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家族機能不全という言葉が言われて久しいですけれど、誰がいいとか悪いとかラベルを貼るのはもう程々にして、それぞれの抱える問題にそれぞれが向き合い解決できるよう、様々な支援をしています。当事者性を基本にした複合的援助は世界でも類をみない先駆的な援助システム。ドンキホーテに負けずに、無謀に突進する家族再生支援・・・おっと家父長制家族の再生との誤解はしないで下さいね・・・暖かく見守って下さいね。 じゃふぁれくの日記 [全2351件]
昨日は某NPOの総会で一日過ごしました。まあ、そこそこの会員数のNPOの総会はこんなもんかなあ、なんて、メンズカウンセリング協会の総会との雰囲気の違いを感じました。 総会の後は会の報告会やら昼食会やら。その後は、ターミナルケアの専門の立派な大先生のお話でした。どこかで聴いた事のある名前・・、よー考えたら、協会の講座を山科のアスニーでした時に、向かいの部屋でやってた講座やーと、気づいたと言う訳。なんと世間は狭いものよ。 協会の講座は1500円で、向かいの講座は一万円。ーん。やっぱしちがう。これだけ値段がちがうんじゃーと、妙に納得。それもそのはず、昨日の講演からプロフィール探ってみると、それはそれは・・・もう、すごく立派で、これはすごい。 それに引き換え、私はねぇ、世間ではまったく相手にされんよなあ、男性運動あがりで、運動仲間からも見放され、ひとり意固地になって活動を続けてる・・・ようにしか見えないしねえ。ましてや(冤罪)セクハラカウンセラーだし。 けれど、彼の講演を聴きつつも、世間ではどうにもならない難儀な問題を抱えてきた人たちの話しを毎日聞いてる私には、ごく当たり前のことで、特に目新しい事もなく、私の援助実践の確認ができたと言う事。それはよかったです。 大先生も同じスタンスで対応しているのだから。とはいうものの、彼のターミナルでのスタンスがどう言うもので、自分の人生と逝きつつあるクライアントの人生とどう擦り合せているのか、その辺りが聴けなくて残念。 魂のカウンセラーの私としては、クライアントの魂と裸で向き合うけれど、彼は裸ではあり得ないだろうし・・どうしてんのか興味津々。裸でストリートカウンセラーを目指す私と、アカデミズムやら医療界の頂点でも立派に仕事をなし得る彼と。天と地の対極を感じつつ、妙に納得し、自身の裸の清々しさやら、クライアントに向き合う楽さをあらためて実感することのできた、いい講演でした。 明日というか夜があけたら、私の講座です。メンズカウンセリング協会の、ファシリテーター養成講座・第二講です。みなさん、ぜひご聴講にいらしてくださいね。山科は駅前アスニーです。朝は男性学について、昼からはカウンセリングの理論とワーク実践です。おまちしてまーす。
昨夜は女と男のワークの最終回でした。久々にきてくださった方もいてうれしく思いました。全六回の最終日ということもあって、それぞれがそれぞれにメッセージを届けると言うワークを行いました。 語り合う中で、みなさんお互いを理解し受け入れていってるんだなあ、とあらためて実感しましたし、心あたたかくもなりました。 で、私に対してもみなさんいろいろ理解してくださっているのがよくわかりましたし、それぞれ私らしい所を理解してくださっているのが有り難く感じました。 けれど、ワークであろうとなかろうと私の全部を理解する人は私以外は神しかいない訳で、私の全部を万一理解する人がいたら、その人は私に対してどんな感情を持つのだろう・・なんて妄想もしてみたり・・・。 それにしても、私の中にはさまざまなキャラがいて、それぞれが私なんだけれど、トータルで言えば混沌としか言いようがないのかも。 次回は六月八日金曜からまた、全六回のワークがスタートとなります。大阪近辺の方で少し自分と向き合いたいとか、他者と本音で語り合いたいと言う方は、ぜひご参加くださいね。申し込みは075-583-6809へ。参加費は通しで六千円一回では1500円です。
