吉備の桃太郎伝説
古代吉備王国の栄光と衰亡
桃太郎のイヌ・サル・キジ より全文転載記事
お伽噺の桃太郎は、吉備津宮の縁起にかかわる温羅伝説に基づいている。そして、桃太郎の話の中に出てくるイヌ・サル・キジの三人の家来は、温羅伝説の中の、
イヌ=犬飼武(いぬかいのたける)
キジ=名方古世(なかたのこせ)、または、留玉臣(とめたまのおみ)
サル=楽楽森彦(ささもりひこ)
が当てられたものと云われている。
これらの人は、一体、どのような人物なのかを考えてみたい。
(1)イヌ=犬飼武
まず、イヌのモデルとなった犬飼武が犬飼部と云われた部民の長であったことについては異論は差し挟まれていない。しかし、なぜ犬飼部が桃太郎(吉備津彦)の家来となったのかについては論じられていない。私は、犬飼部と云うのは軍事集団であったのだと思う。すなわち、ただ単に漠然と犬を飼育しているのではなく、戦闘に使うために犬を飼っていたのだと思うのである。彼らは、戦陣の最前線にあって、その飼犬を放って敵に対してけしかける。犬は兵士たちの前を群れとなって猛然と走って行って敵兵に噛みかかる。そして、敵がひるんだところへ、彼らは刀を振るって襲いかかる。犬飼部と云うのは、そうした軍事部族だと考えるのである。
(2)キジ=名方古世、または、留玉臣
次に、キジは鳥取部(ととりべ)であったと私は考える。これを鳥飼部などと云う人がいるが、鳥飼部などと云う部民は吉備にはいない。また、鷹狩の記事の初出は雄略紀まで待たねばならない。鳥取部は弓矢をもって鳥を捕ることを職能とした部民であり、彼らは、その優れた弓矢の技能によって軍事集団たり得るのである。彼らは弓矢隊である。そうした鳥取部の長が名方古世(あるいは中田古名)とか、留玉臣である。ここで、二つの名前があるのは、複数の鳥取部が戦闘に加わったことを示すものと、一応は考えておきたい。
(3)サル=楽楽森彦
そして、サル。これは難問である。しかし、サルは楽楽森彦と深く関わっており、その楽楽森彦は鯉喰いと不可分である。すなわち、サル=楽楽森彦=鯉喰い、と云う方程式の中に解読のヒントはないだろうか。
結論を先に述べると、サルは山部(やまべ)のモデル化であろうと考えるのである。サルの第一の属性は樹木に登る事。樹木を管理し伐採するのは山林事業者、すなわち山部。もう一つ、キビの山部には鉄鉱石または砂鉄の採取という特性がある。鉄穴流し(かんなながし)と云う方法で、川の水流の中で比重差を利用して鉄分を分離選鉱する。これは、川の中から鯉を掬い取るイメージとつながる。
従って、彼らは必ずしも、イヌ・サルのような戦闘集団ではない。いま、吉備津神社で犬飼武や名方古世が随神門に祀られているのに対し、楽楽森彦は本殿外陣の御崎宮の一つに祀られており、扱いが異なっているのもこのためであろう。また、楽楽森彦については、鯉喰神社と云う独立した神社があるのに対し、犬飼武や名方古世の場合は、そのような独立した神社が見当たらないのもこのためであろう。
(添付資料:備中国吉備津神社の祭神を参照) (なお、楽楽森彦については「孝霊伝承-中山神社-楽楽森彦」のページも参照) (なお、吉備における犬飼部、鳥取部、山部の分布については、参考資料「吉備における郡別部民分布表」をも参照) (2001年12月)