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カテゴリ:キリシタン
【お寺の石垣】 これは会津のとある村にあるお寺の入り口付近の石垣です。車が止まっている向こう側で少しクランクしています。お寺にはまったく似合わない石垣なのですが、ここは少なくとも蒲生氏郷が会津へ入封されるまでは、この周辺を納めていた土豪の館跡です。そしてその土豪は帰農しています。 この写真をここに提示するのは3回目になるかもしれません。最初にこのお寺へ行った時から、この石垣が気になって仕方がありませんでした。一見、落とし積みのようにも見えますが、どの石にも加工した跡がありません。ですから、会津ではかなり古い時代の野面積みに属するものであろうかと思われます。そうすると、この石積みは穴太衆によるものであろうかと思われるのですが、『天正十九年蒲生家家臣帳』には、この土豪の家名は見当たりません。 そして、このお寺は時宗の大寺なのですが、境内に観音堂が建てられています。時宗は念仏宗の一宗旨ですから、観音菩薩像が祀られたお堂があることが不思議に思えます。また、宗門人別制度が施行されていこうに、檀家の人々が観音菩薩像を祀った観音堂を建てたとも思えません。 ただ、気になることがあります。それは、この土豪が帰農した村の墓地には、形式的には比較的新しい宝篋印塔や、伊那谷で見かけた十字墓にそっくりな十字墓が残っていることです。この村が、前述の土豪が帰農した村であることは、村の中に伝承が残っています。ですから、この石垣は館の入口の名残であろうと考えられます。そして、ここに時宗のお寺が移って来たのは、土豪が帰農してからであろうと思われますし、もしかすると観音堂は、それ以前から建てられていたのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.27 22:41:55
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