昨夜の男ワークは「無意識や感情に対する受容」というテーマなんだけれど、ワークは「怒ろう」と言うワークを行いました。 一般には感情と行動を分けて考える事はなくて、感情も行動も、意識も無意識もごっちゃなものとして認識されているようです。 けれど、少し心理について理解できたら、感情と行動は別物と理解できるし、意識と無意識が別のものという事も理解できます。 行為としての暴力の背後には怒りや痛み、悲しみなどの感情があり、その背後には認知という思考の枠組みもあります。感情や認知、それ自体は直接問題になる訳ではありません。 なくすべきは暴力なのですが、混同して考えると怒りが悪いもの、と考えて、怒るな、ということになります。が、感情を抑圧しても、やがて、怒りは爆発するか、そのエネルギーがどこかに噴出して別の問題を引き起こします。 ですが、怒りと言う感情を自分で理解し、それを非暴力の形で表現する事も可能です。さらに怒りの背後の感情や認知に関しても理解が進めば、怒りとしてではなく、悲しみや痛みとしての表現も可能かもしれませんし、状況に対する理解も変われば、慈しみの感情が湧いてくるかもしれません。 昔々、オリンピックの選手が表彰台で黒い手袋をした拳を高く突き上げて、人種差別に対する怒りを表現していました。あの拳の表現する怒りは、だれの心にも届いたのではないかと思いました。 ワークの中で私もしつかり語らせていただきましたが、私も昔は暴力青年でしたし、怒りを暴力的に表現する事で自分を支えてました。 けれど、今の私は非暴力で生きる事を選んでいます。闘いはできるだけ避けたいと思います。法的な闘争としての裁判も、私としてはあまり好きではありませんから、こちらからの宣戦布告としての控訴は避けました。 けれど、私は理不尽な提訴、不条理な判決に対して、怒りの感情があるのは事実です。もともと昔から持ち合わせていた社会に対する怒りと言う感情は消えてる訳ではなく、変わらず沸々と湧いていますし、今回の訴訟でそれがまたより強化されたと言うもの。 この怒りが私の活動のエネルギー源である事も事実。不条理や差別、抑圧に対しては、やはり怒るべきであって、容認すべきではないと考えています。 現実を見ろよ、なんて言う人もいるかもしれません。私が大人げないと言う人がいるかもしれません。言わせておけばいいのです。私は子供の頃の怒りを今も持ち続けているし、その部分は子供のまんまです。 こんな私が私で愛おしいと思えるから・・・私はほんと幸せもんなんでしょうねえ。 どこかでは一回五千円ほどする加害者プログラムもあるらしいけれど、そんなバカ高い値段で参加者の心を緩める事ができることはないだろうし、心緩めなくてもいいプログラムであれば、DVはなかなか克服できないのじゃないかな、なんて感じたりもします。 さてさて、今夜は大阪で女と男のワーク・・男女混合だと、怒りに対する語りはどう変わるのかな・・わくわく。
今日もバタバタと忙しい一日でした。午前中はメンズカウンセリングの学習会・・・とは言ってもいつものお客さんはみなさんキャンセルで、新しいゲストと深ーいお話。 現在の精神医療の矛盾や、投薬やカウンセリングの限界について。もちろん、心理学の各学派の理論やその応用の功罪などはある程度説明した後のことですが。 そんな話しをしてて、実感したのが私はほんと恵まれてて、ラッキーボーイ・・失礼ラッキーおじさんなんだなってこと。例えば、今回のえん罪裁判で、行政からはほとんど干されているし、多少は関わってた、専門家と言う人たちからは距離を置かれたりもしたけれど、私はほとんどダメージをくらってないのです。 というのは、これまで私は行政や企業の助成金とか補助金、委託金などをなかなかもらえず、施設利用者の利用料や援助料金だけで運営してきましたから、補助金打ち切り等におびえることなく、やりたい援助ができると言うこと。 また、今回のような経済的に苦しい時に、多くのクライアントや援助仲間たちが、私を支えてくれた事。彼らには感謝してもしきれません。ほんとに多くの人たちに信頼されていることの有り難さも実感した次第。 そして、私がいわゆる家計のための賃金労働をしなくても普通に生活が営める自立家族を維持して来れた事、その家族は私が馬鹿なセクハラ訴訟でマスコミにも報じられても、動じる事なくたんたんとしてくれてた事・・・など等 ほんと私はラッキーおじさん・・・幸福の科学の顧問にでもなれそう・・。