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あけましておめでとうございます 今年から 楽天日記は終わりにして アメブロ http://ameblo.jp/yogafuku1/ で 更新していきます。 よろしくお願いいたします。
量子力学における ひも理論の動画を ニコニコ動画で 見てたんですけど そこで、ふと 地球に住む わたしたち ひとり、ひとりは 地球交響曲楽団の オーケストラの一員ではないか? と 思えてきました。 精神世界では はるか昔から すべては 「宇宙の意志」 すなわち 「ひとつのエネルギー」 で この世界は構成されていると 言われてきました。 しかし わたしたちは 物質を構成している 最小単位 いわゆる クォークは 「物質」であると 信じて 疑ってきませんでした。 科学では 「実証」されないと 単なる「哲学」として 扱われるからです。 そこに 現代物理学の ひも理論が 物質を構成しているのは 原子の100億分の1の さらに 100億分の1の ひも状のエネルギーである と そして この3次元に限らず その他の次元も存在する と 唱え始めました。 その後 ひも理論は 5つに分かれ その後 M理論によって ひとつに統一され 現代物理学の 「主流」に なっています。 つまり 現代物理学においても 物質を構成している 最小単位は 物質ではなく エネルギーである という流れに なってきているのです。 このことは 精神世界のアセンションに限らず 地球全体の流れが 「ひとつの方向」 に 向かっているんだなと 感じました。 (しかしながら ものすごく 小さな分野を説明するには 量子力学はすごく有効だけど 惑星単位の大きな分野を 説明するには 相対性理論のほうが有効で この2つの理論を 統一するために ひも理論を さらに進化させることが 今の物理学の 課題です。 ブラックホールを 説明するのに この2つの理論では 矛盾が生じるのです。) けれども わたしたちは 間違いなく 「本当のことを知る」 流れに 乗っているのだと 思います。 わたしたちは 自分と同じレベルのひとと 出会います。 この 「同じレベル」 というのは 「同じ周波数」 ということです。 そして 周波数は エネルギーの動き によって 決まってきます。 そして エネルギーの動き(周波数) を決めるのは そのエネルギーが出会う 「かたち(次元)」 です。 「ひと」に 置き換えるなら その 「かたち(次元)」 は そのひとが何を信じているか? です。 すなわち そのひとが採用する 「考え方」 です。 「信念」 といっても いいかもしれません。 あなたが すごいと 思うひとと あなたが 持っている エネルギーは 「同じもの」 なのです。 そこにある 「違い」 は そのエネルギーを 自分の中の 「どんな考え方と 出会わせているか?」 なのです。 そこを ふまえた上で かなり脱線しましたが オーケストラ というところに 戻ります。 オーケストラには いろんな楽器が あります。 その いろんな楽器が それぞれの 役割を きちんとこなして 初めて 「ひとつの曲」 が 演奏できます。 そこで オーボエや ティンパニーや ビオラの 役割のひとが 「やっぱりバイオリンがやりたい」 「やっぱりピアノがやりたい」 「やっぱり指揮者がやりたい」 と言い出したら もう 曲を演奏するどころでは なくなると思います。 地球に住む わたしたちを 地球交響曲楽団の オーケストラの一員に たとえて それぞれに 与えられた楽器を それぞれに 与えられた 自分の個性 とした場合 その楽器を演奏することに (この自分を発揮することに) 務めるひとが ひとりでも 増えていくと 今まで 文句をたれていた 楽団員たちも しだいに 「全体の流れ」 に 従うようになって やがて 「調和(ハーモニー)」 が 生まれるような 気がしません? 「あのひとは得した」 「自分だけ損した」 から 「みんなで一緒に 楽しまない?」 と 自分の意識が 変わったとき 初めて 自分が 地球交響曲楽団の オーケストラの 一員であったことが 思い出されるような 気がするのです。 周りがどうだろうと 社会がどうだろうと 政治家がどうだろうと 「自分はどうありたいの?」 「自分はどうふるまいたいの?」 「それを するの? しないの?」 ただ それだけなんだろうと 思うんです。 兵器を作り 放射能をまき散らし からだによくないものを 平気で食品に混ぜる 利益がすべて 効率がすべて の この世の中を 変えたいと 思ったら あなたが あなたを どれだけ 大切に 扱うか? そこから 始めていくしか ないんです。
