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あま野球日記@大学野球

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2014.01.05
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テーマ:高校野球(3598)
カテゴリ:高校野球

昨年11月、skyAが放送した番組『高校野球名将列伝』を見ての感想を。


■1989年夏の甲子園、帝京高は決勝で仙台育英高を破り、ついに初優勝を果たした。その瞬間、ベンチ前に起立していた前田三夫監督は、必死に喜びを押し殺そうとするも、つい嬉しさのあまり笑みがこぼれた。

そして口が小さく動いた。
「や、っ、た」と。(下の写真、skyAより)

72年、前田が監督に就任時、帝京高野球部は部員がたった4人しかいない弱小チームに過ぎなかった。そんな中で「お前たちを甲子園に連れて行く!」と大見得を切って以来、選手たちをスパルタ方式で鍛え上げた末にやっと勝ち取った全国制覇。その喜びの大きさは、自制したって自然にこぼれる笑顔を見ればよくわかる。



■この優勝まで、前田には様々な紆余曲折があった。とりわけ大きかったのは、83年センバツで蔦文也監督率いる池田高に大敗したこと。池田は、前年夏は畠山準で全国制覇し、そして今回はエース・水野雄仁で春夏連覇を狙う西の横綱的な存在だった。ただ打線の破壊力に自信をもつ前田も負けていなかった。こちらも東の横綱だ、池田、何するモノぞ~と、気勢を上げていた。

ところが、その気勢は、試合が進むごとに萎んでいった。結果は、スコア0-11の大敗だった。

「蔦さんを見て、世の中にこんなすごい監督がいるんだな。これじゃぁ、自分が勝てるわけがない。優勝なんてできっこない。監督のパワー、そして監督としての器が違う」。

選手には、池田の練習方法に倣って筋トレや水泳トレーニングを課す一方、前田は自身にも試練を課した。それまで帝京高の事務局員として監督を続けていたが、社会科の教員として教壇に立つ決意をした。ちょっとわかりづらいが、「できれば教壇に立つことはしたくなかった」それまでの気持ちを甘えと捉え、野球以外にもうひとつ別のステージを自らに課したのだろう。



■その後、前田の決断が功を奏し、全国初優勝(89年)も経験して、チームは着実に力をつけたように見えた。だが、初優勝から9年後の98年夏に、再び前田を悩ます事件が起きる。

その頃、前田は、選手たちがスパルタ方式の練習を嫌がっていると感じ、選手の「自主性」を重んじる指導に転換を試みた。すると、チームはあれよあれよという間に予選を勝ち進み、あっさりと甲子園出場を果たした。ちょうど森本稀哲がいた頃だ。

「世の中の風潮にもあった、選手の『自主性』に任せるというのも、たしかに良いものだ」。

そう思った矢先、帝京は甲子園の2回戦で浜田高にあっさり敗れてしまう。負けたのは仕方がない。勝負とは、どちらかが勝つ以上、どちらかが負けるのだ。しかし、前田が許せなかったのは、敗戦後の選手たちの態度にあった。

「選手たちは皆、笑顔だった。まったく涙がなかった。これを見た瞬間、僕は情けなくなってしまった・・・」。

それまで30年近くにわたり監督を務め、多くの勝ちも負けも経験し、そして全国優勝も経験した。しかし、何か選手に伝えるべきこと、言葉が足りていない・・・。突然、そんな不安な思いが前田の頭の中を駆け巡った。書物などに当たるも答えは見つからない。 

「野球の原点とは何だろう、選手に伝えるべき言葉とは、何だろうか?」

その答えを探しに、前田は1か月間の休養をとって野球発祥の地・米国を訪ねた。そしてある日、偶然見ていたワールドシリーズ、パドレス対ヤンキース戦の、チームが優勢であっても劣勢であってもスタンディングオベーションで選手に拍手を送るパドレスファンの姿を目の当りにし、前田は「これだ!」と思った。さっそく帰国するなり選手たちを集め、

選手のひたむきさ、一生懸命さが、結果としてファンの数を増やし、選手とファンとの一体感を醸成するのだと説き、そして、遠回しな言い回しになるが、新スローガンは、

「皆に拍手される野球をやろう!」

にすると伝えた。



■はたして2006年夏の準々決勝で智弁和歌山高戦に敗れたものの、この時、前田の立てたスローガンが現実のものとなった。

この試合、劣勢だった帝京(最大6点差)は、9回表に一挙8点を奪い逆転に成功する。ところがその裏、智弁和歌山も粘り、帝京は押し出し四球でサヨナラ負けを喫するのだが、前田が探し求めた答えを、選手たちが具現化した試合になった。ひたむきさ、一生懸命さが試合の流れを流れを手繰り寄せ、そして応援しているファンや観客の心を魅了したのだ。


帝京 000 200 028  =12
智弁 030 300 205X =13


「負けたけどね、痺れましたねぇ。選手たちが見せた粘りは、さすがだなぁ、と。30数年監督をやってきて、あんな試合をやらしてもらって、選手たちに感謝しています。観客の皆さんが総立ちになって拍手をしてくれたでしょう・・・。やってて良かった。これで、帝京はこういう野球を続けようと決意できた」。

そして、いつもの明快な口調、やや甲高い声で、こう締めくくった。

「僕はね、選手たちを集めて『こんなに感激したのは初めてだ』と言いましたよ。そしてね、今後野球を続ける者も、野球から離れる者も、皆に拍手される人を目指しなさいと言いました」。

 

帝京・前田監督、メロン 006.JPG






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Last updated  2014.01.06 09:03:37
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