家の周りを三十分余り散歩して戻って来ました。家を出た時にはまだ西の空にわずかに太陽が残っていました。その空をジェット機雲が白く一筋に西に向かって走っていました。小さい黒犬を連れて散歩する若い女性や、家の前で立ち話をする老女と若い男性の姿などがありました。しかし歩いている内に陽は落ち、周りの風景は薄暗くなりました。家々に明かりが付き始めました。遠くに見えるトーランスやロサンゼルスの街にも光が輝きだし、すっくと立つパーム・ツリー(やしの木の一種)が影絵のごとく見えていました。
暮れなずむその時の散歩で考えた事などを今日のブログで書こうかと思いましたが、タイトルを「たそがれ時」にしようか、「暮れなずむ時」にしようかとちょっと迷いました。念のためにその二つの言葉の違いをネットで確かめて見ました。その結果がちょっと面白かったので、急遽タイトルを「日本語の美しさ」としました。
まず「たそがれ」は語源由来辞典に「夕暮れの薄暗い時、夕暮れ」とあり、更に下記の説明がありました:
黄昏を古くは「たそかれ」と言い、江戸時代以降「たそがれ」となった。薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という意味で、「誰そ彼(たそかれ)」と言ったことから、「たそかれ(たそがれ)」は夕暮れの時をさす言葉となった。
次に「暮れなずむ」を調べました。NHK放送文化のサイトに「完全に日が暮れそうでなかなか暮れないでいる状態、つまり日が暮れかかってから真っ暗になるまでの時間が長いことを表します」とあり、更に下記の説明がありました:
まず「なずむ」という動詞があります。これは「水・雪・草などに阻まれて、なかなか思うように前に進めないこと」を表す伝統的なことばで、古事記や万葉集にも出てきます。このような意味から広がって、物事がなかなかうまく進まなくなること、また、しようとしていることがうまくいかずに思い悩むこと、なども表すようになりました。「暮れなずむ」というのは、この「物事がなかなかうまく進まなくなること」の意味を生かしたことばです。「暮れなずむ空」「暮れなずむ春の日」などのように使います。なお「暮れなずむ」と近い意味のことばとしては、「春の季語」の「暮れかぬる(「暮れかねる」という意味)」「暮れ遅し」「夕長し」なとがあります。これらも、暮れそうでなかなか暮れない状態のこと、春の日足の長いことを表します。
今日の私の散歩はわずか三十分余りでしたし、その間に日が暮れたので、この言葉の本来の意味からすると、「暮れなずむ時」の表現はちょっと違うなと学びました。今日の日は「なずまず」、比較的早く沈んでしまい、暗くなりました。いずれのしろ、今まで気軽に使っていた「暮れなずむ」や「たそがれ」がその生まれた背景を知る事により、日本語の美しさと、それらの言葉を生み出してきた先祖の思いに触れた感じがしました。山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」も江戸時代以前の話であれば、「たそかれ清兵衛」となったのでしょうね。(終り