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滅び行く「純文学」をこよなく愛し、場合によっては「殉死」してもいい。……かな? あれ? [全410件]
『厭世家の誕生日』佐藤春夫(岩波文庫) これはなかなかおもしろい短編集でした。7つの作品が入っていますが、それぞれ趣向が異なっていて、もちろん好みもあるでしょうけれども、ことごとくが面白い、というより作品としてのレベルが高いと思いました。 含まれているほとんどの短編がよくできているという短編集は、実はさほどないんじゃないかと私は思っているのですが、はて、どんな短編集が頭に浮かぶでしょうか。 やはり総集編みたいなものが浮かびますかね。流行歌で言えば『グレイテスト・ヒット』ですね。 シングル版のA面の曲ぱかり集めたやつですね。(って、シングル版のA面の曲っていう言い方は、今でも通用するんでしょうか。そもそもレコードのシングル版に準じたものは今でも売っているのでしょうか。そういう売り物から離れて久しくなりますもので、よく分かりません。) ともあれそんな「グレイテスト・ヒット」みたいのを集めた、収録作品どれも出来が良いという感じの短編集として私の頭に浮かぶのは、岩波の太宰治の作品集、新潮の織田作之助の作品集、岩波の森鴎外の小説をやめて史伝の世界に入っていく辺りの短編集、それから、岩波の上司小剣の『鱧の皮』もよかったかな、そんなあたりですかね、ぱっと浮かぶとしたら。 「グレイテスト・ヒット」じゃないトータルアルバムのLPみたいなので言えば、これはもっと浮かばなくなりますね。そもそもこの手の本はあまり出版されていないんじゃないでしょうか。短編集はあまり売れないと聞きます。 私としては、村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』を挙げたいと思います。村上春樹は充実した短編集をたくさん出していますが、それでも全作出来がよい(私の好みに合う)となると、この一冊が一等賞だと私は思います。 後、こんな短編集があったらなぁと私が勝手に思っているので言いますと(ひょっとしたら、実際にあるのかも知れませんが)、志賀直哉の客観小説ばかりを集めたもの。筆者に重なる一人称の怒りっぽいおじさんの出てこないヤツ。『清兵衛と瓢箪』みたいなヤツばかりの。 そして、芥川龍之介の切支丹ものばかりの短編集もきっと面白いでしょうねぇ。 と、まぁ、「妄想」まで含めてあれこれ考えますと、それなりに面白そうな短編小説集は浮かびますが、さて冒頭の短編集に戻って、この短編集を上記の「短編集ジャンル」でいいますと、これは「グレイテスト・ヒット」型になりますかね。自選の初期短編集になっています。(と、前書きに筆者自身が書いています。) とにかくとてもレベルの高い短編集であります。収録作品はこの7つです。 『西班牙犬の家』『お絹とその兄弟』『一夜の宿』 『星』『旅びと』『侘びしすぎる』『厭世家の誕生日』 まず冒頭の『西班牙犬の家』が、わずか文庫本12ページながら、読者の意表をつく素晴らしいできばえであります。この作品の後、『お絹とその兄弟』『星』などと読んでいきますと、この作家が確かに浪漫主義作家で、かつ浪漫主義の面白さを満喫させてくれる作品ばかりが、本当に次々と現れてくるなあと思います。 なるほど谷崎潤一郎などと「血縁」ぽい小説であります。 そしてその谷崎に絡む作品が『侘びしすぎる』でありまして、私は以前より本作については名前は知っていましたが、読んだのは初めてであります。 以前より名前は知っていたというのは、この作品は谷崎の最初の妻を巡って、谷崎がいかにも谷崎的なわがままを行った結果、佐藤春夫との仲が絶交状態になった、後の「細君譲渡事件」をモデルとした小説だからであります。 今を遡ること既に何十年もの話でありますが、私の大学の卒論の中心作品が、谷崎側からこの事件の周辺を描いた『蓼食う虫』という長編小説でありました。 だから当然この『侘びしすぎる』もその時に読んでいなければならなかったはずなのに、なぜ読んでいなかったのかと思い出しますと、……というか、そんな昔の話は思い出しようもないんですが、今考えますと、そのころの私は、ひょっとして谷崎寄りの感覚を持っていて読まなかったのでしょうかね。 