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MIMIC LYRIC

MIMIC LYRIC

人生ゲログロ


わたしは過食嘔吐歴十六年です。何とか2000年に克服しました。
しかし、吐きだこ、溶けた前歯、内臓下垂は治りません。
皆それらはわたしが戦った証、消したくても消せず残る痕跡。

酷いときは朝から晩まで金銭換算五万円以上も食べては吐いていました。
治ったのは、其れがポイントでした。
稼ぐに追いつく浪費で、食べ物が買えなくなったのです。盗むしかありません。
スリ……万引き……そんな誘惑がわたしを引っ張りました。

が、其処まで自分を追い詰めて、やっと治ったのです。

治ったきっかけは実に簡単でした。母の一言です。

「もうパン買うお金ない」

ガーーーーーンときました。

過食嘔吐の人は、何故か炭水化物に執着します。わたしもパンなら一斤どころ三斤くらい平気で牛乳と一緒に胃に放り込み、直ちにトイレへ直行、ゲロゲロ。
気持ちいいんですよ、口から胃へ行くのと逆に、胃から口へ流れる感触が。

でも汚いです。トイレはとっび散ったゲロで黴だらけ。便器も裏側などに黴が生え、ドメストで懸命に擦りました。
そうです、家族は皆知ってるのに、隠そうとしてたんです。
バレて当然なのに。あんだけ食べて体重が三十キロだったら、誰だって疑いますよね。なのに隠そうと必死で、バイトしたお金でパンの耳(安いから)買って、百グラム四十八円の鶏挽肉炒めてパティを作り、チキンバーガーにして食べてたんです。自分の部屋で、こっそり、でもばればれで。

母は知らぬ顔しながら、わたしが吐くためのパンを、雨の日も暑い日も買っていてくれたんです。でももう、母の自由にできるお金では賄えなくなって。
あの一言。
「お金ない」
物凄いショックでした。

その瞬間から、わたしは悪いことをしているのだと、正直に認め、きっぱり吐くのを止めました。
自分の食べたもの、食費、体重を毎日日記に書き、何時に吐きたくなったがどうやって思いとどまったかをも書き、何度も読み返し、医者の手を借りず、自分で治しました。

母が余りに可哀想で。よろよろのわたしがやりトイレ掃除なんてたかが知れてます。母は一日何度もわたしのゲロを拭き、ゲロの臭い漂うトイレで泣き、スーパーの安売り品を買っていたのです。

自分の愚かさに気がつけば、きっと治ります。
悪いことなんです、過食嘔吐は。
カウンセラーに騙されてはいけません。「はいちゃう自分を許していいんだよ」なんて、人生の価値組みが負け犬を憐れんで吐く嘘です!
吐く前に緑茶でうがいをしろとか、指だと傷ができるからスプーンかヘラを突っ込んで吐けとか、バカらしいことこの上ない! みんな出鱈目、哀れみの戯言、優越感に浸るものの嘘っぱち、です!

悪いことは悪い、分かってるでしょう? でも止まらない、甘えてるからです。

凄く厳しいことと書きました。
非難ごうごう覚悟の上です。でも、親がいなくなって、生活保護受けながら八十過ぎても過食嘔吐続ける積りですか?
其処まで考えてください!
必死に考えてください!
わたしだって強制入院させられ、カテーテル通され、他人の食べ残し盗んでカーテン引いて食べてはいてしました。洗面所の三角コーナーに残った髪の毛の絡む唐揚げを口にしたこともあります。
そんな汚いわたしだから、言うのです!
夏休みは絶好のチャンスです。
治しましょう! 世界がぐっと広がりますよ。食べてはくために費やしたお金と時間を、もっと有効に使いましょう!
勿体無いです、わたしみたいになったら。


ブリミアン・デイズ。
夢中で食べて吐いているとき、何より怖かったのは、家族に知られること。
もう家族はとっくに知っていたのに、わたしは過食嘔吐始めたころは過食嘔吐たる言葉自体存在せず、異常な行為と受け取られた。
今だって充分異常なのだが、約二十年も前、家族はわたしの異常好意をどう受け止めていいかわからず、家族会議を開いたらしい。
結果、わたしは中学二年のとき夏休みの四十日間、押入れを改造した座敷牢に入れられた。本当のことです。

其の頃からもう三十キロくらいしかなく、学校から父充てに手紙があったそうだ。
「お宅の娘は異常な痩せ方であり、医師に相談を要する」との旨。

父は或る夜いきなり、前触れ一切無く、わたしの右頬を殴りつけた。痕で知れたが鼓膜が破れ、目が充血した。丁度か食して嘔吐一回目を終えたときだった。
「何で殴るか分かってるな!もう皆知ってるんだ!」
と怒鳴り、わたしの服を脱がせ、母がシャワーを浴びせた。まだ濡れている髪のまま、ミイラのように浴衣を着せられ、きつく縛られ、押入れに入れられた。
確か其れが中間テストが終わった翌週だった。
学校での家庭訪問でも「活発でリーダー的だが痩せ方が問題」といわれ、家では何時父にばれるか怯えていたのだが、大人というのは中学生の考えるほど優しくは無く、とうに連絡済で、其の日から学校を休まされた。
夏休みまではまだよかった。少しは自由にトイレへ行ったり友人と遊んだりできた。
わたしは学校を休んだまま、体操初心の部長の座が盗られると言う危惧しかなく、まさか家庭内であんなお仕置きを受けるとは思いもしなかった。

