カテゴリ:🔴 B 【本・読書・文学】【朗読】
数日前に下記のような日記を書いた。
「嘔吐」サルトルと実存主義 この中でも触れたが、リンク先のkoikeさんが、ご自分が受けている「サルトル」に関する講義についての感想などの講義ノートを日記に書かれている。 サルトル『嘔吐』05年06月04日 サルトル『嘔吐』05年06月11日 今日は【復刻日記】ではなく、「芸術と麻薬」の関係について書いてみようかと思う。 と言っても、私は芸術家でもないし、麻薬に造詣が深い訳でもないが。 ~~~~~~~~ もともと、麻薬類と芸術には、歴史的に見てかなりの関係がある。 それに加えて、koikeさんの日記を読んで、サルトルにメスカリン服用歴があることを知った。 サルトルの「嘔吐」という小説は、哲学教師であるロカンタンという中年男の日記と言う形をとった哲学的な小説である。 若い頃の私は、父親の本棚にこの「嘔吐」を見つけて読み出したのだが、私にとっては衝撃的な「小説」だった。 内容が哲学的であることと、サルトルの文体・思考が、都会的で、sophisticated 「ソフィスティケイティッド 洗練」されていることだった。 「知の巨人」松岡正剛氏が「千夜千冊」の中で、「嘔吐」について書いていて、その中でこう述べている。 ―――― ◇ ―――― そのロカンタンがしだいに自分の中でおこっている“あること”に気がつく。 海岸で何げなく拾った小石を見て吐き気がしたり、カフェの給仕のサスペンダーを見て吐き気がしたり、ついには自分の手を見ても吐き気がするようになっていたということだ。 そしてここからが現代文学史上でもそれなりに有名な場面になるのだが、あるとき、公園のベンチに座って目の前のマロニエの気の根っこを見たときは、ついに激しい嘔吐に襲われて、その嘔吐が「ものがそこにあるということ自体」がおこす嘔吐であったことに気がついていく。 つまりこの嘔吐は「実存に対する反応」だったのである。 ざっとこういうことなのだが、ぼくはこの展開に呆れ、ばかばかしく思ったのだ。 とても大江健三郎のようには、この作品を手放しで実感することができなかったのだ。 ―――― ◇ ―――― 私も、これも前の日記に書いたことだが、マロニエの根の存在(実存)に強く反応して、「嘔吐」までするということは、サルトルがロカンタンが体験した「もの自体の存在=実存」の発見・実感というものを、とりわけ強調しようとするあまりに、小説的な、生硬な、こなれない、不自然な、現実にはあり得ないような種類のフィクションを書いてしまったのだろうと感じた。 いくら何でも、木の根をみただけで嘔吐するなんて、リアルでは無いではないか? いくら、存在が本質ではなくて、無意味な無機質なものであっても・・・・、である。 いくら、ロカンタンが想像力豊かな人間で、マロニエの根に何かを想像してしまっても・・・である。 いくら、生身の人間が、無意味な存在そのものを目前にしても、存在を実感することなどあるだろうか? ・・・である。 ~~~~~~~~ この疑問は、koikeさんの日記で、サルトルがメスカリンを使用していたことがあると知るまで続いた。 逆に言えば、サルトルがメスカリンを使用していたと知って、私としては独断ながら謎が解けたと感じた。 その箇所のkoikeさんの記述を引用させていただこう。 ーーーー ◇ ーーーー 私は10年位前にカウンター・カルチャーに関心があって、いくつか書物を読んだことがあった。そこには、LSDをはじめとした幻覚剤にまつわるエピソードが頻繁に表れた。なかでも、イギリスの作家・オルダス・ハクスリー Aldous Huxley が著した『知覚の扉 The doors of perception』(1954年)は、メスカリンによる幻覚とその芸術的効用を説いた書物として、何度も登場していた。 そのメスカリンのことが突然、講義でも取り上げられた。 一挙に私は人間の外観を失った。彼らは、 非常に人間的なこの部屋から、後ずさり して逃げて行った一匹の蟹を見たのだ。 (白井訳 p.203 より) R.先生によれば、サルトルはメスカリンを服用していたことがあり、この「蟹」の表現はその幻覚が影響しているのではないか、とのことであった。 興味深いので、メスカリンに関して少し調べてみたところ、ベルギー出身の詩人・画家アンリ・ミショー Henri Michauxも服用していたとのこと。ミショーは、「吐き気 それともやってくるのは死? Nausée ou c'est la mort qui vient」という題の詩を書いているのだが、サルトルの『嘔吐』と関連があるのだろうか?かなり気になるところである。 ーーーー ◇ ーーーー このkoikeさんの書かれた部分を読んで、私は上記の日記の中でこう書いた。 ―――― ◇ ―――― 正直なところ、【嘔吐】での有名なシーン、【マロニエのむき出しの根を見て、その実存に吐き気を催す】。 私にはどうしても【こじつけ】【絵空事】【誇張】としか思えません。 ものを見て、その【実存」を【吐き気がする】までに実感するというのはやはり、【メスカリン】などの薬物の【助け?】があったのではないでしょうか? ―――― ◇ ―――― 同時に、【メスカリン】について調べてみた。 ーーーー ◇ ーーーー ★ 化合物和名 メスカリン 化合物英名 mescaline 骨 格 名 フェネチルアミン 生合成経路 シキミ酸 サボテン科ウバタマ(Lophophora williamsii)ほか同属植物に含まれるLSD様幻覚作用を有するフェネチルアミンアルカロイド。 知覚認識の異常を伴う作用は弱いが、幻視は強い。 ーーーー ◇ ーーーー この「幻視作用」が、サルトル(ロカンタン)に起こったのではないだろうか? あるサイトでは、こうも書かれている。 ーーーー ◇ ーーーー メスカリンが注射されることは稀で、カプセルにすることは可能ですが、天然のペヨーテ・サボテンをそのまま口に含み、柔らかくなるのを待ってから、咀嚼しながら、或いはそのままで、嚥下して摂取します。 苦味は避けがたいもので、摂取後、「嘔吐」することがあります。 メスカリンの「トリップ」(トリップとは「旅をする」ことですが、ここでは、薬理作用によって、精神的に尋常でない状態が作られ、その異常な状態の中に精神的に「彷徨う」(トリップする)ことを言います。)も、LSDの場合と同様で、その時の心の状態(これをセット[set]といいます)や環境条件(これをセッティング[setting]と言います)に大きく左右されます。 つまり、ある場合にはまるで霧の中を舞うような幻覚的感覚を味わうでしょうし、また別の場合には精神分裂病様の傾向を示して、発作的に不機嫌になったり何の理由もなく激昂したり、不安、混乱、抑鬱、しんせん(=震え)、悪心、不眠、食欲不振などが見られることがあります。 楽しいという感情と悲しいという感情、うわついた感情と怒りの感情といったように、相反する感情が併存する状態になることも稀ではありません。 使用者としては全く脈絡のない感情に支配されて面食らってしまうといったことが起こります。 ご存じのとおり、メスカリンはメスカレロ・アパッチ(インディアン)が儀式の際に用いていたもので、今ではアメリカン・チャーチに属する土着民のみの使用が許されています。 わが国ではメスカリンも「麻薬」に指定されています。 ーーーー ◇ ーーーー と言うような経緯を経て、今の私は、「マロニエの根を見て、むき出しの実存を感じて嘔吐しかけるロカンタンの体験」について下記のように「確信」してしまっている。 1) マロニエの根が卑猥な醜いものに見えたのは、メスカリンのおよぼす幻覚(幻視)作用であり 2) 実存を感じ過ぎて「嘔吐する」事も、メスカリン服用の生体反応であり 3) 通常はあり得ないと思える「存在を実感する」ということも、メスカリンによる異常な精神状態(トリップ)の中でのものだ ~~~~~~~~ ところで、薬物の習慣性使用者には有名人が多い。 フィクションだが、シャーロック・ホームズも、コカインやモルヒネの常習者あった。 ワトソン博士がいつも傍らにいるのは、ホームズの問題解決の手助けをするのが主目的では無く、ホームズがまた、コカイン・モルヒネに手を出さないように監視しているのだ!・・・というのは、私の仮説ですが。 ジョン・レノンのいくつかの曲もヘロインの服用による影響が見えると言われている。 例えば、「イマジン」。 action painting の Jackson Pollack ジャクソン・ポラックもヘロインの常習者であり、アルコール依存症だったそうで、彼の作品にその影響があると私は思っている。 で無きゃ、あんな絵は描けないでしょう? 麻薬でなくとも、ランボーやヴェルレーヌなどは、習慣性のあるアブサンなどの危険なリキュールを飲んで廃人になった。 (私など、危険でないはずの?ウィスキーを飲んで廃人になっているが) モダンジャズの世界に於いても、チャーリー・パーカーをはじめ麻薬常習者が多いのは定評。 むしろ、麻薬をやらなかったプレイヤーの方が少ないかな? 芸術家は、麻薬によって異常に拡大された視覚的・聴覚的なイメージが、彼らの創造作業の助けになると思って服用するようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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