偶然ではないこと偶然ではないこと-次男の17歳の誕生日に想ったこと。私には、「これは偶然ではない。」と思うことがある。 私が小学生の5年生か6年生だったころ、学校から遠足に行った。 私達は、2列になって郊外を歩いていた。 学校のフェンスに沿って歩いていた。 1階の校舎の窓から中学生くらいの子ども達が数人身体を乗り出して私達に大きく手を振った。 うれしそうにニコニコしている。 「お~~い」とか何か聞き取れない言葉を発している。 知的な障害があるのだとすぐにわかった。 学校は、養護学校だったのだ。 私の目は彼らに釘付けになった。 ニコニコしている彼ら。うれしそう。手を振っている。 けれど、私の同級生達はクスクスと笑いだしている。 侮っている。「あいつらアホや」と声に出す。 私達の先生は「コラ!」と言って、生徒達を黙らせる。 「目を合わすな。」「サッサと歩け」と言った。 養護学校の生徒は手を振り続けている。 手を振り返してほしいのだ。 ダンダン遠くなる彼らの姿。養護学校。 今、手を振らなければ。振らなければ。 でも、私は手を振ることが出来なかった。 彼らの精一杯の笑顔を今も覚えている。 木造の校舎の窓枠の中で手を振る生徒達。 彼らは私達にただ手を振って欲しかっただけなのだ。 あの時、私達の小学校の先生達は、なぜ「笑顔で手を振ってあげなさい。」と言わなかったのだろう。 時々、夢の中で同じ場面に私はいる。 手を振る彼らが見えなくなって、私は目を覚ます。 私は自分が泣いていることに気がつく。 「レインマン」というタイトルのアメリカ映画がある。 輝くようなハンサムのトム・クルーズが大好きだった。 ダスティン・ホフマンも好きだった。 次男を出産していたが、次男には自閉症の症状はなかった。 夫に長男のお守りを頼み、私はとても気持ちよくネンネしてくれた次男を胸の抱いて「レインマン」を映画館で見た。 とても良い映画で、二人の俳優の力量が私に「映画を見ているという感覚」を忘れさせた。 切なくて涙でグシャグシャの顔になった。 そのころの次男は、名前を呼ぶ手と、「ハ~~イ!」可愛い声で返事をして右手を上げてくれたのだが、丁度1歳を境に名前をよんでも返事をしなくなった。 次に返事をしてくれたのは、2歳9ヶ月の時だった。 次男が私の元に来たのは、偶然ではない。 大袈裟に言えば、神の啓示と言える。 ずっと以前から決まっていたのだという気がする。 アメリカ人の作家、パール・バックは、「母よ、嘆くなかれ。」と言ったというが、嘆かずには居られない時もある。 逃げ出したい時もある。 けれども波立つ気持ちが治まったときには、次男が幸せであることなしに私が幸せであることはないと思う。 次男が私の元に来たのは、偶然ではない。 次男は何度生まれ変わっても私の元へきっと来る。 私は、次男の母になる権利を誰にも譲らない。 2004年12月03日(金曜日) |