こころの傷を癒す方法 って ひとそれぞれ あると思う。 これが正解って ないけど わたくし個人が思うに こころの傷って 癒そうとせず さらけ出したほうが 治りが早いような 気がします。 カウンセラーさん等と 出会って 人生変わるひとが 多いけど そのカウンセラーさんの おかげじゃなくて ひょっとしたら そのカウンセラーさんに これまで隠してきた自分を さらけ出すことに OKをあげた 自分のおかげかもしれない。 ということです。 恩義を感じることと そこに 上下関係を作ってしまうことは また 別のことだと 思うのです。 救ってくれたひとも 救われたわたしも 同じ 赤い血が 流れている 同じ人間。 救われたことに 感謝しつつも 救ってくれたひとと 同じ「人間」である 自分の尊厳も 同時に 見つめていく。 でないと 自分をどこか 他人より下に見る自分から 卒業できない 気がするんです。 本当の救いって 「自分が自分を どう扱うと決めるか?」 そこにしか ないような 気がするんです。 だって 24時間 自分と つきあってくれるのは 自分だけ だから。 自分を 大切に扱えない 自分の穴埋めを 自分を大切に 扱ってくれる他人 に 求めていたら 「その他人の都合に 合わせる自分」 しか 待っていないから。 本当は 誰も 自分を 誰かより下 なんて 思いたく ないはずなんです。 けど そう思ってしまう。 それは そう思うことで 「何かと向き合わなくてすむ楽」 を 得られるからなんです。 けど あなたが 本当に したいことは 「楽」することではなく 「自分を発揮すること」 の はずなんです。
これから 変わっていくんだね。 何度も 輪廻を繰り返して 「これが自分」 と 信じてきた自分が 「幻」だったと 思い出すときが 来たんだね。 「あるがまま 受け止める」 ということは その出来事と 自分が 「ひとつ」になる ということ。 そこに 「自我」は 存在できない。 「その出来事を 受け止めよう」 「その出来事を 受け止められる 自分になろう」 と 思っているのは 実は 自我。 だから 本当にこころから 受け止めることが できない。 自我とは それほど 巧妙なもの。 なぜなら あなたが 何かと ひとつになる体験を してしまったら もう 自我は あなたを 支配できなく なってしまうから。 生きている間に 自我の支配を超える。 それが 生きながら死ぬ ということ。 これまで あなたが 何度も 輪廻を繰り返し 死の間際で 感じてきたものを 生きている間に 体験することが 可能な時代(段階)に あなたは やってきた。 これまで 本当に ご苦労さまでした。 もう 同じところを グルグル回ることに 本当に 飽きたなら どうか 自分に素直に なってください。 自分に素直に なることは 自分に素直に ふるまうことは とても 怖いこと。 今まで 自分に素直になって いろんな大人から さんざん 傷つけられ いやな思いを たくさん してきたから。 素直な思いを 出すたびに 必ず 裏切られてきたから。 だから もうこれ以上 傷つくくらいなら 素直な自分を 出すことを やめてしまおうと あなたは 固く 固く 誓ってしまった。 けど そうしたら 傷つくことは 減ったけど どこか 息苦しい すっきりいかない人生が 現れるように なってしまった… もう!!! どうしたらいいの!!! やっぱり 自分に 素直に 生きるしか ないんよ。 だって 自分には 自分しか ないんやから。 だから 他人が そうするあなたに 何を言おうと そうしたいあなたの 味方に あなたが なってあげへんかったら 自分は 救われることは ないんよ。 それに かつて 素直な自分を出して 傷ついたときと 今とでは あなたも 環境も 時代も まるで 違うものなんよ。 だから もう一度 できるなら 素直な自分を 出すと 決めて みません? これからの 自分を ハッピーライフの中に 置くために。 ハッピーライフって 望む結果を 得ている自分 じゃないんよ。 自分に 嘘をついていない 自分で生きている 自分の 「ありかた」 なんよ。 「自分に嘘をつかない」 これ以上の よろこびって ひとに あるのかしら? ↓よかったら見てね♪ 「Validation」 http://www.youtube.com/watch?v=IIBzU9V_p8w&feature=autoplay&list=FLPstpw0irZjjsQLrFhuamiQ&lf=plpp_video&playnext=2
笑いたい奴は 笑え!!! けなしたい奴は けなせ!!! 馬鹿にしたい奴は 馬鹿にしろ!!! この なさけない 何もできない みっともない これがわたしだ!!!! わたしは わたしを 本気で 生きてやる!!!!!
