カテゴリ:M【マネー】【ビジネス】
どうしてだかわからないのだが、また昨日書いた日記の日付が3日間ほど飛んでしまって、3日間の「日記未記入日」が出来てしまったので、例によって「復刻日記」という方法に頼ることにする。
以下は、2004/02/16 に書いた日記の復刻版です。 〓 〓 〓 〓 〓 〓 2004/02/16 に書いた日記 ーーーーーーーーーーー 経済ほど予測が難しいものはないし、だからある経済政策が正しいものなのかどうかは、だれにもわからないのでは無いか? よく思うことなのだが、経済ほど予測が難しいものはないし、だからある経済政策が正しいものなのかどうかは、極論なのはわかっているがあえて言えば、だれにもわからないのでは無いか? ~~~~~~~~~ 私は商社に勤めていたので、自分の守備範囲内のひとつである「外国為替レート」をその例としてとりあげてみたい。 例えばあるプラント輸出契約で一年先に船済み予定があって、その代金の入金予定が一年先にあるとする。 代金はドルで入ってくるがそれを円に両替する。 これを円転という。 ふつうは円貨で入ってきて初めて代金の入金と言うことになる。 円とドルとの両替レートを(外国)為替レートという。 為替レートはSPOTという現金決済と、将来の決済のための予約とがある。 予約をするとその時期によって先物レートをもらう。 先物のレート自体は、未知の将来の経済状況の予想で、一種の「美人コンテスト」のようなもので、その根拠はない。 為替レートは、経済状況により変動(FLOAT)するから、レート次第で差損・差益が発生する。 もし社内規則で縛られることがないのなら、一年先のレートを予約しないで、一年後に現金決済をしてもいい。 しかし為替レートの大きな変動があると怖いから、社内規則で予約はしなければいけないことになっていて、基本的には先物予約をすることになる。 つまりあまり大きい為替リスクはとても持ちきれないから、リスクを回避するために為替予約をする。 しかし為替予約が出来ない、しにくい状況もあり得る。 それは、商売を契約した時点と予約をしようと言う時点では、為替レートがちがってきている状況である。 プラント契約などは契約交渉の期間が長いので時間が経過してしまって、応札時からレートが大きく変動していることがある。 ~~~~~~~~~ もし入札時に提出したドル建ての値段の採算を110円でソロバンをはじいていたのに、いざ契約が成立したら、一年後の先物は一ドル=100円になってしまっているとする。 たとすると、こうした場合はもうすでに採算が狂っている。 110円ー100円=10円 一ドルにつき10円の為替差損(ロス)が、仮に発生してしまっている。 この場合、100円でそのまま予約をしてしまうと、その時点で損が確定してしまう。 プラント輸出は金額が巨大だから、その損は巨額になる。 一ドルの契約金額なら、10円ですむが、1億ドルの契約金額なら、10億円の損が出る。 といっても契約は欲しいから調印している。 あとは、商品の出荷時の為替リスクが残るばかりになる。 ~~~~~~~~~ だから、その場合にはあえてリスクを取って為替予約をしないで、将来いいレートになってくれることを希望的に期待して待つこともある。 これは営業部が勝手にリスクを取ることだから、本来社内規則では許されないことでもあるが、やむを得ずそうすることもある。(今は時効) そのかわりこんな大きなリスクをかかえこんだ契約を取ってきた営業部の担当者(私などがそうだったのだが)のストレスはすごい。 胃が痛む毎日でもある。 毎日、為替レートを見ては一喜一憂する。 そんな中で、もし先物為替レートがいいレートになればすぐ予約をするのだが、そうはうまく行かないことが多い。 将来のの為替レートを予測するものの、今までの経験ではその合理的なはずの読みが外れることが多かった。 円安を予想する時に限って、円高に振れることがある。 だから一般的な予想と逆の、いわゆる「逆張り」をしたこともある。 これだけは「丁半」の世界だ。 ただ、幸いに私自身は自分で取ってきた契約で、会社に損をさせた経験は無く、巨額と言っていい額の利益を上げたと思う。 それに、本当は、巨大契約を受注することが出来ても、それだけでバンザイではない。 上に述べたように、為替リスクという恐怖のプロセスを無事通過しなければならないし、さらには客先のカントリー・リスクという巨大なリスクもある。 債権先の相手国の経済が破綻して支払い不能になる危険性を「カントリー・リスク」という。 「国としてのリスク」だ。 例えば、一つの例としてインドネシアなどは、過去に二回も国家的な「禁治産者」になってしまった経験を持っている。 ~~~~~~~~~ 相場ものとはだいたいそういうものだが、特に為替レートは、各国の景気や米国の為替政策や、一部投資家の投機行為や、一般投資家の気分や、重大な国際情勢の変化(例えば戦争の勃発とか)とか、科学技術の進歩や、新製品の出現、その他の要因で変化するものなので、予測が難しいのだ。 為替だけが経済では無いのだが、経済という分野は与件や変数そのものが猛烈なスピードで変化し、新しく入れ替わる世界で、歴史に学ぶことはほとんど出来ない世界だと思う。 歴史は繰り返すと言うことはたびたび言われることだが、与件・環境が違えば同じことが繰り返すことは無いはずだし、もしあたかもくりかえすように見えてもそれは本当の繰り返しでは無い。 経済政策の立案者は今までは実質官僚たちだったのだが、それを選び取って政策として決定するのは政治家。 この政治家という人種が、非常に時間を食う「立法」という世界に住んでいて、しかもなれあい要素が多いスピード感の無い政治世界の人間であり、経済の専門家でもないがゆえに、どんな金融政策などが効果的なのが実質わかっているはずが無いと思う。 米国のようにIMF(国際通貨基金)を事実上ぎゅうじっていたり、世界通貨であるドルの価値をある程度、政策的にコントロールできる国であればいいのだが、この点日本はどうしも「バックシート・ドライバー」にならざるをえない。 後部座席に座って、「おまかせ」スタイルである。 ~~~~~~~~~ テレビなどの討論や経済番組で多くの経済学者達が竹中氏の経済政策をあれこれ論じ、市場原理だけにゆだねるのは間違いだ、いやその反対だとか、銀行に対する公的支援がどうだとか、それぞれ自論を主張するのを聞くと、経済政策については十人十色に近い。 学者のなかにもケインズ近代経済学の信奉者がいると思えば、中にはマルクス経済学系の人もいる。 いちおう専門家を任じる人々がこれなのだから、一般人ならもっと百家争鳴になる。 いや、わからないので、何も言えないままかな? この私などに「あなたはどの経済政策が正しいと思うか?」とまちがって聞く人もいるが、経済知識の絶対的な不足もあるのだが、「さっぱりわからない」と答ざるを得ない。 政治家の政策を批判することは、みなのするところである。 軍事政策とか外交政策もそれなりに予測困難な要素が多いのだが、経済政策は殊に難しいものだと思う。 産業育成などというだれにも異論の無い基本政策はそれでいいが、意見の分かれる重要政策を、これが唯一の正解だということは難しい。 しかしそんな状況でもなお、何らかの経済政策を立案し実行して行かなければいけないという現実がある。 殊に財政破綻が懸念される日本に於いておや、である。 為政者の能力というものがどれだけのものなのか? 考え込まざるを得ない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.12.30 00:00:28
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