というのも、このスキャンダルは文壇ではやはりかなり有名で、いろんな人がいろんな論評をすることについて、谷崎もけっこう苦々しいものを持っていたようですか、彼が最も堪えたのが、佐藤春夫の『秋刀魚の歌』とこの『侘びしすぎる』だったというのを、私はどこかで読んだような気がします。 なるほど、この作品の出来は、かなりいいですよね。 単に主人公を巡る三角関係を書いただけではなくて、主人公の弟夫婦のこれまたややこしい関係を絡ませているのが、とても作品に奥行きを与えて、モデルとなった出来事を見事に文学的に昇華しています。 そして、何より文体が素晴らしい。今回の7つの作品は、文体としては2パターン的に私は感じるのですが、一つはいかにも浪漫主義的な濃厚な文体。もう一つはその濃厚さを少し嫌ってノンシャランな感じを漂わせた文体。 どちらも素晴らしいですが、この『侘びしすぎる』はこの両者が渾然一体となったような名文であります。 考えてみれば佐藤春夫といえば、あの散文詩のような『田園の憂鬱』を書いた作家であります。文章が下手なはずがありません。 にもかかわらず、なぜ私は、今回佐藤作品を見直すという、ある意味今までの評価が不当に低い感覚を持っていたのでしょうか。 かつて谷崎経由で読み始めたことが、案外誤った評価に繋がっているように思えて、なるほど作品との出会いというのも、現実の人間の出会いと同じで、いろんな偶然がいろんな判断を生み出してしまうものだなと、私はつくづく感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『青森県のせむし男』寺山修司(角川文庫) えーっと、書き出す前に、少し気になったもので、一部分を仮にアップロードしてみたのですが、ちゃんとブログに乗ったので安心したといいますか、まー、よかったな、と。 何の心配だったかといいますと、本のタイトルについてですね。 「せむし男」という部分。 ちょっと気になったんですね。 そこで、そもそもこのタイトルの「本歌」であっただろう小説についても、ついでに調べてみました。冒頭の戯曲のタイトルは、ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダムのせむし男』から取っているんでしょうね。この小説のタイトルは、今どうなっているのかと、ネットで調べたわけです。 すると、今では少し違うタイトルになっているんですね。 『ノートルダム・ド・パリ』とか『ノートルダムの鐘』とか、ちょっと後者は、こじゃれた感じのタイトルになっています。 でもさらに見ていきますと、今まで私が知らなかったことが書かれてありました。 それは、そもそものユーゴーの原題は『Notre-Dame de Paris』であったということであります。 とするとなんですか、「せむし男」という少々問題を含みつつ、しかし一方でかなり作品自体を象徴しているタイトルは、日本語に翻訳する段階で入ったということなんですねー。 例えばわが国には昔から、外国映画のタイトルについて封切りの際日本語のタイトルにする時に、原題を直訳せず、なかなか雰囲気のあるタイトルを付けてきたという伝統がありましたものね。 (ついでの話ですが、少し前に、この伝統が最近なくなってきて原題のアルファベットを単にカタカナに直しただけの、味も素っ気もないタイトルばかりになってきたことを嘆いた文章を、誰の文章でしたか、読んだことがあります。世の中には、いろんな嘆きがあるものですね。) しかし、そのやや問題のあるタイトルを最初につけたせいで、今となっては、一時は人口に膾炙していたタイトルがなくなってしまい、改名後の何とも馴染みのない(パロディにしてもそうだと分からない)中途半端なものとなってしまいました。 ということですが、さて、冒頭の戯曲集であります。以下の5つの戯曲が入っています。 『青ひげ』『青森県のせむし男』『大山デブコの犯罪』『邪宗門』『犬神』 制作され初演の演じられた時代は、例の(この「例の」ってのは何でしょうね。小劇場演劇の最も注目された時代ということでしょうかね)1970年の前後なんですね。 最近、70年前後だけに限らず、昭和後半の時代を振り返る本がけっこう出ているような気がしますが、現状不如意によるノスタルジーなんでしょうかね。 