芥川賞は毎年ニュースになる。
今年も不機嫌そうな受賞者が話題となっているけど、歴代芥川賞受賞者をみると今でも多くの読者をひきつけている作家というのはあまり多くない。むしろ忘れられた人もかなりいるといってもよいだろう。
http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/archives/literature/akutagawa.htm
実際、話題にひかれてそうした芥川賞作品を読んだことがあるけど、「アタリ」だった例はあまり多くない。たしかに文章はうまかったり個性的だったりするのだが、仮想体験という読書の楽しみには縁遠く、せいぜい上手く書けた普通の人の作文を読んだという印象しかないのだ。
正直に思う。なんで芥川賞ってあんなにつまらない小説ばっかりなのだろう?
そんなわけでそうした作品の感想をいくつか…。
まず畑山博「いつか汽笛を鳴らして」〈昭和47年)。この作者は他に何か書いているのだろうか。よくわからないけど、貧しい若者のうっ屈した日常生活を描いただけの作文という枠をでていないように思う。最近もこうした「底辺」をウリにする受賞者がいるようだが、この作品の印象がよくなかったため、どうもそうしたものは読む気にならない。
昭和52年の「エーゲ海に捧ぐ」は題名だけが素敵で中味は国際電話の長話だし、「僕って何」は田舎から出てきて学生運動に首をつっこんだ学生の作文といったところ。
中でも一番つまらなかったのは平成7年の「この人の域」だ。出張に行った男がついでに学生時代に知り合いだった女性を訪ねるという話なのだが、ただそれだけ。ストーリーがないのであれば、素晴らしい自然描写や思索があればよいがそうしたものもない。あまりのつまらなさ、退屈さに最後まで読んだかどうかも覚えていない。この作品についての評で「世間の人の『文学』というものに対する不信を増幅させただけ」というのがあったが、同意だ。こうしたものは同人誌かなにかで仲間内の娯楽として発表しておけば十分なのではないか。
平成10年の「日蝕」もやたらに衒学的な難読漢字ばかりが多く、正直何をいいたいのだか趣旨が分からない。宗教がテーマのようにもみえるが、この程度ならちょっと前に流行ったオウム信者の神秘体験の手記と変わらないような気がする。
たまたまハズレばかりをひいたのかもしれないが、芥川賞作品よりも、むしろ本屋大賞なんかの方が読んで後悔しない傑作が多いように思う。
それとも…芥川賞作品を読むのは、読書の楽しみを求めてではなく、「ブンガク」を読んだという自己満足や充足感を得たいのだろうか。それならそれでわからないわけでもない。