いやぁ~~~ 寒いでんなぁ。 わたしの住む地方は 今年一番の雪でした。 うちの家は すきま風ピュ~ピュ~で 外気温と室内温が同じなので(笑) 部屋の中でも ダウンジャケットを着ています(笑) でも寒い!(笑) 前回の日記で 「生きてるだけでいい」 って書きましたけど なかなかそうは 思えないと思います。 「生きてるだけでいい」 って 思い通りにいかない人生を 「生きてるだけでいい」 って言って 自分をごまかすための方便じゃなくて それは 「自分に安住する」 という意味です。 みんな違うじゃないですか。 自分とまったく同じ人間は いないじゃないですか。 ほんで どんだけ他人を うらやましいと思っても 自分は 今回与えられた自分で やっていくしかないじゃないですか。 どんだけ他人を うらやましいと思っても 他人にはなれないんだ! 自分は 今回与えられた自分で やっていくんだ! と腹をくくる。 そこがスタートラインだと 思うんです。 そのスタートラインに立てて 初めて 自分がどうありたいのか? どうふるまって生きていきたいのか? が 見えてくるような気がするんです。 そのスタートラインに立てて 初めて 「何ができる」 「何ができない」 「何を持っている」 「何を持っていない」 そこにはない 自分の価値 が 見えてくるような気がするんです。 社会的な価値と 照らし合わせて 見えてくる自分と また違った 「思いもよらぬ自分」 とでもいいましょうか。 わたしは この自分で やっていくんだ! と腹をくくる前に 自分を否定して 「この自分」ではない 「何か特別なもの」に ずっとなろうとしてたから これまでずっと うまくいかなかったんだろうな と思います。 だから 「恥ずかしい自分」 「なさけない自分」 「みっともない自分」 を もう 「隠す」ことは やめていこうと思います。 それらも 「この自分」。 それらを 「隠す」ことは 自分の 「歪み」に つながっていくと 思うから。
あなたは 何ひとつ 間違ってないよ。 だって あなたは 「生きるために」 生まれてきたんだから。 だから まず 「思いが叶っていない」 とか 「ひとの役に立ってない」 とか 「やりたいことが見つからない」 とか そういう立場から離れて 「生きるために」 生まれてきた という 自分の一番の思いが 「すでに」 叶っていることに 目を向けよう。 本当は 自分は 生きてるだけで OKやったんよ。 けど だんだん 何十年も生きてると それが 当たり前になってきて その間に いろんなひとから いろんな考えを 刷り込まれて いつしか 生きてるだけじゃだめで 「何かをしている自分」 でないと 罪悪感を 覚えるように なってしまった。 あなたも わたしも。 けど 本当は 自分の使命を 見つけられなくても 何かを成し遂げなくても ひとの役に立たなくても ひとと比べて どんなにいたらない自分でも 自分は 生きてるだけで OKやったんよ。 どんだけ 苦しい人生を 送っていても 「わたしの人生は 何ひとつ 間違ってないよ。 だって わたしは 「生きるために」 生まれてきたんだから。」 そう 自分に こころから言える 自分になれたら どんなに こころが 軽くなることだろう。 その自分は どんだけ 思いが 叶っていなくとも 自分が生きている ということに よろこびを みいだして いるのだから。 理想に近づくことに 価値を覚える自分から 自分が今生きていること そのものに 価値を みいだせる自分になれたら 今の自分が どんなに グダグダでも 胸を張って 生きて いけることだろう。 何も変えなくて いいんだよ。 このままで いいんだよ。 「生きるために」 わたしは 生まれてきたんだから。 そう 自分に こころから言える 自分になれたら どんなに こころが 軽くなることだろう。 ひとから どんな評価を 下されようと 「そうですか」 「あなたはそう 思いたいのですね」 けど わたしは あなたにとって 都合の悪い人間でも わたしを 「生きるために」 生まれてきたのですから ご期待にそえなくて ごめんあそばせ。 そう 自分に こころから言える 自分になれたら どんなに こころが 軽くなることだろう。 「な~んだ ただ 生きてるだけで いいんだ」 この シンプルなことに 自分で 自分に 「許可」が だせたとき ひとの こころは どんなに 軽くなることだろう。