そしてこんな私だからこそできるカウンセリングがあるということ・・・・も話したかな。 様々な技法や知識だけでなく、どんな状況でも・・・丸裸であっても・・・社会から疎外され、孤立していても・・それでも自分を見失わず、他者とのいい関係を構築しうる、人としての体験や自己肯定力・・・いわゆるソウルパワーを持ってるということが、いかにカウンセリングに大切か・・・。 えん罪セクハラカウンセラーならではのソウルフルカウンセリング・・・自画自賛です。こんな私のカウンセリングを求めて、今日も緊急にお二人の方がこられました。 どこにいっても、聴いてもらえなかった、どのカウンセラーとも相性がよくない・・そんな方がおられたら、私のソウルフルカウンセリングをうけてみたらは・・なんてご紹介くださいねー
今朝は走りだしから体が重く、いつもの八割くらいのスピードしかでません。それでタイムは気にしない事にして、その分距離を伸ばそうと言う事で、12キロにしました。 以前二十キロまでのばした時に、筋肉を傷めたみたいで、その後しばらくお休みしてましたが、トレ再開後も無理せず、十キロを走ってました。 この歳だからでしょうけれど、筋肉の回復や増加の速度は遅く、萎縮の速度は速まってるように感じます。ですから、無理を重ねると、回復不能なダメージになりかねません。その分、上手にトレーニングする必要がありそうです。 だから私はまず無理しない、しんどくなるほど走らない、事を優先しています。と言う訳で、今日はちょーノロノロペースで走ったと言う訳。 今に始まった事ではないけれど、体にむち打つ事はやらず、体のメッセージを良く聴いて、体と相談しつつ走るのがベストと考えています。ですから、他人との競争にはなりません。 近代の価値観は、身体を道具として社会の求めるスタンダードにあわせて用いる事が、正しい「体操」なんでしょうけれど、私はスタンダードは用いず、体や心のメッセージと意思とを対話させて、最適な運動を決めていきます。 その基準は快感・達成感・や苦痛とかダメージのバランスでしょう。その辺りが相談事です。どんな低レベルでも、楽しく気持ちよければ、次回もやろうと言う動機付けにはなり得ます。 繰り返してやっていれば、少しずつレベルがアップしていくと言うもの。年齢に関わらず・・ということで、美しき還暦・・目指して、走り続けましょう。 ![]() ![]() 箱根うつぎは開花時は白く、時間が経つにつれて赤く着色していく面白い花です。次々咲くのでこれからしばらく楽しめそう。 ![]() 落とし文、公然とは言えない事をしたためた文書を道ばたに落として、世間に伝える文書を落とし文と言うらしいけれど、ある種の昆虫の幼虫が育つベッド(揺籃)がその巻物に似てるから、その昆虫をオトシブミと言います。オトシブミにもたくさんの種類があって、揺籃が実際に地面に落ちるものもあれば、写真のように落ちずにぶら下がったままのものもあって、それはオトシブミの種類によって違うとか。
今日もなんやかやと忙しい。午前中掃除の後は某テレビ局の記者の取材でした。引き離し関連です。ひき離しとはどう言うものか、DVとはどう言うものか、その実態をお伝えしました。 それにしても、日本の世論もマスコミも遅れてて、世界の常識から如何に日本がズレてるか、こられた記者さんにお話ししました。 午後からは、ビジテーションがらみの打ち合わせ。これから、晩ご飯の後、夜はカウンセリングと、けっこうバタバタです。 そうそう、今朝は金環蝕だったけれど、すっかり忘れてて、チャボの餌やりに外にでると、近所の子供たちが太陽を専用メガネでみてました。で、少しメガネを借りて太陽を覗いてみると、三分の一くらいが隠れていました。そういえば少し日差しが弱いかな、と言う感じ。 太陽だの月だのは、観測して予測できるけれど、人の心も人間関係も、そして国や世界も、人が関わる事に関しては、予測はほとんど不可能。何がどうなるか、一体誰にもわからない。 けれど、その現実を見たくないから、確実な情報を得て安心しようとするのが人情。けれど確実な事はなにもありません。いつ大地震が起こるのか、どんな津波がくるのか、その結果原発が壊れてメルトダウンする事もその後の収束の道筋も・・・誰にもわからなかった現実が進行しました。 はっきりしてるのは、絶対安心、安全、という言葉がウソだったということ。私はそんな言葉ははじめから信じてないので、驚きもしなかったけれど・・。 これからの世界は一体何が起こるか・・・だれにもわからない・・・だから、今の暮らしを大切にしたいし、日々を悔いなく生きていたいとも思います。人になんと言われても・・ね。