兄と父とで、わたしが外出中にわたしの部屋の押入れを改造し、鉄の網を張った。
丁度七月二十日、通知表を母が取りに行き、わたしは耳鼻科を受診して夕方に帰宅した。
「鼓膜破れてただって」
と、母に言い、さあ食べて吐こうと、パンの袋に挑みかかったときだった。
父が後ろから抱きつくようにしてわたしを部屋へ引き摺り、改造した押入れへ放り込み、粘着テープでしっかり閉ざした。

「上からも下かも同じで、便所に顔をケツ突っ込んでいるんだ、其処で食事も寝るのも出すのも吐くのも全部やれ!」

父の言葉。家族みんながわたしを心配していたのは、今なら分かるし受け入れられる。でもあのときはショックで本当に死にそうだった。
サザエさんちではないが、うちではお仕置きは倉庫か押入れと決まっていた。
だから慣れてはいたが、其の頃は危機感が無かった。吐かなくてよかったから。
けど、あの頃は違う、吐かなくてはならないのに、トイレへ行けない。ぎゃあぎゃあ喚いていたら、父がうどんとビニール袋を持ってきて、隙間から差し入れた。

「ビニールに吐け、小便も其れでやれ」

ショックだった。投獄は延々四十日間続いた。
本当にわたしは、四十日間、ビニール袋に排泄し、嘔吐し、その臭気立ち込める蒸し風呂のような押入れの中で暮らした。
夕方母が一緒に風呂に入る。わたしは少量しか食べさせてもらえないので、中々上手く吐けず、でも熱中症のようになって絶え間なく下痢をして、お盆の頃には二十八キロになっていた。
兄は高校生、わたしを汚い、と罵り、たまに食事を運んでくるとき、いかにも嫌そうに九歳を連発して、わたしに少しでも触らないようさっと置いて逃げ去った。
毎食何故かうどんだった。父に言わせると、水分塩分エネルギー全部がまとめて摂取できる」からだった。

わたしは其の汚物の中で宿題をやり、ビニール袋に絶えず下痢便を垂れ、同じ袋に吐いた。

おぞましい。生半可なスプラッターよりずっと衝撃的だ。

八月三十一日、もうわたしには時間も日付も分からなくなっていたが、わたしはやっと外に出された。
以前よりずっと痩せていた。二十五キロだった。血尿も常時出て、下痢が止まらず、脱水状態にあった。半ば気を失い、父の車で病院へ運ばれた。未明の午前三時だった。
何故そんな時間に? と思われるが、わたしが奇妙なうめきを発したらしい。
「むぐをおおおお」
みたいな。其れが長く長く続き、父が寝て寝ていられずに見にきたら、汚物の中でわたしが失神していた、という。

ちゃんと洗ってから病院へ運ぶところが父らしい。わたしは恥を掻かずにすんだ。
が、両親は大恥を掻いたようだ。意思からこっぴどく叱られた。
「自分の子供を殺す気ですか!?」と、医者。
父は何と、「このままなら死んだほうがいいと思った」といってしまった。

わたしは其れを兄から聞いた。さすがに兄は真剣心配して、というか、兄だけが正常な心配の仕方をしていた。
母はおろおろするだけ、父は内の育て方だと医者に噛み付き、わたしは九月一杯入院した。
中学二年のとき、凡そ四ヶ月連続して休んだことになる。
入院生活の中、点滴で強制的に四十キロまで肥らされた。
衣替えの頃復学し、休んだ分頑張っていたので、テストでは上位を占め、体操部でも大会、インターハイに出て活躍した。
結局何も変わらなかった。
退院当日の夜から、わたしは顔を便器に突っ込み、吐いた。昼食べさせられた親子丼の米粒が形状を残して便器に浮かんでいた。
父はもう諦めたように、食パン三袋を貪り食うわたしを見ていた。吐きに行くときも何も言わなかった。

わたしは十五歳で、狂ってしまったのだ。
狂いは今現在も続く。


働きながらゲロる日々。
わたしの勤務は米国だった。父はわたしを押入れに入れたときから既に癌をわずらっていて間もなく亡くなり、わたしはNYへ行った兄をおって、大学からコネティカットへ渡り、そのまま就職した。
大学の頃はあまりに勉強もアルバイトも遊びも忙しく、食べて吐くことは無かった。まあ、あっちの女子は殆どが肥満だから、わたしをやせっぽちskinnyと呼び、肥ることが怖くなかったのだ。
が、かの大会社へ入社したはいいが、変人が多く、勤務は激務、徹夜は週三回、納期に終われる中、徐々にストレスがたまり、過食嘔吐の先輩がみんなの前で堂々と過食嘔吐する様を見て、とうとうやってしまった。

