カテゴリ:「お家」迷信
ことさら「伝統」(明治以後の伝統だが)を強調する安倍内閣の誕生によって、「選択的夫婦別姓」制度の実現が遠のいた、という話があった。「同姓でなければ家族の一体化を失う」という強い意見がある。
(同姓でなけりゃ一体化を失う、というのが正しいなら、子どものときから兄弟で「○○宮」「□□宮」をつけられてお育ちになった皆様方は、たいそう××なご一家なんでしょうね。安倍さん。) ただ、私が懸念するのは、「いまの日本の状況」のもとで、夫婦別姓が新たな差別、人権侵害につながらないか?ということ。 世界の「別姓」制の国の中で、たとえば韓国北朝鮮は、基本的に女性差別に立った別姓制度である。昔の日本でもそうだったが、跡取りは長男であり、「嫁」は跡取りを産むための存在。(「お家」の存続で大変な皇太子妃の苦労でも分かるとおり) じゃあ、いまの民主主義日本に封建主義は残っていないのか? たとえば、離婚するときに「佐藤花子さんは山田家の人間じゃない。跡取り息子の太郎君は山田家のものですから、花子さんだけ出て行って下さい。」というようなことを堂々とやられるのが、韓国式別姓制度。 日本で結婚するとき「妻の姓」にする人が約3%。どっちの姓を名乗るのも自由であり、どっちの姓を名乗っても、戸籍は新たに作られるから、「別の家」の扱い。 現実では、結婚のとき「養子縁組」するのは圧倒的に「妻の両親と夫」であり、「夫の両親と妻」というのを聞いたことがない。(私の交友範囲で) ※養子縁組してない姑さんと嫁さんは、血縁がない以上、基本的に「他人」である。扶養の義務も相続の権利も発生しない。すべては「人情」による関係である。 したがって、「妻の姓」にした男性は「養子になったんか?」とよく言われるが、「夫の姓」にした女性が「養子になったん?」と聞かれることはまずない。妻の実家は「跡取り」が欲しいから、養子縁組をして「○○家」を継いでほしい。けれど、夫の実家は別に養子縁組しなくても、「○○家」は存続できる、というところに差がある。 別姓に反対する人が多いほど、こういう状況も強いと想像がつく。 「苗字がかわるのは不便だ」「慣れ親しんだ姓名を変えたくない」という事務や感情で論議するのもいいけれど、「家制度」にもとずく「実害」の可能性をまず潰すことを、「別姓制度賛成」の側の皆さんは積極的に考えてほしい。「別姓」を悪用する連中は必ずいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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