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愛のある人は精神的な成長が早いというよりも、生まれ持って精神性が高いと言えます。愛は思いやりですから、かなり若いときから強い自己主張もせずに、怒り、哀しみなどを抑えて生きていきます。
回りに自己中の人や、支配する人が多いために、思いやりが通じない場合が多く、心が折れてしまいます。 愛のある人は人への思いやりが優先で、怒りを外に出すのはオトナの態度ではないと、怒りなどの感情をなるべく出さないようにします。そのために、怒らないいい人と思われています。 精神性とは知性的〈F-111〉な、理性的〈A-14〉な心の動きをいいますが、理性的な心とは、感情的な欲求に左右されず、思慮的〈C-13〉に行動することです。 精神性が高いとは、感情に左右されずに理性的な態度の取れる人のことを言います。 では愛がなければ精神性の向上は望めないのか、『愛がすべて』なのかといえば、親がいなくても子は育つではありませんが、愛が無くとも精神的な成長は望めます。 心の大きさ(1)〈A-6〉はものの見方・考え方が子供っぽい人です。(1B)の人は自己中心的〈H-18〉で、人を支配〈G-9〉します。感情を抑えることが難しいため、怒りなどの感情をすぐに出してしまいます。 人からの愛・好意を受け取るのみで、人を思いやるということが分からないので、どうしても自分中心的になってしまいます。 愛されることを求めているので、人から認めて欲しいという承認欲求〈J-66〉が強く表れています。 子供の特徴は感情的なところです。自分を抑えるスベをしりません。だから感情的なオトナの人をコドモと言います。 子供の行動をよく観察してみると、人それぞれに対しての接し方が違うのがお分かりいただけると思います。母親に対する態度、父親に対する態度、また友達への接し方でも、好き嫌いによってさまざまな行動を取ります。 人格が統合されていないので、子供にはたくさんの人格が見受けられますが、同じように大人のコドモの人も多重人格と言えます。これはアイデンティティー〈A-1〉が確立されていないからです。自分が何者か分かっていないので、多くの人格が出てしまいます。 彼らにとっては、今言った言葉が重要で、昨日言ったことは昨日の人格の言ったことなので責任が持てなく忘れています。「今言ったことと、昨日言ったことが違う!」のはこのためです。 コドモの人は今の人格と数時間前の人格とは全く違う言動をしますが、彼らにとっては全て正しいのです。なぜなら彼らには多くの人格があるから。 オトナへの道は「感情を抑えること」から始まります。コドモの人にとって感情を抑えるのが難しいのは、感情を抑えることが強いストレスになるからです。 ある程度歳を取った人が感情を抑えることは無理かと思われますが、20代~30才代の方なら可能かと思います。 精神性の向上は感情を無理なく、ストレスにならないように抑えることが必要です。 次に、愛のない激情の人・織田信長がいかにアイデンティティーを確立していったかを見ていきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月09日 19時52分11秒
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