っ人生ではじめて過食嘔吐したきっかけも、プレッシャーだった。一度いい成績を取ると、落とせなかった。部活では特に体型が問題となる協議なので肥れなかった。其の圧力で、小学校五年のとき極普通にはいてしまった。
其のとき見てしまった。朝食べた納豆やホウレンソウが、出るわ出るわ、洗面器一杯を満たすほどに出た。
「わたしってこんなに沢山食べていたの!?」
ぞっとした。此れが全部贅肉に変わるかもしれない、と思った。其の瞬間から、十六年にわたる過食嘔吐が始まった。
大学の間四年間だけ免れたが、高校大学受験も試験も修学旅行も、全部はいていた。まさにゲロ塗れの人生だ。
現在のわたしの歯は溶けてしまっている。。
こんなにも溶けてしまった。勿論吐瀉物に混じる胃酸で。
右手の吐きだこは今はもう孔になっているだけ。何度も魚の目を取る液体薬品で取ったからだ。

こんな歯、異常でしょう?
一目見てわかりますよ、同じ過食嘔吐者なら。ああ、この人も吐いてるなって。
みっともなく恥かしく許されないことです。

わたしのように、癌を患い鬱病に罹り、二十五キロの体重が十年も続いたような、惨めな生活は誰にもさせたくない。
服で体は隠せたが、健康診断ではばれた。カウンセリングを受けながらプログラムを組み、システムを構築し、営業のためご機嫌取りをした。
会社でも営業成績はよかった。だから過食嘔吐が復活した。大学では多分、優秀な人が圧倒的に多くて、プレッシャーが無かったから吐かなかったと思う。

それが実力主義の社会人になり、再び成績やランキングが心配に鳴り出すと、もう止まらない。また、接待のたびに多量の飲食物を胃に放り込むので、吐かなくてはやっていけなかった。
営業マンは、吐き上手が覆い。歩きながら、喋りながら、さっと吐く。
わたしはそうしろと教えられた。そうでないと肥満、二日酔いがまっているからと。
する積りの無い過食により再開した嘔吐は、金がある分程度が酷かった。
一ヶ月に五万円以上も(接待の会社負担を除く)浪費した。
ストレスからブランド品に走る女性も多いが、過食に走り、嘔吐に陥る女性も多い。
わたしはブランド品は余り興味がないので、全て食物に使った。
大人になった分、吐き方も上手くなり、下腹部を抑えるだけで吐けた。
会社でも吐いた。一人の部屋でも吐いた。休日が怖かった。
一人ぼっちの部屋で一日中、過食と嘔吐を繰り返すのは、あまりに惨めで孤独だった。
だから休日も出勤し、知らぬ間にデキる女になった。
自慢するけど、日英仏独四ヶ国語はぺらぺらだし、マレー、ハングルも話はできる。アラブも書けないが話せる。
だからわたしへの需要は高い。又も自慢だが、このリストラ嵐の中、ついさっきスカウトを断ったばかりだ。そのため今日は日記を書くのが遅れた。

わたしはまだ不安定だ。一応過食嘔吐は治まった。が、鬱病、解離性同一性障害、悪性リンパ腫を患っている。
きのう「そんなに死にたいんですか?」という一行コメントを頂いた。
「NO!」と答えたい。
わたしの自分へノ殺意は全く萎まず膨れ続けている。自殺願望とは全く異なる、殺意なのだ。決して死にたくは無い。殺したいだけ。

此れには日米両国の医師が困り果てている。
珍しい症例ではないが、癌まで重なるとそれらの因果関係に興味深いものがある、と。
せめてマウス並みに扱って欲しいが、治療費免除を受けているので文句は言えず、雑多な実験に付き合っている。医師は検査だと言い張るが、アレは実験だ。

何のかんの言っても、わたしは今生きている。多分災害が無ければ、明日も生き続けるだろう。死んだ心を抱えて。


おぞましき入院生活。
とびきり下品にいこう。
過食嘔吐は怖いぞお。汚いぞお。おぞましいぞお。
だってね、ゲロした便器に下痢便垂れて、拭いた紙落として、ゲロと大小便混じった便器にまた顔突っ込むンだぜよ。
あ~汚ねえ。

でも、入院中はもっとつわものがいた。
他人の食い残しを廊下で盗んでカーテンの中で貪り、まだ足りず、洗面の隅にある三角コーナーに溜まったゴミまで漁るのだ。濡れた髪の毛とか紙屑をまさぐり、米粒拾って、やっと嘔吐感がきて、吐くだけ吐いて、楽になるんだって。

其の子は一度吐いたゲロを、食う。牛じゃね~よ~、反芻すんなって。でもマジで吐いたものを食う。しかも、ビニール袋に吐いたものならいいが、ポータブルトイレに吐いたゲロを食う。下には当然大小便が沈んでいる。が、上のほうのまだ原型が残る麺類や肉や米を食う。
食うために一度目は噛まずに飲み下すのだそうだ。
そして胃酸で味が変わらないうちに、急いで吐く。そして手ですくって食う。そして又吐く。カップラーメンなら防腐剤のおかげで味が変わらないので、三回食えるという。人間止めてる、其の子は笑って言う。
わたしは其処までには至らず済んだ。
人間ではいられたみたいだ。

吐いて吐いて吐き捲くると、くたくたで一時は眠れるけど、真夜中にまた吐きたくなるんだな。
売店もしまってるけど我慢できず、母親が昼間もって来た菓子を貪り食う。
音がうるさくてこっちも眠れない。
で、ポータブルトイレにゲロされちゃあ、もうお手上げよ。ナースコールして洗ってもらう。
本人は固まって無言。卑怯だっての。でもねえ、あのにおいに一晩付き合うのは苦痛だよ。
なんかだんだんホントに下品になってきた。
まあいいか、どーせ大して見られないし。
ここまで読んだ人ごめんちゃい。
卯月には近寄らないほうが良いか?
それとも狂った世界を覗いてみる?
きゃは、年齢不詳って学校でいわれるから、プロフに108歳って書いちゃった。

