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オールマウンテンの日記 [全170件]
近畿の奈良・三重・南紀辺りだけでも数多くの沢が存在する。私が山を始めた頃は入渓するだけでも大変であった。休みとお金そして何より交通の便が大変であった。 そのような条件にも負けず、大峰や大台の沢を踏査し続けていた”大阪わらじの会”には頭が下がる思いを持っていた。彼らの報告書は貴重な資料であった。 いまでは近年の登山ブームによって出版社からガイドブックが発刊され、ネット情報も豊富になり、沢登りは大変賑わっている。 沢には野性味が残っており探検的要素も存在する。そしてまだまだ自然が豊富である。沢の魅力はその辺りにあるのであろう。 今回訪問した”立間戸谷”は次々に出てくる滝の景観が素晴らしく、滝好きな人には溜まらないであろう。最後の1000m程続く”ナメの廊下”も素晴らしい。さらに”子の泊山”の山頂に立てるのも魅力的である。山頂からは熊野灘が見下ろせる。ぜひ訪問をお薦めしたい沢である。 ![]()
クラブの山ともだちが開いている『羽津子のちゃや』を訪れた。今年2回目の訪問であった。午後から天気が悪くなりそうであったので、南紀の沢(立間戸谷)を登る予定は天気次第とし、昼過ぎから居候を決め込んだ。
かなり寒くなってきた。雪を期待しつつも寒さはイヤだなぁと思う。今年はクライミングの復調と力量アップをもう少し続けたいと思っているので板はまだ仕舞ったままにしている。 毎年12月第一週目を初滑りと決めていたが、今回の来るシーズンインは第三週目に置いている。クライミング期間延長のためである。 さて、この時期、昨年は前倒しの大雪に見舞われた。今年も山はすでに真っ白、信州のゲレンデから雪の便りが聞かれ始めた。しかし、昨年は前倒しだけで期待した雪は幻と終わった。今年の雪は期待できるであろうか。 やぶ山を雪の季節に目指すことは面白い。夏に登れなかったところが登れ、そして滑れる喜びは何とも言えないものがある。来るシーズンもスノーシューやミニスキーを駆使して踏査したいと思っている。 う〜ん、いかん、いかん、寒くなって雪の便りが聞かれるとやっぱりスキーの話題にいってしまうなぁ〜
少し気が早いが、間もなく師走を迎える。そろそろ2009年も残りわずかとなってきた。今年は経済不況による景気の悪化と新型インフルエンザの流行により、様々な事業の取りやめなどがあり盛り上がりに欠ける年となった。 そして、日本だけでなく世界の政治情勢は大きく変わった。アメリカではオバマ大統領が誕生し日本では政権交代が起こった。今後の世界の勢力図は中国が益々主導権を取りそうな勢いである。 この間の行政刷新会議による「事業仕分け」を見ていると、今まであまり知らせられることのなかった様々な事業の内容が明らかにされ、それなりの成果を上げている。 しかし、費用対効果だけでモノを判断すべきでないという点は、基本的なことでなければならないと思う。特に将来に関わる投資は重要である。これを誰が判断するのかも難しいことではあるが、形のないものに明快なビジョンを描いてみせることのできる人物は必ず存在する。 私がそうであるとは言えないが、ひとり一人が責任を持ってビジョンづくりを行ってみれば、情勢認識が深まるだけでなく自己認識も深まるであろう。 そろそろ2009年の総括をする時期になってきた。果てさて2010年は一体何が待ち受けているのであろうか?
私たちは、外見など形に影響されたり、地位や肩書き、履歴などによって人物を評価しがちであるが、目に見えない精神の部分は、その人の行動によって明らかになったり、気づかされることが多い。 今の自分の軌跡を辿るときに、その当時、自分がどのような行動を取っていたのか、何に夢中になっていたのか、喜びとしていたのか、何を求めていたのかを振り返ると、自分の行動パターンが見えてくる。 そして気がつくことは、変化した自分がいる反面、変化しない自分がいることである。人の気持ちは変化するもの、環境が変われば人も変わることはその通りである。しかし、以外と行動パターンは変わっていないことが多い。 もし変わったと言うのであれば、それは環境によって現れ方が違ったと言うべきであろう。さらに、知らなかったことを知ることによって変わることがあるが、それは理解が進んだだけであって、本質的な変化とは言えない。 私たちは「経験以前」に与えられている「ア・プリオリ」な側面を持った存在であり、これこそが生物の特質であると思う。無謀な表現をすれば、生物は本来「ア・プリオリ」に行動しているものであり、人間の行動が理性の制約を受けると考えることは、知性を重んじるインテリの陥りやすい過ちでしかないのではないだろうか。
先日の14日土曜日に『登山における法的責任』についての講演を聞いた。講師は弁護士の溝手康史 氏であった。氏は広島山岳会に所属し登山にも造詣が深い。 講演の内容は特に目新しいものはなかったが、登山の様々な形態を取り上げ、具体的にわかりやすく法的責任について説明されていた。 一般的に個人で山に登っている人は、登山中の事故についての法的責任を問われることはないが、仲間同士で登るとなると、場合によって安全を確保する義務が生じることがある。 とはいえ、他人の安全を確保する義務が生じるのは、契約、職務、法律の規定など特別な場合であることから考えると、仲間同士の登山において、安全を確保する義務が生じることはほとんどない。 ではどのような場合にそのようなことが生じるのか、条件としては、危険な登山に初心者を引率するような場合が考えられる。それでも初心者がその危険性を承知していた場合は話は別になってくる。 私は遭難救助保険や賠償責任保険に加入しているが、この賠償が生じる場合はというと、私が民事責任を認めるということでもある。しかし、この民事責任を認めるということが、難しいことである。 一方、登山は倫理的なスポーツであると私は考えているが、特に山行のリーダーであった場合、事故を起こしたときの道義的責任について、しっかりした考えを持っておかなければならないと思う。
お〜寒い寒い寒い!! 今日の日曜日は寒風の吹く寒い一日であった。日差しはなし、もはや暖かいクライミングは望めないのであろうか? しかし、こんな日であるのに、なんとゲレンデは超満員、あまりのクライミング人気に唖然とした。今年はクライミング納めを引き延ばそうと目論んでいる。その為には寒い季節にも対応可能な方法を考えないと、早々店じまいをしないといけなくなってしまう。 暖かい場所を求めるか、防寒ウェヤーを工夫するかどちらかしかない。もし他にもっといい方法があれば教えて欲しい。インドアクライミングか・・・ にほんブログ村
趙 博(チョウ バク)氏の歌を通勤途上で聞くため、iPodにCDからインストールした。趙 博氏は、大阪市西成区出身の在日韓国人ミュージシャンである。この度『浪花の唄う巨人・パギやん』ベスト30のCDアルバムを入手した。 氏は関西大学と河合塾の講師をしていたことでも知られているが、人権活動をミュージシャン活動を通して行っており、私は氏のライブを聞いたことがある。 日本と韓国朝鮮には歴史的な問題が大きく立ちはだかっており、在日二世の氏が唱える日本の風土批判は避けては通れない問題である。氏の歌が訴えかける民族の声に耳を傾けてはいかがであろう。 韓国に私は3回訪問している。その内2回は登山、仁寿峰(インスボン)と韓国濟州島漢拏山(ハンラ山)に登った。近くて遠い国と言われるが、韓国には親しみの湧く山々が多く存在する。
現在は自己責任や失敗の許されないタイトな仕事などますますストレスが溜まる生活を強いられている。そのため、「癒し」とか「ヒーリング」などが流行っている。 これはリラクゼーションと言い換えても言いかもしれない。「心と身体の健康を回復する」ことに多くの人たちが悩み苦しんでいる。 私も同じこと。しかし同じであるが、ヒーラーとして自分をヒーリングすることが出来るように思う。 どうして出来るのかというと、クライミングの付加価値を重々感じ取っているからに他ならない。
今はブログが大流行(おおはやり)である。私の登録しているブログ村のクライミングや登山関係の記事だけでも毎日毎日増殖していく。とても全てに目を通すわけにはいかない。 これほどまでに氾濫するブログであるが、思わぬ情報が得られたり、読んで面白い内容に出くわすこともある。 さらに、情報提供の手段としても、ホームページより手軽で簡単に記事を書くことができる便利さがある。 ところで書いている本人はどう思っているのだろう。私が書いた記事を多くの人が読んでくれるとしたら、これはうれしいしありがたい。自分が発信している話題に共感していただければなおうれしい。このうれしさがブログを書く思いなのかも知れない。 しかし、このブログが書き手の作為的なイメージづくりに利用されているとしたら、これは問題である。ブログが匿名であれば素性が分からないので、書き手の本性はいとも簡単に隠すことができる。 その点、自分の発言に責任を持つためには、経歴を明らかに実名で書くべきであろう。匿名と署名の差は大きい。匿名(あだ名)のブログ記事が多い。現在私も匿名で記事を書いているが、匿名で他人を誹謗する記事などを書くことは以ての外であると思っている。 先日から結婚詐欺事件が世間を騒がしている。当事者のブログには、作為的に自分の理想とするイメージ像があたかも本人自身であるかのように描かれていたようである。 ブログは想像や理想化された自分を描くのではなく、生の実体的な自分のことや自分が得た情報、日常から得られた雑感、伝えたいことなどを日々書き続けていく作業ではないのだろうか。元来ブログ(blog)という単語はweblog(ウェブログ)の略称で、インターネット上の日誌のことである。 最後にブログには中毒性があるように思う。携帯メールなどと同様に書き続けて行かなければならないとか、ブログのための情報捜しに陥るとか、インテリが中毒になりそうな気配が感じられる。この辺りも注意していかなければならないと思っている。 |一覧| |
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