よくこう言うと信じていただけないのですが、私は自分が常にトップにいることを自ら欲しているわけではありません。
実は、アクティブイノベーションを立ち上げるときも、弁護士法人のナンバー2のポジションでのスタートを考えていましたし(その後、実際にスタートするときには私1人トップの体制となりましたが)、中学校のころの自分は「縁の下の力持ち」的なポジションがあっているなと考えていたりもしました。
「我是不是我的我(私は私ではない私)」
月刊誌「致知」の9月号に掲載されていた李登輝氏のインタビユーの中に(少し古くてすみません)、同氏の人生信条として、その言葉がありました(なお、私はここで政治的且つ法的評価に関することを述べるつもりはありません)。
以下、引用です。
「肯定的な人生観とは、果てしない自我の肯定ではありません。キリスト教に『自己の中に神を宿す』という概念がありますが、深い愛で他者を許す神を自己に宿すことで、自己中心的な自我が消え、他者を思う心が生まれる。これを『我是不是我的我(私は私ではない私)』と表現しているのです」。
同氏のようにはとても達観できませんが、世のために人のために自分はこうすべでないかという信念を自身の中で強く持ち(これを『志』というのでしょう)、これを実践していくこと。これ以上の強烈な自我の肯定・発現はありませんよね。
まさに「我是不是我的我(私は私ではない私)」。