108歳分は苦しんだよ。
リスカじゃ物足りず切腹までしたし。これホント。まだ跡が残ってる。当然か。
自殺志願者さん、やるときは人気の無いところでやりましょう。見付かると恥掻くよ。ついでにね、自殺未遂は自賠責で、通常の医療費の二倍取られるの。だから未遂は駄目だよ。ちゃんと死ななきゃ。
切腹は、包丁では無理。刺したはいいけど、引けないんだな。ぐにぐに内臓かき回してる間に見付かっちゃったのヨ、わたしは。
だからあ、首が良い。剃刀は良くない。あんまり深くは切れないから。やっぱ包丁でしょ。

刺したままでは死なない。ちゃんと抜かないと、出血不足で生き残る。
練炭で皆一緒は嫌だなあ。
死体って汚いよ。体中の孔から鼻水、涎、大小便垂れ流しになってさ。
首吊りなんて、首が二倍以上に伸びて、見れたモンじゃない。失敗も多いしね。

次は、青木が原樹海探検について書こうかな。
わたしも行ったのだ。死体も見た。死体がもってたカロリーメイトもご相伴させてもらった。全然怖くなかった。誰も誘ってくれなかったモンね。
幽霊も見なかった。歩き続けていたら道路に出ちゃってまた失敗。
あ~風呂入ろうかな。

昼間の雷でわんこが暴れて毛だらけだし。
飯食うのは嫌い。メンドー。作るのは好き。
食う寝る遊ぶ、どれも面倒。生きるのがかったるい。
わたしから輸血したら、多分極楽気分だろうな。医者がそう言った。なら出すなって。
薬だけで腹いっぱいなんだ。
ヤクチュー。
ちょっと古いけど、エクスタシー程度じゃ丸で素面だよ。
ダチュラもセブンスヘヴンもダミアナも、もう効かない。
アメリカに帰りたいな。ウィードパーティーが懐かしい。
こりゃマジで、地獄落ちだな。


医者は処方箋書きゃいいんだよ!
会社でトラブルが起きた。ご存知の方は多いと思われるが、コンピュータウィルスで、日本でもシステムダウンが頻発した。
ウィルス源は又もドイツのティーンエイジャー、負けてるこっちがアホに思える。
そうなると欝が酷くなる。
六年前なら会社で食べ吐きしていただろう。
そう、一九九九年十月の最後の点滴入院まで、わたしは時処構わず過食嘔吐していた。
同じ病の人はお分かりと思う。ストレスが全て過食嘔吐へ向う。
決して過食だけでは済まされない。吐くのを前提とした過食だ。

あの頃は百グラム単位で計れる体重計、体脂肪計を使い、少しでも肥るほうへ傾くと、真夜中でも無理矢理食べて、吐いた。
食べ無くては吐けない……という時代は学生の頃、過剰なプレッシャーのかかる会社では、食べずとも胃酸だけが吐き出された。

そうすると歯に凍みる。だからわたしの前歯は、歯医者へ行くのが怖いほどに溶けている。実際去年歯が抜け落ち、歯医者へ行ったが、案の定言われた。
「ちょっと痩せすぎでは? 歯茎まで痩せていますよ、歯周病じゃなく。一度内科へいかれては?」

放っておいてくれ、あんたは抜歯してくれればいいの、といいたかったのをぐっと堪えた。わたしは交通事故に遭っても崖で「痩せすぎじゃないか」といわれる。
何で医者ってのはああもお節介なのか。
治せもしないくせに。自分が担当中に死んだら困るから、それだけだろう。

わたしは医者が大嫌いだ。何の勘の言ったって、奴らは人生ゲームの勝利者だ。年収二千万円ではとても暮らしていけない、と、医者の妻になった同級生がこぼしている。前の半分に減ったそうだ。自慢か悩みか分かりゃしない。
カウンセラーもそうだ。いかにも知った風に振舞う。
「あなたの気持ちは痛いほど分かるわ、吐いてもいいのよ、食べて吐く自分を気遣ってあげなきゃ」
あほちゃうか!?
言い訳ねええ~~~だろが。
この世には植えて死んでいく子供達が沢山いるってのに、過食嘔吐がいいわけねえだろ。そんな自分が嫌だから、仕方なく治るかと期待してカウンセリングに通ってンのに、其の嫌でたまらない自分を気遣ってど~~~するよ!?

