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やはり日本国憲法は死んでいた。
日本国憲法は強大な国家権力の抑制の為に存在する。 憲法が死ねば強大な国家権力が国民に襲い掛かる。 その例がこの度の鈴木宗男氏冤罪事件だ。 裁判官は検事を裁くのであって被告を裁くのではない。 強大な権力を持った検事を法によって裁くのである。 それがこの国では裁判官が検事と同じ穴のムジナであっては、非力は一国民を 強大な国家権力から守る術は無い。 非力な一国民を強大な国家権力から守るものは憲法でしかない。 法の番人と国家権力が迎合すれば非力一国民は対等には戦えない。 唯一、憲法のみが国民を擁護する。 だが、この国の憲法は死んだ。 裁判官は100人の犯人を逃そうとも一人の冤罪者を作ってはいけない。 しかし、この国を見渡せばどうか?冤罪だらけだ。 憲法が死ねば国家権力が冤罪を作れる。恐ろしい国だ。 冤罪が作られると国民はどうなるか? 国民は国家権力によって生命、自由、財産を失う。 リヴァイアサン(イギリスのホッブスの著書に出てくる神も恐れる怪物)が国民の生命、自由、財産を破壊し奪い取る。 かくして、鈴木宗男氏の冤罪は、このタイミングで作られた。 このような国を通常暗黒国と言う。 暗黒国家では権力の意思によって冤罪が作られ、人々は自ら死を選び、親は子を殺し、子は親を殺し、はたまた国民の代表を殺す。 冤罪を作れる者達こそが犯罪者である。 これは恐ろしい事だ。犯罪者が国家権力を握り国民に襲い掛かる。 それがこの国の現実である。 しかし、今こそ市民は団結して戦わねばならない。 小沢革命、市民革命はネットから炎上するのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年09月09日 13時50分09秒
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