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最近、下記のところで「25条タイプと9条タイプ」という表題のもと、25条と9条とどちらを前面にだすべきかという議論を行っている。
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10488388551.html そりゃあ25条だろう。 就職がきまらず困っている学生。 10時間以上働き健康不安にさらされる会社員。 真面目に働いても一人の口も養えないワーキングプア。 就職をあきらめたニートやひきこもり。 そして彼らの親や縁者。 こうした人々に9条は素晴らしいですよ、平和は尊いですよ…と言ったって、それど頃ではないというのが実感だろう。だって、平和の中でも餓死や凍死してしまう不安も他人事ではないのだから。 ※ ただ25条といったって条文を前面に出せということではない。 岩下俊三さんという方のブログにあったように「大衆の心によりそってほしい、貧困の実態によりそってほしい」ということだ。 かって日本は真面目に働いていれば食うに困るようなことはない国だった。 女工哀史の悲惨や蟹工船も過去の話とし、それを誰も疑うことのない国だった。 それがいつからだろう。 30代や40代の健康な男が明日食べるものがないからとコンビニ強盗をやり、月200時間の残業で寝たきりになった30代の悲惨な映像が全国ニュースに流れるようになったのは…。 貧困や労働環境の問題を取り出し、それがいかに非人間的なものであるか、それに対する施策はどうあるべきかをたんねんに訴えていけば必ず「山」ともよばれる巨大な層の票が動く。 いつまでも9条守れだの護憲だのでは、そんな言葉は素通りするだけだ。 ※ また今のマスコミ(スポンサーに首根っこをつかまれているのだろうけど)がまともに報道しない基礎知識を周知させるのもよい。 ここわずかの間に日本の累進税率が急速に緩和されてきたこと。 消費税が世界の趨勢というがほとんどの国では奢侈品と生活必需品で税率をかえていること。 ILOの労働者保護のための条約に日本は他の先進国と異なりほとんど加入していないこと。 ジミンと亜ジミンのような二大政党制や「アッケラカン」大将の息子の第三極におどるのではない本当の意味の批判票をとりこむアピールが必要であろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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