「何処へ行こう?」 「何処にだって行けるでしょ?」 「本当に?」 「本当に行けないと 思っているの?」 「でも…」 「でも…何?」 「・・・」 「行きたいの? 行きたくないの?」 「できることなら…」 「できることなら…何?」 「・・・」 「本当はどうしたいの?」 「・・・」 「何が怖いの?」 「もうこれ以上 傷つきたくない… 失いたくない…」 「だから行かないの?」 「うん」 「それでいいの?」 「だってこれまで 挑戦して うまくいった ためしがないから」 「だから 残りの人生 あきらめるの?」 「うん。 これだけやって だめだったんだもの」 「そう。 あなたがそう決めたなら そうしたら?」 「うん。 そうする」 「それで あなたに残るものは 何?」 「えっ!?」 「いろんなものから 逃げたら あなたはもう 傷つかなくてすむ。 けど もうこれ以上 傷つかない自分になることが あなたの 本当の夢だったの?」 「どういうこと?」 「いろんなことを あきらめてまで もうこれ以上 傷つかない自分になることが あなたが 本当に なりたかったあなたなのか ということを 聞いているのよ」 「できることなら 僕も 思うような自分で 生きたいさ! けど そんな現実は 何をどうしても 僕の目の前に 現れないんだから どうしようも ないじゃないか!」 「けどさ 『できることなら 僕も 思うような自分で 生きたいさ!』 と言いながら あなたは そのことを とっくに あきらめてるじゃん」 「だって…」 「だってじゃないよ! あんた 本気でそのことを 思っているのかい? そこに行きたいのなら なぜ そこだけを 目指さないんだい? そこに行く途中に 1回や2回 思うようなことが 起きなかっただけで 簡単にあきらめることが あんたの本気 なのかい?」 「・・・」 「出会った結果 じゃ ないんだよ。 結果を気にするから あきらめが 出てくるんだよ。 大事なのは どんな結果と 出会おうと 最初に 自分に 芽生えた思いを どれだけ 大切にしてあげられるか? それが 自分を大切にする ということなんだよ」 「けど 自分が望まない 結果とばかり 出会っていると やってられないです」 「だとしたら それが あんたが本当に望んでいるもの かもしれないね」 「どういうことです?」 「ひとは どんだけ 拒もうが 自分が 必要としているものとしか 出会わない ということさ」 「わからないです」 「わからなくていいさ。 わかろうとせず そこで感じるものを 正面から 感じたらいいのさ。 本当のことは 理解ではなく 体験の中にだけ あるんだから。 そこに 判断をからませるから 自分で 自分の人生を ややこしいものに してるだけなんだから」
できるなら別ウインドウで http://www.youtube.com/watch?v=7a657CRRZaE この曲を流しながら この日記を見てください。 高橋優『福笑い』 http://www.youtube.com/watch?v=7a657CRRZaE 作詞 高橋優 作曲 高橋優 唄 高橋優 ![]() あなたが笑ってたら 僕も笑いたくなる あなたが泣いていたら 僕も泣いてしまう ![]() 難しい顔 難しい話 今ちょっと置いといて笑えますか? ![]() きっとこの世界の共通言語は 英語じゃなくて笑顔だと思う ![]() 子供だとか大人に関わらず 男だとか女だとかじゃなく ![]() あなたが今楽しんでいるのか 「幸せだ」と胸張って言えるのか ![]() それだけがこの世界の全てで 隣でこの歌唄う 僕の全て ![]() 奪い合うことに慣れ 疑い合う人で溢れ そこで誰か泣いていても 気に留める人もいない・・・ ![]() どれを切り取って”人間らしさ”って 呼べるか分からないけど ![]() 誰かの笑顔につられるように こっちまで笑顔がうつる魔法のように ![]() 理屈ではないところで僕ら 通じ合える力を持ってるハズ ![]() あなたは今笑っていますか? つよがりじゃなく心の底から ![]() 憎しみが入る隙もないくらい 笑い声が響く世界ならいいのに ![]() その姿形ありのままじゃ ダメだ!と誰かが言う ![]() それにしたって笑顔は誰も ありのままにゃ敵わない ![]() きっとこの世界の共通言語は 英語じゃなくて笑顔だと思う ![]() 笑う門に訪れる何かを 愚直に信じて生きていいと思う ![]() 誰かの笑顔につられるように ![]() こっちまで笑顔がうつる魔法のように ![]() 理屈ではないところで僕ら ![]() 通じ合える力を持ってるハズ ![]() あなたがいつも笑えていますように ![]() 心から幸せでありますように ![]() それだけがこの世界の全てで ![]() どこかで同じように願う 人の全て