それとも、昭和から四半世紀が過ぎ、そのちょっとした長さが、あの時代のいろんなものに対して、あたかも小高い丘から眺めるような見通しの良さを生みつつあるのかも知れませんね。 ともあれ、本作を今読んでみると、これは以前にも70年代あたりからこちらにかけての戯曲集を読んだ時に触れましたが、やはり演劇における言語の役割の相対的低下が見られます。 ただ、たぶん同年代である唐十郎の作品よりは、言語は機能的に動いている、つまり、簡単にいえば、ストーリーをかいま見ることが出来るという感じがしました。 それは、戯曲を造った作家の資質の違いかなと思います。 山吹 ほんに地獄に、春が来た。(とにっこり)春にほろほろ啼く鳥の、 声をきくたび思い出す。あたしの捨てたおっ母さん、いま頃どう しているのやら、飢餓が三年、旱が五年、止むにやまれぬ口べら し、あまりにはげしく泣くときは、草刈り鎌を月に研ぎ、母の舌 をば切りおとし、舌切り雀のお葬式(ふと声をおとして)あたし が川で水浴びをしていると、村中の男たちの目が光る。嫁にほし い、嫁に来てくれ、と言われるたびに、あたしは言ってやるんだ よ。”ひとつ家に、女が二人じゃうまくはいかぬ。あたしを嫁に ほしかったら、まず、母親を捨ててからおいで”と。 例えばこんな科白に見られる言語の役割は、状況を次々に生み出していくと同時に、言葉自体の持つ詩性を表現することが強く求められます。 その詩性にこだわりつつ場面を展開していくというのは、かつて戯曲の最も基本的条件でありましたが、さて、今はどうなっているのでしょうか。 そんな意味では、70年前後という時代とその時代を代表する劇作家達は、大きく歴史と伝統を切り回したと思います。 ただその方向付けたものがさらにその後どんな展開を生み出しているのか、寡聞にして私には分析説明する能力がありません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『武蔵野夫人』大岡昇平(新潮文庫) 前回の続きであります。 前回書いていたのは、若かりし頃読んだフランス心理主義小説はとっても面白かったな、という愚にもつかない我が懐旧談でありました。どうもすみません。 そこでこれ以上の前回のまとめは放っておいて、進んでいきます。 さて冒頭の小説を読み始めまして、しかし大岡昇平の心理主義小説的な書きぶりは、私としては実に懐かしかったのであります。 若い頃こんな感じの小説を(そのほとんどは恋愛小説ですね)けっこう読んだよなー、と思い出し、とても嬉しかったです。 いかにもフランス心理主義小説っぽくて、がっちりと登場人物の心理を解剖学者のように「腑分け」しつつも、エレガントさは残してとても優雅な感じがしました、少なくとも、半分くらいまでは。 ……うーん、しかしねー、何といいますかー、舞台は第二次世界大戦敗戦後、わずか数年の日本なんですよねー。 例えば登場人物の男女が、初めて二人きりで旅行をするシーンで、混み合った列車に共に乗っているのは、満員の「買い出し」の人々であります。 もちろん作者は、そんな事は分かっていながらこのシーンを書いているのですね。つまり、敗戦後の日本を舞台にして、フランス心理主義的恋愛小説をいかに形造るかという「挑戦」を、筆者は行っているわけであります。 そして、その結果はどうなったのでしょうか。 冒頭にも書きましたが、作品前半かなり優雅に書かれていた展開が、後半なんだか「貧相」な、コメディアスなものになっていきます。 それは、ストーリーとしてみますと、主人公である「武蔵野夫人」道子の「恋人」の勉が、一緒に住んでいた家を出て行くからですね。 それが結果として、去る者日々に疎くなる状況になってしまったわけであります。 しかし一方で、こんな説明があったりもします。 最後にまた勉と一緒に暮す幸福の幻影が浮んだが、彼女はそれも打ち消した。それは二人もまた秋山や富子と同じ畜生道に陥ちることだ。それじゃなくっても、あの子はあの女の肩へ手をかけたりするような子なのに。そうだ、財産を残したら、あの子だって少しは思い知るだろう。自分はやはり死なねばならぬ、と思い定めて道子は父の墓前を離れた。 筆者は、もちろんこういった感じ方に対して「批判的」であるのでしょうが、筆者の批判はともかく、このような考え方が一般的感性として根強く息づいている国民集団に「不倫小説」を定着させるのは、実際なかなか容易なことではありませんよね。 