かって民主党代表の小沢氏はニートの親は動物以下と言ったことがあった。どんな動物でも子供を自立させようとするのだから、子供を自立させられない親は動物以下という趣旨なのだろうか。たしかに児童虐待などがこれだけ問題になるのだから、そりゃなかにはあえて子供を自立できないように育てる変な親もいるかもしれない。ただ、大半の場合は、職場もなく、フリーターやアルバイトからニートへと転落していく子供を不安いっぱいで見守っている親がほとんどなのではないだろうか。ニートの問題の背景には、やはり若者の雇用の問題がある。
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ニートに限らず、様々な問題について、何でも親のせいにする風潮が日本では強い。働かないのは親のせいだとか、素行が悪いのは育て方のせいだとかいった議論があらゆるところでうずまいている。そして中にはとうに成人した子供の犯罪についてまで、その親に損害賠償を請求する人もいる。たしかに、ニートに限らず、様々な問題を親のせいにし、親がそれをかかえこんでいるうちは社会全体の負担は少なくてすむだろう。そういえば定職がなかったり、あっても収入が少なかったりする独身者と老親との世帯は今激増している。しかし親だっていつまでも元気で生きているわけではない。親に頼っている人もいずれは独りで生きていかざるを得ない。最近、団塊世代の一人暮らし世帯が出火元になっている火災が激増しているという。親がかりで暮らしてきた独身者が親と死に別れて独りで暮らす年齢がちょうど50歳代後半から60歳代にかけてである。これは「団塊世代」の問題というよりも、その年代の独身者の問題と言ったほうがよいのではないのだろうか。火災の激増は、きちんとした職業も家族もなく、社会への帰属感ももてない、新しいタイプの貧困層のもたらす問題の一つにすぎないのではないか。大小様々の犯罪や迷惑行為、孤独死の社会的コストなど、これからどんどんこうした貧困層のもたらす問題は深刻化していく。ニートやフリーターにみられるような若年層の格差の問題も、いつまでも親の育て方や本人の勤労意識のせいにだけしないで、行政の問題として本腰をあげてとりくまないと、そのうち大変なことになるように思う。
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余談であるが、韓国や台湾では日本以上に出生率が低下しているという。親子の絆を重視し、子孫を絶やすのを最大の不孝とみる儒教文化圏で出生率が低下しているのは奇妙なようであるが、親子の絆を過度に重視することが出生率の低下をもたらしていると考えると納得がいく。たぶんこうした国々では、成人した子供に経済力がない場合の親の扶養義務、子供が犯罪や不祥事を起こした場合の親の責任…これらが日本以上に問われる風土があるのではないか。幼い子供は例えようもなく愛らしいものだが、成人してどんな人間になるかは神のみぞ知る。子供を持ち育てることのリスクがあまりにも大きい社会では、子供を持つのを躊躇する人が増えるのも理の当然なのかもしれない。
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