心療内科とカウンセリングはきっぱり二度で止めた。同病者の集いも行かなくなった。馬鹿馬鹿しい。カウンセリングは高慢ちきで、同病者の集いは傷を舐めあうだけの惨めさ。

しかし無料ではない。カウンセリングは勿論、集会も会費をぶんだくる。
カウンセラーっていいよな、他人の名や二を真剣に聞いてたら自分がもたず欝になっちゃうだろうけど、優越感に摩り替えて悩み事聞いてりゃ、一日中先生と呼ばせて、(あれは呼ばせてるのだ、呼ばれているのではない)嗚呼可哀想、もっと自分に自信を持って、あなたのこと皆が心配してるのよ、って、数十人に同じ台詞はいてりゃ金になる。

まあ、精神科医はかなりきついとは思う。殺される恐れがあるからだ。だから絶対、中元歳暮といっても住所を教えない。恨まれる覚え(喩え逆恨みでも)が山ほどあるのだろう。わたしも思った。
殺せば家族に迷惑だが、このエラそ~な医者の自宅の玄関先で切腹してやったらドン何機が晴れて気持ちよく死ねるか、と。

医者は賢い。人命にかかわる開業医は必ず別に診療所を設けている。さすが医学部、あの鼻が一メートルの高さのやつらは、生まれたときから人を見下して生きてきたやつが多い。
小学校でいた。医者の娘。「パパが要らないって言うのに何買ってきてて困っちゃうからあげるわ」と、自慢げにキティちゃん製品をばら撒くアホ娘。
イラねえよ。といえない自分が憎かった。
わたしはせこいので、もらえるものでゴミにならなければなんでも有り難く頂戴する。ティッシュなんてこの十年買ってないし、煙草はせびるし、ビアは奢りだし。

年収があっても使わない。過食嘔吐が一応母の一言、「もうお金ない」で止まってからは一層ケチが病的になった。
矛盾がある? といのは、わたしとは母病気が三種類全部重なって一番酷かった頃同居していて、年俸制なので年収は下がらないけど、母は其れを知らず、自分の寡婦年金から、わたしは吐く為のパンやらゼリーやらを買っていてくれたのだ。
わたしはわたしに口座から取っているとばかり思っていた。だから平気で
「おつとめ品のパンか何かあったら買っといて」
と、膨大な量の食物を買いに行かせていた。
コンビには高い。はくだけだから多少腐っていてもいい、パンのみみで結構、味なんてどうだっていい、量だけが欲しかった

だから「もうお金ない」の一言は効いた。父に殴られ押入れに入れられたときより、兄から「お前がやってること皆知ってるんだぞ」といわれたときより、ずっと恥かしかった。

この年で寡婦になった母にこんな思いをさせていたのか……心臓が止まった。

思えば直ぐ分かることだった。母はわたしの通帳やカードを一度も触っていないようだし、それに何より、自転車でいける範囲の店は決まっている。

毎日毎日、目を疑う量のパンや菓子類やカップ麺や牛乳を買っていたら、店員だって母の顔を覚えてしまう。
恥かしかっただろう。悲しかっただだろう。虚しかっただろう。
大量に食べながら、異常に痩せていく娘を見て、何を思っていただろう。

其の一言で、わたしの過食嘔吐はきっぱり止まった。長い十六年だった。十六年間で費やしたお金や時間、何と勿体無いことか。

だからこうして書く。わたしは有名人ではないので、体験談を書いたって誰も読んでくれない。少しでも読んでいただける場所はネットしかない。

一人でいい、止まらなくてもいい、だけどこうした思いがあなたを包んでいる、と、心に止めて頂きたい。
圧力をかけることになるかもしれない。でもいつかは向き合う日が来る。公衆の面前で大恥を掻く可能性もある。
わたしは大恥を掻いた。消えてなくなりたかった。過食嘔吐を苦にしての自殺、なんて新聞やニュースに出たら嫌でしょう?
痩せすぎで死んだらマスコミの蝿共が集ってくるよ。
どうか、せめて、気が付いて認めてください。
悪いことなのだと。


ゲロで大恥。
わたしの掻いた恥は、犯罪に抵触するものだった。
万引きではない。
トイレに吐くと汚れて迷惑なので、ついでに偶にだがつまって流れなくなくなり、水道屋を呼ばねばならず、其のとき必ず「何流したんですか?」と訊かれる。ゲロです、とはさすがに言えない。そこで、父に監禁されたときを思い出し、ビニール袋に吐くようにした。

が、此れも欠点が多数がある。吐いたはいいが、そのゲロ袋をどうするか、だ。

家の中、ゲロがすけすけに見える袋を持ってトイレへ行くのも大変だ。家族に見咎められるし、何よりかにより、ビニール袋が破れて、廊下がゲロ塗れ、担ってしまうから。
何度も失敗した。絨毯やらキーボードやら、何度も駄目にした。実家でならまだいいが、会社やレストランやクラブでやると、もうみっともないことこの上ない。
で、可燃ごみに出した。
ら、ごみ収集のおじさんから、「やけに重いな、水はいってンじゃない?」といわれ、顔面蒼白になった。
もし、おじさんが不信に思い、ゴミ置き場の掃除当番のおばさんがある目の前で、わたしが出した可燃ごみの結び目を解いたら……。

ゲロが出てくる。

其れは困る。かなり困る。死にたくなるくらい困る。

んで其れも止めた。

とすると、自宅やオフィスのトイレにも流せない吐けない、家庭ゴミに出せない、他に捨てるより無い、と、三段論法が成立した。

次の日から、わたしは車出勤途中にあるコンビニへ立ち寄り、煙草一箱買っては四袋のゲロ袋を捨てて廻った。田舎だがコンビニは多い。一箇所に集中すると見咎められるので、曜日を決めて分散して捨てた。

が、悪事は発覚するものだ

捨て始めて約三ヵ月後、とうとう家粗一番近くよく捨てるサークルKの店長から言われた。
「あんたでしょ、いつもゴミ捨てに来るの。アレ困るんだよ、水ばっかで。其れより一体アレ何? 気持ち悪くて触れないし、ごみ収集は業者だからもってってくれないし、僕自分で毎度家までもって帰って捨てるんだよ。其のときは腐りかけみたいな臭いするし。もう来ないでくれる?」

ガ~~~ン、二度目のコンビニ来店拒否宣告。でも今度はこっちに非があるから恨めない。
「今日も捨てたでしょ、アレちゃんともって帰ってよ」
といわれ、店長は他のお客が大勢いる中で大声で言った。
大恥だ。此れがわたしの大恥。店長は一緒についてきて、わたしにゴミ箱へ手を突っ込ませ、ちゃんと四袋全部車に入れるのを確認して店に戻った。
駐車場でも不信な視線がわたしを貫いた。

どうにも消えたい気分だった。

重い気分とゲロを抱え、わたしは次のコンビニへより、捨てた。其処は最近できた店で、まだわたしはノーマークだったから。

追い詰められた。吐きたい! 食べたくないけど吐きたい、に、わたしの心は変わっていた。食べるのはどうでも何でもよく、ただ、胃が空っぽになって脱力し、お腹がペタンコになるのを見たかった。

仕方なく其の日から、わたしはレジ袋を二重に重ね更に新聞紙をしき、二回目までの嘔吐をした。そして、三角コーナーに敷く密度の濃いメッシュを使い、自分の部屋でゲロを漉し、絞り、固形にして家庭ごみに出しようになった。切った水分と三回目からは殆ど水なので、トイレに流せた。

そんな異常生活が五年間続いた。体重は二十八キロをキープ、医者ももう何も言わない。二十八キロでまだ大丈夫、の狂った世界で生きていた。
仕事はこなせた。痩せたねといわれたが、其処まで酷いとは誰も思わなかった。
わたしは頬にシリコンを入れる整形をしたのだ。
奏でないと病気を疑われる。というか見抜かれる。
するとポストを失う。苦労して手に入れた役職だ、手放したくない。だから夏でも丁度スーツだったし、顔さえ何とかすれば、見るに耐えられた。

ホントに無駄なお金と時間と食物を費やした。まさにどぶに捨てた。
毎夜ゲロの匂いの残る自分の部屋で、染み付いた異臭に囲まれて寝た。
惨めだった。わたしは痩せたいのか、仕事がしたいのか、食べたいのか、全く何も分からなくなっていた。

痩せたいならわざわざ多額の費用をかけて頬のシリコンなど入れない。
仕事がしたいのは確かだが、過食嘔吐が仕事をよく中断させるし、また過食嘔吐を仕事が邪魔する。
食べたいか、が問題だった。真剣に考えると、食べたくなかった。吐くのに疲れていた。なら食べたままにしておけばいいのだが、胃に物が入った状態が気持ち悪くて耐えられない。しかし毎食はいてもこうして生きているってことは、僅かでも吐ききれない何かが胃に残存しているのか、それとも猛烈な速さで飢えた胃が食物を吸収するのか。
考えるほどにおぞましく嫌悪し、自分を殺したくなった。

ちょうどで気の悪い部下に対する憎悪と一緒の気持ちだ。コイツがわたしの足を引っ張る、コイツが仕事の邪魔をする、コイツが昇進を阻む、コイツが母を泣かせる。

全部自分が悪いのに、自分に対して他人に対する憎悪を抱く。
精神科医曰く、「珍しくは無い、多少とも誰しもがもっている感情」らしい。
ただ、自己嫌悪と自己憐憫を天秤にかけ、自己憐憫を重いとする人間が多いだけの話だと。そう聞くと安心した。此れは今現在のことだが、多重人格は誰でももっているもので、ただ、顕著でないだけ、酒や博打に原因を転嫁するだけ、なのだそうだ。

しかしよく五年間もゲロ絞ったよなあ、と、今は笑って母と話せる。
自分で自分を褒めたい。こうして文字にすることができる非が繰るなんて、思いもしなかった。わたしは老婆になっても過食嘔吐を続けるのだと諦めていた。
だけど怯えていた。本当に一生続けられるのか、と不安だった。続く筈が無いと分かっていた。だけどきっかけが無かった。

母が其れをくれた。やはり母は偉大だ。一言で十六年間を覆してくれた。
思えば、人生のきっかり半分、過食嘔吐していたのだ。
歯が溶けて当然、胃癌になって当然、リンパ腺も腫れて当然だ。
そう分かったから、思い知ったわたしだから、この記事を読んでくださる方がいたら、同かまけないで欲しい。

きっかけは待っていても来ない。きっかけをきっかけと捉える心構えが無ければ、何度きっかけがあっても、逃す。
ちゃんと捕まえて欲しい、どうか苦しみを捨てて欲しい、何とか立ち直って欲しい。
「無責任に言うな」と、わたしが何度も言ったことばをわたしにいい高田もおられるだろう。
でも言い続けるし、おぞましさ、汚さを、叫び続ける。
すみません、このところ、課題の論文書くのにネットみるようになって、自分と同じ人がこんなにもいるのかと愕然としてこうしてブログを始めた。

どうか、わたしを踏み台にして、攀じ登って欲しい。
わたしはどんな汚いことも受け止めますから、迷ったり悩んだりしたら、レス下さい。一緒に苦しみます。
其れがわたしの償いであり、存在意味だと思う。


眠れぬ夜は。
眠れない。

特に何があったわけでもないが、眠れない。いや、部下が二人出社拒否だし、誰だったかが欝で入院したし、アイツが鹿島行きだし……うわ、色々あるわン。

久々に何か売ろうかな。って、いかにも何か売ったことがあるみたい。
一度も売れてません。なんにも買ってもらえません。寝ていて一日一万円、何て嘘でした。

なので、とっても軽薄に書いてみます。

最近は、ゆううつ気分になり、うつ病かしら?と悩む人も増えてきています。心と脳と体の関係を徹底追究しましょう。
希望ではない部署に配属されたA。精一杯頑張りましたが、成果が出せず、毎日が憂鬱になってしまいました。何をしてあげれば元気を取り戻すことができるでしょうか?
1・励ます
2・もともとの希望をかなえてあげる
3・気分転換に誘う

正解・憂鬱の正体が単なる気分の落ち込みならすべて○。しかし、真の欝病の場合は違います。
励まして無理をさせるのは逆効果というのはもう、鬱病の常識ですよね。今、希望をかなえられても無理、気分転換が逆に負担になる。
なぜなら欝病とは、無理をしすぎて心が怪我をしている状態だから。ではその怪我とはいったい何なのでしょうか?
以前は鬱病は心の風邪などと嘘コカれてました。が、気分の落ち込みとうつ病の違いは近年、脳の中を画像化する技術によって、欝病の人の脳には特徴があることがわかってきました。

・前頭前野の活動低下
・海馬が萎縮
※これらは研究段階で、診断や治療にはまだ使われていません。現在の欝病診断は問診で行われています。問診には国際基準があり、高い精度で欝病を診断することができます。

前頭前野と海馬と憂鬱の関係ですが、此れは科学的に検査で数値として実視できるもので、まず、うれしい、悲しい、不安などの感情が生まれる場所が扁桃体です。そして扁桃体に対し、どんな時にどんな感情を生みだすのかという情報を提供するのが海馬です。

気分の落ち込みの憂鬱は、ストレスに対して海馬が正しく働いた結果なのです。異常では何のですね。ストレスがかかる状態が続けば、海馬は扁桃体に悲しい、不安、怖いなどの辛い感情を産み出すよう、情報を送り続けます。すると気分が晴れなくなります。これが気分の落ちこみです。

欝病の憂鬱は海馬や前頭前野が働かず、扁桃体を正しく制御できない結果です。非常に科学的なもので、気違いではありません。欝病の人は海馬が正しく働かないので、ストレスがかかる状態でなくても、扁桃体に悲しい、不安、怖いなどのマイナスの情報を送ってしまいます。そのせいで、扁桃体は正しい感情を選べなくなるのです。さらに、欝病の人は前頭前野の活動も低下しています。
前頭前野は物事を認知、判断、決定をしている場所で、感情が正しいかどうかも、認知、判断しています。しかし、欝病の人は前頭前野が働かないため、感情の間違いを気づけず、憂鬱から抜け出せません。

では、前頭前野の活動低下、海馬が萎縮する原因はというと、強いストレスが関係していることがわかっています。何が強いストレスとなるかは、その人の性格、体質、環境などによって変わってきます。
気分の落ち込みとうつ病を見分けるポイントは、うつ病の主な症状、元気がない、楽しめない、意欲が無い、眠れない、食欲不振、記憶力の低下、理由無く不安、思考が進まない、止まる以外に、原因不明の体の不調があります。
医者へ言ってもどこも悪くないといわれ、怠けていると思い詰め、無理に無理を重ね、自殺を考えます。
脳は自律神経等によって体全体を制御しているため、全身に不調が表れます。「不眠・過眠」「原因不明の体の不調」が二週間以上続くようなら、専門医(精神科・神経科・心療内科)に相談してみることをおすすめします。

欝と診断されたら、必要なのは何より休養と治療です。励ましたり、気分転換をはかることでは、治療できません。現在、治療で使われている抗欝薬が、脳を修復する作用も持っていることがわかってきました。
欝病の人は脳内の神経伝達物質が少なくなっており、抗うつ薬は神経伝達物質を増やす効果があると言われてきました。最近は、神経伝達物質が増えた結果、脳内のBDNF(脳由来神経栄養因子)も増やしていることがわかってきました。BDNFには脳神経細胞の新生を促す作用があり、抗うつ薬には萎縮した海馬の神経細胞を新生させて治す効果があるのではないかと期待されています。

そして、辛いですが治療として、もう一人の自分日記を書くことがかなり効果有り、です。わたしは其れで過食嘔吐と戦い、欝とも戦っています。
ノートのまん中に線を引き、日記を書く欄を左右2つ用意します。左側には、その日落ち込んだ内容と、そう感じた理由を書きます。右側の「もう一人の自分」欄には、左に書いたことに対して、他の見方、考え方はないかを客観的に考えて書きます。
気分が落ち込んでいるときや落ち込みやすい人は、悪い方へ悪いほうへと考えがちで、また一面的である傾向があります。右欄を書くことでおのずと客観的、多角的に考えられるようになります。
この手法は、うつ病の治療、再発予防で高い成果を上げている心理療法「認知療法」を元にしています。

