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余り難しい単語もないので少しだけ訳してみました。 ぱっとしない訳ですが、まあ雰囲気は分かるかと思います。 原文では5行ぐらいの冒頭部分が、アラビア語では17行にもなっています。 (原文) 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。 (アラビア語訳からの逐語訳) 行く川の流れは止まらない。その水は連続した変化の状態にある。なぜなら目の前を行くこの流れは以前見たものではない。流れは新しい水を運ぶけれども。流れを崩すところに浮く水泡は、見ている者にとって、既に消えてしまったと見えるかもしれないが、それは直ちに新たに現れるのである。全てのものは変化し、時が永遠であるかのように留まるものは存在しない。 この世に生きている人間、住む屋敷も川と泡のごとくである。大きな都に屋敷が見られる。素晴らしい姿でまるで土地を飾る宝石のようである。この人々が見ている屋敷もその他の質素な建物も、両方ともその住まいが見下ろす道から、集まりのなかで誇示しようとしているかのようである。これらの屋敷は時間がその上を連続していたように、世代が何世代も続いていたかのように見えるけれども、事情が明らかになると、昔に建てられた屋敷は少ししか残っていなかったことが分かるだろう。(拙訳です(^^;))
先日ペルシア書道の作品展を見に行った際、鴨長明の「方丈記」の冒頭部分をペルシア語に訳したものを使った作品がありました。 このことをアラビア書道の生徒さんにお話したところ、アラビア語ではどうなるのか、是非知りたいという方がいらっしゃいました。 もし翻訳されたものが見つかったらご連絡しますと応えましたが、多分無いだろうなと思いつつ、あちらこちらのお稽古場所でお話していたところ、生徒さんのなかから、アラブ イスラーム学院の図書館にありますよ、という情報がありました。 早速、同図書館で探してもらったところ余り厚くない方丈記のアラビア語訳の本が確かにありました。 表紙に写楽風の絵が描かれ、アラビア語で”Hujuki”と書かれており、翻訳はアーデル・アミーンという方がされていました。日本財団が援助しており、出版社はエジプトの"Daar miSri al-muHuusa"というところになっています。 有名な方丈記の冒頭部分「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し.....」はどのように訳されているのかと見てみると、下記の通り、かなり長文になっていました。 翻訳された方もかなり苦心したのだろうなと思われますが、ほぼ原典に忠実に訳されています。これを見ると、日本語ではかなり簡潔に表現されていますが、そのままアラビア語に訳したのでは意味が良くわからないのでかなり補足説明が入っているのが分かります。それでも、日本の川とアラブの川ではかなり印象が異なるだろうし、その川の泡を見て、”はかなさ”をアラブの人々が感じるだろうかなとも思います。 方丈記の他にいくつか日本語の有名な作品がアラビア語に訳されているので、この訳され方を比較したり、アラブ人にその雰囲気が分かるものかどうかなどを調べてゆくのも面白いなと思います。 卒論を準備されている方、ご検討下さい。 アラビア語版「方丈記」の表紙と冒頭部分 ![]() │<< 前日へ │翌日へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |