今日は、給与日
今日は給与が支給される。次男は銀行振込みではわからないので、現金をいただいて、それを銀行に振込みに行く。そして20,000円を一月のおこずかいとして引き出す。もちろん一人では出来ないので、スタッフが付き添ってくださる。ありがたい。スタッフには二度手間、三度手間になるのだ。本当にありがたい。以前に、障害のある子のお母さんが、次男が就労できるのを知って、「今にあなたも私達と同じになるのよ」と私に言ったことがあった。意味がわからずにボ~~っとしていると、補足説明してくれた。就労しても長くは勤務を続けられないという意味だった。”やがて、あなたの息子も作業所かデイサービスに通うようになるのよ”というのだ。なるべくボケボケムードで 「そんなことぉ~~、考えたことなぁいわぁ~~」\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?と返したつもりだが、内心はマジギレ状態だった。いかにも、能力が高い障害者であれば就労しても不思議はない。なにせ一般就労する人もいるくらいだから。でも、次男が就労するのが不思議でならないのだ。彼女の想いはわかる。でも決して不思議ではない。就労は、障害の軽い、重いよりも、オシャベリできる、できないよりも大きく作用することがあるのだと思う。それは、職場環境。本人の障害以外の性質と経験量。それを本人の中に蓄積していくのが親の仕事。どんなに能力の低い者にも可能性がある。なるほど。どんなに環境を整えても100%大丈夫ということはないだろう。でも信じて前に進まないと道は拓けない。何が起こるかわからない世の中だし、何かが起これば対処する判断力がない次男だし、起こったことを言葉で説明できない次男だから、毎日、神仏に祈る想いで送り出す。夜、無事な次男の寝顔が見ることが出来ますように。想いは力になると信じたい。信じられないとつらい。今日も元気で。今日も頑張れ次男君。君の道は必ず拓かれる。