このところ、カウンセリングがそこそこ入ってて、いろんな方のお話を聴かせていただいています。積極的傾聴とか、非指示的傾聴とかで、カウンセラーは自身の価値観や体験を話すべきではない、とするカウンセラーも多々いるようで、多くのクライアントさんの語りから、そのことがわかります。 もちろんクライアント中心療法の意味はわかってて「語らない」ことの意味は理解しています。カウンセラーが語る事で、クライアントを誘導してしまう、コントロールしてしまう事を自戒する、と言う意味では確かに語るべきではありません。 が、クライアントが「カウンセラーの価値観について聴きたい」とか、クライアントが知らない事をカウンセラーが知っているなら「教えてほしい」とか、カウンセラーの体験を共有したいとか、クライアント自身が考えていたら、それに対して真摯に応えるべきと言うのが私の判断です。 もちろん、どこまで話すか、何を話すか、どのように話すか・・・これは正解とか正しい基準なんてものはありません。その場その場での状況や関係、によって判断します。このあたりは直感です。 で、話す内容は、私の体験や価値観について、あるいは社会学的な事だったり、医学的な知識だったり、はたまた、おバカな話しだったり、ほんといろいろです。このあたりは体験や知識に基づいての事です。 今日は三件のカウンセリングをしましたが、そのいずれも、結構聴くだけでなく話しもさせていただきました。えん罪セクハラカウンセラーにされるまでのいきさつも含めて語らせて頂いた方もおられます。 そう言う意味では、ほんと私はよく語るカウンセラーでしょう。一方的に聴くひたすら聴く、のはクライアントがそれを望んだ時はそうしますが、そうでない時は相互に対話しつつカウンセリングを進める事も少なくありません。 先日も私の体験・・・LDと社会不適応、不安発作とアルコール依存、そこからの回復、を語らせていただきましたが、様々な困難を抱えている当事者の方はもちろん、家族にそういう人を持つ人の苦悩について、私の体験が多少はその方たちの状況を客観視するには、役に立つようです。今は、えん罪セクハラカウンセラーというラベルを使うのも私のカードの一枚にできそうです。 そこそこ勉強ができて、ちゃんと心理系の大学を出て、立派な資格を持ち、正しい理論に基づいて潤沢なスキルを使える、そんなカウンセラーは山ほどいるでしょう。 けれど、そんな方は、正しい枠を設定し、枠の中で安全に、クライアントとは距離を保ち、クライアントが自己決定できるよう、問題を明確化し、時には自身と向き合うよう対決を求め、過剰には介入せず、必要なら専門の方にリファーして手放す・・・・のがまともなカウンセラーのやり方なのかもしれません。 が、私はそんなことはできません。枠を超えて、リスクを共有し、必要であればクライアントとの距離も近く寄り添い、様々な知識を伝え、クライアントの認知を解体再構築すべく、様々な視点での見方を提供し、適度に助言し必要な程度に介入もし、専門家の扱いについて戦略会議も行い、必要であれば人生の物語を共に歩み続けもする・・・そんな私の援助は、やはり希有だろうし、誰にでもできるものではなく、ましてや、立派な先生にはなし得ない、アウトローならではのカウンセリングなのでしょう。 でもねえ、私だけの職人技にしておくつもりはなくて、いろんな人に私のスキルや知識を学んでほしい、と言う気持ちです。そのためには、エライ先生志願の方ではなくて、困難を乗り越えてきた、乗り越えようとしている、当事者の方にこそ、私から学んでほしいと願わずにいられません。 ああ、今日もまじめな事を書いてしまった。もっとアホな事も書きたいんですぅ。チャボを台所で飼ってるとか、事務室ではインコを放し飼いにしてる事とか・・・ |一覧| |
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