道子は「死なねばならぬ」と思い詰めるわけであります。 そして、さらに「死ぬ」ことについて、こんな風に書いてあったりします。 墓石は無論答えなかったが、武士の子であった父が、よく自分は死生観について筋金が入っていると自慢していたのを思い出した。 「私の子供のころ、日本人はまだよく腹を切ったものです。キリスト教が自殺を禁じているのは、奴隷にどんどん自殺されては主人が損するからですな。儒教にはそんなふやけた思想はありません。死んで死に甲斐がある時自分を殺す。これは立派な君子の行為ですからな。わが国の切腹は儒教の当然の帰結です」 私の連想はここでふと、別の小説に飛ぶのですが、本作の書かれたのは1950年(昭和25年)であります。ベストセラーになりました。 そして同じく戦後ベストセラーになった太宰治の『斜陽』の発表は、1947年(昭和22年)であります。 それぞれの作者の意図も違いますし、作品の狙いも違いますので単純な比較は出来ませんが、『武蔵野夫人』より3年前に書かれた、『斜陽』の主人公和子の「恋と革命」意識が、いかに斬新な価値観を表現したものか、一方の道子の旧弊なモラルとの隔たりに(もちろん大岡昇平は、そんなモラルを持つ主人公として描いたのですが)、私は少々驚いてしまいました。 そういえば、どちらも金も物資も何もない戦後日本を描きながら、太宰はそんなものは何もなくても、『桜の園』のように『斜陽』を描きました。 大岡の本作は、心理小説としては一定のレベルは保っているとは思いますが、私としては読者の「わがまま」で、今回読まなかった太宰の「新しさ」に、改めて目を洗われるような気がしました。 少々申し訳ないまとめではありますが。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『武蔵野夫人』大岡昇平(新潮文庫) 「恥の多い人生を送って来ました」と書いたのは太宰治ですが、わたくしも振り返って見ますれば、「恥」はもちろん今に至るもとても多く、そしておそらくこれからも恥だらけの人生であろうとは想像できますが、その恥にも増して、たいがい「ムダ」の多い人生でもありました。 それは趣味的なもの、そもそもわたくしは熱しやすく冷めやすくという性格でありまして、いろんなものに一時期凝って、しかし極めるところまでは行かず、ものにならずと、……まーしかし、それはきっと私だけでもないだろうとは思うんですがね。でしょ。 とにかくいろんなものに散財をし(「散財」だなんて、そんな大層なことは本当は臆病者ですからできもせず、ちょっとお小遣いを傾注した程度のことなんですけれどもね)、そして今となっは、何も残らない、と。いえ、「ムダ」だけが残った、と。 そんなものならずのだらしない趣味もさることながら、今回私がちょっと思っているのは別のことで、それはものにならなかった学問のことであります。 まーこれは、まだこれから先のことは分からないとも思いつつ、しかしこの年になって改めて勉学に励むというのはなかなかパワーのいることで、世間には停年退職後大学に再入学する方も今の時代けっこういらっしゃるものの(私の知人にもいらっしゃいますが)、でもちょっと大変そうであります。 そんなわけで、取りあえず「今のところ」というエクスキューズを一応付けて、ものにならなかった学問に、大学の第二外国語があります。 しかしこれも、ほとんどの方について同様でありましょう。 先日、外交官の方のお話を聞く機会があったのですが、その方は英語とロシア語は話されるものの、大学で学んだ第二外国語のフランス語はものになっていないとおっしゃいました。なるほどねー。 とにかく、今出ました「フランス語」であります。 全く何の役にも立っていませんねー、私の場合。 大学時代、最初のフランス語の授業の時に、先生が、「あなた達のほとんどは、大学の必修単位として無理矢理フランス語を学ばせられるというのが実際の所だと思います。実にお気の毒と思いますが、せっかくですから、一つだけ学んだらいかがでしょうか。」というニュアンスのことをおっしゃったのを憶えています。 