今日は (今現在の時点では) 日本で2か所しかないと いわれている 磁場ゼロスポットのうち 2番目に発見された 松江の磁場ゼロスポットに 行ってきました。 たまたま とあるひとのブログを読んで (中古車屋のカミサマね(笑)) その存在を知って 自分が米子に行く 用事があったので そのついでに 次の日に 行ってみました。 事前にネットを調べると とあるサイトで 「松江しんじこ温泉駅の西側に城西公民館があります。 公民館の西側に天倫寺があり、その右側の坂道を上がります。 100m程上ると右側にサウナオアシスがあります。 すぐ下り坂になって100m進みまた上り坂になります。 左側のがけ上に家が見えてきます。 と10段くらいの石段があります。 その石段をあがると、のぼりが立ち並んでいます。 それに従って進むと、ゼロ磁場に着きます。聖地です。」 という記述を見つけ 松江しんじ湖温泉駅から 簡単に歩いていけるんだろうと 駅の近くに車をとめて その指示のとおり 歩いていきました。 ですが とんでもない 間違いでした。 今日の 松江は 雪が真横に吹くような 暴風と雪でした。 その中 びしょびしょになりながら 1時間以上歩くことになりました。 車で行くひとなら 現地近くまで 車でいくことを おすすめします。 誰もこない このブログを たまたま読んで そこに行きたいと 思う人が ひとりでも いた場合のことを思い ここで 松江の磁場ゼロスポット パーフェクトガイドを お伝えします。 まず 松江しんじ湖温泉駅の タクシー乗り場や 駐車場のある側に立ち 松江しんじ湖温泉駅を 背にして 前を見ると 山陰合同銀行と 一畑電鉄ビルに挟まれた 一本の道があります。 その道を進みます。 すると 左手に 「岡本旅館」の 看板が見えますので その看板の手前の筋を 左に曲がります。 そこから600メートルほど 進むと右手に 城西公民館があります。 そこから 100メートルほど 進むと 右斜めに行く道があり そこを行くと 天倫寺に上る石段が見えるので その右の道を行きます。 すると 右側にサウナオアシスがあって そのあと 道が2つに分かれます。 左の登り道のところが 駐車場で 右の下り道を 200メートルほど行った 右手の 赤いのぼりが並んでいる階段が 松江の磁場ゼロスポットの 入口です。 入ると そこを発見した 山伏のおっさんの 顔写真入りの 電話番号入りの 「私有地だから1000円払え」だの 「見学だけで立ち入るな」だの 「気がどうたらこうたら」だの いっぱい パウチした張り紙が 見えてきます。 その 山伏のおっさんが いなかったので 奥に入ります。 すぐに 磁場ゼロスポットに 到着します。 ほんと 住宅街の中です。 荒れた竹林の竹が 無造作に倒れています。 きたない椅子がいくつもあって 黒い水が入ったバケツや 台の上に 水の入ったペットボトルが いくつも 放置されています。 見るからに 「汚い」です。 正直なところ この土地に 「愛着」を感じているひとの仕業 とは 思えませんでした。 そこのすぐ上には 役行者の石像や 弘法大師の石像が おまつりされていました。 わたくし個人の 率直な感想を 言います。 はっきりいって この土地のエネルギーは わたしがこれまで いろんな土地や いろんな樹木で 感じてきた 癒しとか 元気をくれるとか そういったたぐいではなく 「そのひとをチューニングする」 とでもいえばいいのでしょうか。 そのひとを 「フラットな状態にしてくれる」 エネルギーです。 それは確かに感じました。 わたしが今までに 感じたことのない エネルギーでした。 だから 自分が何かを決断する前に この土地のエネルギーに 触れることは 有効だと思います。 けど それよりも この土地に触れて 感じたことは 竹林も管理されず 道路や住宅で 地脈が ズタズタにされて 本来のエネルギーではない状態で なおかつ この土地を発見したと 豪語している 自分はひとよりも 特別な存在と思い お金を強要して 一方的に自分の 価値観をひとに押し付け 毎月行う護摩炊きに 使うヒノキの葉を 上から目線で 他人に提供を求めるような この土地を管理する山伏 (わたしは実際このひとの ブログを読みました) に さらに土地を汚くされながらも この土地が その山伏がしたいようにさせて 抵抗せず 自身をゆだねている様に 「ここを訪れるひとが ゼロ磁場だとか エネルギースポットだとか そういうものに 自分とは違う 「特別性」を感じて 自分にはないものを 「補おう」として来ているの だとしたら それは違いますよ。 あなたは あなたが思う以上に すばらしいのです。 どうか 自分を信じて 「外」に 求めないでください」 その思いを 伝えたいから あえて その山伏に 好きにさせている その土地の思いを 強く感じました。 自分が 汚された。 傷つけられた。 そんなことも 気にも止めず 自分の伝えたいことを 伝え続けることを 貫き通す。 わたしには まだまだ無理ですけど その姿勢に この土地から 「愛とは何か?」 ということを 見せてもらった 気がします。 自我に溺れ この土地を 汚し続ける 山伏が いてくれたおかげで この土地の存在を わたしは 知ることができました。 そのことに わたしが 感謝できる機会も 「すべてをわかったうえで」 自身を山伏に好きにさせている この土地が 与えてくれたものでした。 愛って ごっついなぁ。 この土地にとったら この山伏も 愛おしくて どうしようもない 存在なんやろな。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |