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あま野球日記@大学野球

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2009.07.12
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カテゴリ:大学野球

先ほど書いた「日本のバント事始め」の続き。


早稲田大野球部が日本で初めて米国遠征したのは1905年(明治38年)
4月だった。選手たちは米国人に大いに歓迎で現地に迎えられた。いや、
歓迎したのは米国人だけではない。「いったい野球とは何か」まるで知らない
在留日本人たちの多くも全米各地から球場に集まった。


第1戦のスタンフォード戦が行われたのは4月29日。その前日には東郷
司令長官率いる日本艦隊がロシアの東洋艦隊を全滅させ、日露戦争で
大勝利を得た時。集まった日本人たちにとっては、少なからず気持ちが
高揚した瞬間だったろう。


■『日本野球史』(国民新聞運動部編、昭和4年刊)には、こう記している。
「故国を離れてから全くその面影を偲ぶよすがもない時に、しかも戦勝の
それを示すがごとく現れた早稲田チームを見て、いくらかの慰めにしようと
したのだろう。(中略)球場の処々で『日本、日本』と云う声が聞こえる」


先日書いたとおり、早大野球部部長だった安部磯雄の計算した利益は
得られず収支の面では散々(大赤字)だったものの、「最新野球技術」の
輸入という点や在留日本人たちへの慰問という効果は十分にあったようだ。

安部磯雄の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「米国遠征の夢と財布の中身」 (2009.7.9) → 
こちらへ。 


そしてもうひとつ。 ここまで書いて思い出したのは、この時から遡ること
9年前のこと。1896年(明治29年)5月23日、一高(現・東京大)が米国人
からなる横浜アマチュア倶楽部に記念すべき初勝利(スコア29-4)。
そして続く2回戦(同年6月5日)もスコア32-9で大勝したのだ。
2回戦終了後、試合のあった横浜市内は一高の勝利に大いに盛り上がった。


■『にっぽん野球の系譜学』(坂上康博著、青弓社刊)に、その時の様子が
記されている。
「横浜駅に向かう彼ら(一高の選手たち)に、勝利を祝し、ていねいに礼を
告げていく横浜市民の姿を見て、一高の学生たちは『異人サンの金力』に
抑圧を受けながらも『治外法権』ゆえに憤慨を骨に刻むよりほかない市民
たちの『敵愾心』をひしひしと感じた」

日米野球の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「日米野球初戦、一高が圧勝す」 (2009.6.29) → 
こちらへ。

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この記事は『ボクにとっての日本野球史』の中で、次の期に属します。
→ (第2期)1896年(明治29年)、一高が横浜アマチュア倶楽部に勝利した時
および(第3期)「1905年(明治38年)早稲田大がアメリカに遠征した時」に属します。

(第2期)に属する他の記事は以下のとおり。

◇ 「ボクにとっての日本野球史」 (2009.7.1) → こちらへ。 
「日米野球初戦、一高が圧勝す」 (2009.6.29) → こちらへ。


(第3期)に属する他の記事は以下のとおり。

◇ 「ボクにとっての日本野球史」 (2009.7.1) → こちらへ。
「日米大学対決は104年前に始まった」 (2009.6.23) → こちらへ。
「野球術を普及した安部磯雄と橋戸信」 (2009.6.24) → こちらへ。 
「米国遠征の夢と財布の中身」 (2009.7.9) → こちらへ。
「日本のバント事始め」 (2009.7.12) → こちらへ。



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Last updated  2009.07.14 00:17:35
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