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テーマ:妊婦さん集まれ~!!(4741)
カテゴリ:医療
この日記について、天真さんよりレスがついたのでそのお返事を。
********** >大谷医師に着床前診断の申請を頼まなかった理由ですが、既に学会を除名されており申請する資格を喪失していたためと、 それは知りませんでした。この部分は納得です。 >後に続く患者さんのために正面から学会を説き伏せたいという気持ちが強かったためです。 残念ながら、ここはよくわかりませんでした。「正面から説き伏せたい」というのは、「言ってもダメだからやってしまおう」ということですか?要するに、既成事実を先に作ってしまうということでしょうか。だとすると、日記で書いたワタクシの懸念はますます強くなるわけですが。 それとも、「正面から説き伏せ」るのは天真さんご自身で、学会から除名されている大谷医師よりも、実際に認定(承認?)を受けた天真さんの方がより説得力があるので、ということでしょうか。確かに、患者さん自身が身をもって訴えた方が先方も無碍な対応はしづらいのでしょうけど・・ >また、『救える患者』ですが、これは遺伝病や繰り返しの流産・死産で苦しむ不妊患者のことを指しています。 なるほど、遺伝的な病気を患って生まれてくる(可能性のある)子供、もしくは将来発症する可能性のある子供の話ではなく、あくまでも、子供を欲している親の話だったのですね。了解しました。 >排卵誘発剤を投与しても、採卵で得られる卵子の数は高齢になるほど少なくなってきますし、受精卵を子宮に戻しても着床する確率は下がっていきます。赤ちゃんを望む患者さんに、残された時間はあまりないのです。 【着床前診断】が、『不妊治療の技術である体外受精を利用し、染色体や遺伝子の異常などを検査、多数の受精卵から問題のないものだけを選んで着床させる』という定義で正しいとすると、何故、天真さんのこの主張が着床前診断を是とする根拠になるのかがわかりませんでした。すみません。 ワタクシの知る限り(・・とは言え、とっても制限的な知識ですが)、着床前診断そのものは『(優劣の)選別』をしているわけです。『(命の)選択』としてもいいのですが、不妊がどうのという議論の前に、ワタクシは、ある突出した技術を持った人の裁量で手を加え(命の)『選別』『選択』をするのはいかがなものか、と問うているわけです。 天真さんの論拠を伺っていると、「親が子供を欲しい」→「でも何か問題があるかもしれない」→「そうなると中絶・流産するかもしれない」→「それは嫌だ」→「そうなる前にわかるなら取り除いてしまおう」・・という風に感じてしまうんですが、それは違うのでしょうか。 遺伝的病気を持って生まれてくる(きた)としたら、現実的にはそれはその親子にとっては大変つらいことです。着床前は『命』ではないとするなら、その時点で『治療』出来ればいいことだとは思います。ただし、それには基準が必要だろう、と。基準が曖昧だったら、医療技術が進んだ暁には、『頭の悪い子はNG』『脚の遅い子はNG』なんてことも起きかねません。まぁ、これはマンガみたいですけど。 >私たち夫婦は学会に承認されたので、なんとか救われましたが、日本には同じように悩み苦しむ患者さんが多数いると思われ、彼らは未だ救われていないのです。 質問ばかりですみません。「救われた」というのは、「着床前診断が認められた」→「問題のある(またはありそうな)受精卵を選り分けられる」→「安心して赤ちゃんを産むことが出来る」という解釈でいいでしょうか。 >「多数」と言っても、何の問題もない健常者と比べればごく少数に過ぎません。そして残念ながら、「コンセンサス」とは多数派が作るものなのです。 『選別』『選択』によって排除される受精卵もそう感じているかもしれません・・ >誤解を恐れずに申し上げれば、追い詰められ切羽詰っている患者は「社会的な同意」など必要としません。 どういう解釈が「誤解」なのかは不明ですが、これこそ「やったもん勝ち」と言っているようなものではないでしょうか・・自分の欲求を満たすためなら、(現状の)ルールなんて構ってられないという風に聞こえてしまいました。 >少数者の正当な権利は、闘って勝ち取るものと思っています。 だから、それが正当な権利かどうかを問うているわけですよ。「闘って勝ち取る」=「まずは(承認されるよう)行動する」という図式だとすれば気持ちもわかりますが、その「行動」が「やったもん勝ち」ではおかしいのでは?と話しているわけです。 >国や学会などの第三者ではなく一個人、すなわち当事者たる患者本人(医師ではありません)に決定権を与えても良いのではないでしょうか。 このような論理が認められれば、自殺についても肯定せざるを得ません。自分の命、存続させようが断絶しようがその人の勝手、という風に。まぁ、これは論理の飛躍ですが、仮に天真さんの言うように当事者に決定権を与えるとしたならば、その権利を持つのは『選別』『選択』される当事者である受精卵かもしれません。それらの受精卵はきっと叫んでいますよ・・ 第三者が決めるな、って。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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