次に手軽なのが、呼吸筋ストレッチで欝の悪循環を断ち切ることです。
ストレスがかかると欝になるだけでなく、体にも変化が起こります。自律神経や運動神経に情報が伝わり、血管や筋肉が収縮し、コリが起こるのです。
このとき、肩や腰だけでなく「呼吸筋」(呼吸をするときに使う背中、胸、背中の筋肉)もコリます。これを放っておくと、呼吸が苦しくなって、さらに余計ストレスがたまるという悪循環が起こってしまいます。

欝の人は猫背が多いです。姿勢が悪いと生活の全てが悪くなり、其れを受けて又俯き、悪循環の始まりとなります。

胸をはる、それだけのことが、やってみるとかなり疲れて辛いと分かる筈です。
わたしは体操部でしたので、今でも体がやわらかく姿勢もいいですが、最近は子供でも猫背は増えています。とてもふけて見えます。

よく犬の散歩中、おばサンなのか子供なのかおじサンなのか、全く年齢性別不明の人が多いです。心も下を向いてしまいます。

上を向いて歩こう、此れが一番手軽で安くて簡単で難しいこと。そして一番の治療法です。
欝歴十二年のわたしが言います、ちょっとだけ頑張って下さい。無理は無い筈です。これも無理なら、もう寝てしまいましょう。
睡眠薬も最近のは死ねませんから、安心して服用してください。

兎に角安らぎを得ることを最重視してください。でも安らごうと無理しちゃ駄目ですよ。


医者への疑念。
精神科への通院日だった。
相変わらず、医師はデブで、なのに他人の体重をチェックする。
「2キロ痩せましたね」
「ちゃんと寝てますか」
「食べる量はどうです」
「便通はいかがですか」
「まだ吐いてませんか」
決まり文句野の羅列。こっちが良いと言おうが悪いと言おうが、奴の態度は変わらない。
薬の量も、増えても減らない。減らしておかしくなると責任を追及されるからだろう。出してさえおけば、処置をした、ODまでは管理できないと、言い逃れができる。日本の薬漬け医療は有名だ。
ベス・イスラエルという満破綻の中心にある病院がわたしのかかりつけ医だ。だが日本に着てから四季に一度くらいしか受診できない。
どくたーは薬の量を見て驚く。
「You'd took a lethal dose of sleeping pills!」
ようするに、殺す気かという。
その代わり向こうではウィードで誤魔化している。
どっちもどっち、弱ッちぃわたしは自力では何もできず、ただ薬物に頼るだけ。

過食嘔吐について、しつこいほど質問を受けた。
「たべたいが吐いてしまうのか」
「吐きたいから食べるんです」
「なら、常時空腹ではないですか?」
「其れが心地いいから吐くんです」
「では食べなければ……死んでしまいますね」
「だから食べます」
「適度の量を食べるのでは不満足ですか」
「少量しか食べなくても、胃に物が入っているのが嫌で吐くんです」
「では吐くために食べるのですね」
「最初からそういってますが」
堂堂巡りだ。

医師やカウンセラーなど、人生の勝ち組みには決して理解できない、この自己憎悪。
何故吐くかについて、よく言われるのが、
「大人になりたくないから」
「幼児期の愛情不足」
「社会的慢性的痩せ願望の蔓延」

があげられるが、其れは皆、勝った人間が負け犬を見下して観察した結果だ。検査のため血を採り、脳内ホルモンの量を調べ、勝手にストレスとホルモンとをくっつけた結果だ。
お腹はすく、または疲れて動けない、食べてしまう、肥るのが怖い、吐いてしまう、又だるくなる、少し薬で寝る、ホルモンが正常に戻る、倦怠感と空腹を憶える、食べてしま……この悪の連鎖を如何断ち切るか。

科学者、医者、学者、カウンセラー、どいつもこいつも論文のために知りたがる。
決して患者のためではない。
患者の家族に対する体裁と、学会での実績と、医局内での派閥のため、だけだ。
其れに付き合ってンだから、ちっとは礼儀をわきまえろよ

大体、金を払う客の立場の患者より、良い椅子にふんぞってるってのが気に入らない。病院じゃなくて美容院だったら、許されっか???
絶対許されねえだろ!!!!

通院のたびイラつく。過食嘔吐は治まったのに、医者は其れを信じないのだ。
こっそりやってると決め付けている。だから服を脱がせ、色んな箇所を観察してどこかに変な胼胝やら擦れ痕やら圧迫痕がないか探す。

ないと不機嫌になる。
一気に邪険になる。そうだろう、開業医ならまだしも、大学病院では、論文のネタにならない患者など、時間の無駄でしかない。しかも32条適用では。

金にならない、ネタに成らない、興味が湧かない、でも死んだら困る、死ねないほどふらふらにしよう、はい薬、この流れが延々十六年間続く。

過食嘔吐だけではたいした薬は出ない。下手すれば保険適用外になる。
自殺なんかは最もも迷惑だ。こっちは自賠責で200%取られ、向こうは管理能力を審問され、結局薬に頼る。
会話で心を動かす術を、日本の医者は知らない。


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