュヒットさせて、いろんな人がカヴァーして、日本でも流行ったということになります。サーチャーズのは、ちょうど日本で『恋の特効薬(Love Potion No.9)』を出した頃にシングルが出てますよ。 邦題の違いに関しては、レコード会社にしてみれば、サーチャーズはリバプールサウンドの期待の星だったでしょうから、反核のメッセージソングというよりもラブソングと思われた方がいいと、担当者が考えたかどうかはわかりませんが、敢えて内容を伝えない邦題の付け方をしていると思われます。 それに対して、ジョーン・バエズは最初からああいう人だから、むしろ反核をしっかり意識した邦題にしたというところでしょうね。(つづく) "What Have They Done to the Rain" 聴き比べ サーチャーズ ジョーン・バエズ
今日はスーパーでドレッシングを買わなければならなかったので、一応いつもの業務用のでっかいやつを買って、帰ろうと思ったんだけど、なぜか途中のもう一軒のスーパーにふらっと寄ってしまった。 これ、2軒とも同じ地元のチェーン店だから、品揃えに大差はないし、もちろん値段もほとんど変わらない。でも、見切り品コーナーが充実しているので、我々庶民には強い味方なのだ。つまりあまり買うつもりもないのに、見切り品につられて、ついつい寄ってしまい、寄ってしまうから、ついつい買わなくてもいい見切り品などを買ってしまって、…。 だから、結局、得しているのか損しているのか良くわからないような買い物になってしまうのです。 で、今日はと言えば、見切り品の柑橘類を買って、なんとなく魚の売り場を見ていたら、「今が旬」と書かれた「愛知産のあさり」があるじゃありませんか。そのとき、頭に浮かんだあのちゃっぴさんの日記! そう、アクア・パッツァ (Acqua Pazza) です! しかも、「あさり」のちょっと向こうには、またまた「今が旬」と書かれたあの魚! はい、そのとおり。「石川産のさわら(鰆)」がありましたぞ。 ちゃっぴさんの日記を読んで、いつかきっとこの アクア・パッツァを作ろうと、決めていたんですが、ついにこの日がやってきました。 ネットに色んなレシピが載っているので、それぞれを参考に、でも結局は自分流にチャレンジした結果は、家族にも概ね好評でしたぞ。 写真撮影をしようと思っていたのに、ずいぶん食べてから思い出して、なんだか宴のあとみたいな感じになっちゃいました。 ![]() フライパンのまま食卓に出したのは、冷めないように。 魚に「さわら」を選んだのは、もちろん「今が旬」ということもあるけれど、なんと言っても、ちゃっぴさんの日記のやつがとってもうまそうだったから。ちょっと高くて、「さわらの神にたたりなし」って言うしなあ(←言わんわ)、よっぽどほかの魚にしようかと思ったけど、やっぱり「さわら」にして良かった! ふつうはあまり入れないみたいだけど、マッシュルームを入れてみました。あと、オリーブ(明治屋のStuffed Olive)も入れたんですが、タイミングが悪かったみたい。もっと早い段階で入れれば良かった。ちょっと、塩気が残りすぎでした。 トマトは、ミニトマトの一回り大きいやつ。これは正解。 イタリアンということで、横にあるのは、ピザ……に見えなくもないですけど、昨日の残りのお好み焼きをチンしたやつ。 というわけで、穴ジョーの気違い水(←Acqua Pazza の直訳)、大変おいしゅうございました。ちゃっぴさん、ありがとうございました。 イタリアンにふさわしい曲ですけど、『花咲く丘に涙して』がよろしいかと。 つまりこの歌は、原題が “Le Colline Sono in Fiore” で、まあつまり「山々には花が咲き誇っている」というような意味でしょうから、まさに今の季節にぴったりということで。 それで、ウィルマ・ゴイクのヴァージョンの熱唱でおなじみのこの曲ですけど、せっかくですから、この機会にニュー・クリスティー・ミンストレルズの “Le Colline Sono in Fiore” も聴いてもらいたいですね。 この曲も、当時、聞こえた通りに歌って間違っていなかった部分が、結構ありました。 ♪ Sto morendo di dolore. なんか、そのまんま「♪ ストモレンド、ディドロ~レ」って、意味もわからず歌ってましたっけ。「苦しくって、死にそうですわ~~」なんていう感じでしょうか。 何度も言うようですが、1965年のサンレモ音楽祭はすごかった。 中でも、ニュー・クリスティー・ミンストレルズは、ボビー・ソロと『君に涙とほほえみを』を歌って優勝。この曲は、ウィルマ・ゴイクと歌って入賞ですからね。 では、まずこちらを。↓↓↓ ニュー・クリスティー・ミンストレルズの “Le Colline Sono in Fiore” ちなみに、前にもどこかで書きましたが、ウィルマ・ゴイク(Wilma Goich)は、正しくはウィルマ・ゴイチだということを、イタリア人の友人に教わりました。 こちら↓↓↓の紹介で、はっきり聞き取れますね。 ウィルマ・ゴイクの “Le Colline Sono in Fiore” 今日の一言:でもなあ、それにつけても「原発はいらねえ」よな。 |一覧| |
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