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『関係性認識エネルギー』は、対人関係をよくし、家族や友人と感動や喜びを共有し、ときには苦しみさえも分かち合えることで、創造的な社会的協働に参加することのできる能力を数値化したものです。
精神性の発達したいわゆるオトナは、関係性認識エネルギー(5)の人です。 子供っぽいオトナとは、関係性認識エネルギー(1)と関係性が理解出来ない人たちのことを言います。 友達をつくり、間柄を修復し、関係性を維持しようと心をくだき、家族や隣人の気持ちを考慮することなどは、すべて相手との関係性が理解できているからできることであります。 関係性の世界では物事はすべて「相対的」であり、「正しい」か「誤りか」のどちらかではなく、かかわり合う人々に与える影響や印象を考慮して判断されます。 関係性は、多様な視野に立ち、さまざまな考えかた、感じかた、問題の解きかた、行動のしかたがあることを経験的に学習することによって成熟していきます。 子供っぽい人の代表的な資質はなんと言っても、自己中心性です。何事も自分が中心にいて、他人は自分の付属みたいなものとの考えがあります。関係性は全く理解できません。視野が狭いとは、関係性が理解できないことの例えです。 子供っぽい人は視野が狭く、人との関係性がわかりません。思いやりがないのは、他人を思いやるということが分からないのです。 自己中心は、「他人は自分のことを思っていなければならない」のだから人のことなどかまっていられないのです。 子供っぽい人は人を支配したがります。「人は自分の言うことを聞くのが当たり前」だから言うことを聞くように自分の物にしておきたい=支配です。自分の専有物にしておきたい=支配です。 支配するために相手に尽くすこともあります。尽くす対象が、私がいなくてはなにも出来ないレベルまで持っていくことで、相手を支配することもあります。 子供っぽいオトナの人は責任を取りません。責任とは辞書によれば「人が引き受けてなすべき任務」ですが、自分のことしか考えていないので、責任の意味が分かりません。 「人はみな、成長するにつけて人間性も発達していく」という考えを捨てて下さい。 人は人間性を磨いていく種類の人、すなわち心の豊かさを求める人たちと、生活の安定を図り、物質の豊かさを求めていく人たちとの二種類に分けることができます。 理想は人間性を確かにして、生活の豊かさも享受出来る人ですが、どちらかに偏るようです。 物質を求める人は精神性の発達に関しては眼中にありません。なぜなら他人のことを気遣っていたら、物(金銭)を他人に取られてしまうからです。だから自己中に成らざるを得ません。 あくまでもその人の生き方なので、心を求めるか、物質を求めるかどちらが優れているか、劣っているかではありません。 『限界意識エネルギー』は自分と人との限界が保たれているかを数値化したのですが、関係性が理解できるオトナの人でも限界意識は低いです。 心の大きさ(3プラス)はオトナの人と言えますが、この人たちでも、自分の考えを相手に押しつけています。 相手の立場になって考えているつもりでも、自分が相手になったつもりで考えているのです。このことを限界意識が低いといいます。限界意識エネルギー(3)です。 「なぜ分かっていただけないの!」は相手を自分に引き寄せて限界を無くしています。 「自分の考えが正しいので、分かってほしい」と願うのは、自分と相手の限界がなくて、幼い子供が親を独占したがるのと同じことです。幼い子供からしてみれば親は自分の続きなのです。 親子の関係を限界意識がない状態と言います。 心の大きさ(3プラス)はオトナの部類で、関係性認識エネルギー(5)ですが、限界意識エネルギー(3)とまだまだ『大人』にはなりきれていません。寛容さがたりません。 関係性認識エネルギー(5)、限界意識エネルギー(5)で、相手の考えは「正しい」か「誤りか」のどちらかではなく、相手にに与える影響や印象を考慮して、どちらか判断出来る人。また相手の考えを尊重して、自分の考えを押しつけない人を『寛容』な人といいます。心の大きな人、オトナの人です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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