そして一つだけ憶えておきなさいとおっしゃったのは、フランス語の読み方のことで、これは英語に比べて法則性が高く、基本的な発音方法さえ最初に憶えたら、後は意味は分からないでもとにかく読める、という事でありました。 私は、先生のそのご意見に何となく納得しまして、なるほど読めるようにだけはなろうと、本当に「最低限」の努力はしたんですがね、そして一時は、その通りに取りあえずフランス語の文を読める(発音できる)と言うところまで行ったはずなのに、……はずなのに、ああ、はずなのにぃ……、今となっては忘却の彼方であります。 「ムダ」ですなぁ。 ところで、そもそもなぜ私が、第二外国語にフランス語を取ったかといいますと、これは打てば響くように言えますね。 芸術の国フランス、文学の都パリ、と、とってもミーハーな文学青年だった私は考えていたからであります。 だって高校3年生の頃私が読んでいた小説家、例えば大江健三郎ならサルトルでしょ、倉橋由美子はフランスのヌーボロマン、三島由紀夫はフランス心理主義小説と、当時、現代日本文学のはやりの「店舗」は、ことごとくフランスが「元祖・本家」という感じであったように思います。 その中でも、三島由紀夫が影響を受けたフランス心理主義小説、恥ずかしながら私も、頑張って読みました。(もちろん、ものにならなかったフランス語ではなく、翻訳で。) 『クレーヴの奥方』『マノン・レスコー』『危険な関係』『アドルフ』そしてスタンダール、など。 面白かった記憶はあるんですがねー。というより、なるほどこんな書き方が小説の本道なんだなと感心した覚えがあるんですがねー。 今となってはやはり、忘却の彼方であります。 えー、なかなか、冒頭の小説につがっていきませんねー。 毎度の事ながら、とっても申し訳ない思いであります。(本気で反省せーよ。) というわけで、申し訳ないながら、次回に続きます。どーも、すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『戦中派天才老人・山田風太郎』関川夏央(ちくま文庫) 山田風太郎は、このブログでかつて一度取り上げたことがあります。 このブログの数少ないコンセプトは、高等学校で用いられている『日本文学史』の教科書に近現代文学として取り上げられている小説家を対象とするというものであります。 (そもそもの初めは、そんな教科書が大型古書店舗で105円で売っていたのを買ったことから考え出したという、そんな安易なものなんですがー。) しかしそんな教科書には、山田風太郎は出てきませんね。江戸川乱歩も出てきません。司馬遼太郎だって危ないところです。そこでもう少し「規制」をゆるめまして、風太郎も乱歩も(乱歩は何回かにわたって書いています)、さらに国枝史郎なんかも書いてみました。(取り上げた国枝史郎の作品は三島由紀夫が絶賛していたもので、こういう、文学史教科書に載っている作家が褒めている小説、ってのもけっこう選ぶポイントにしています。しかし、そう考えれば何のことはない、たんなる「権威主義」でありますなー。) 文芸評論家においても同様のことが言えます。 これも放っておくと、小林秀雄くらいしか文学史教科書には出てきません。 まぁ、小説がベースという考え方でしょうからそれでもいいのかなとは思いますが(一方で、日本の文芸評論には歴史に残る作品が少ないことも事実のように思いますが)、斉藤美奈子なんかも取り上げてみましたし、そして、今回の読書報告の作者、関川夏央もであります。 本書にこんな表現があります。 「元来、手品みたいなことが好きなんだな、ぼくは。手品みたいなことばっかり書いている。しかし、これは文学じゃないんだな」 ――それは志賀直哉が長生きしすぎて、志賀先生が好まなかった作物は軽んじられた、そのせいでしょう。ぼくも手品が好きですよ。手品みたいな文学が大好きです。 少しだけ説明をしておきますと、本書は「座談的物語」(筆者の表現)になっていて、一重カギでくくっているのが山田風太郎の発言という形になっています。 そんな長編インタビューみたいな本書ですが、前半のテーマは主に「老いと死」であり、後半のテーマは、山田風太郎の半生を追いながら「戦中日記」を中心に語っています。 後半も悪くはないですが、切れ味の良いのは前半です。 筆者自身が再三指摘していますが、「老いと死」をめぐる山田風太郎の発言は、全編これアフォリズムといった体を成しています。 例えばこんな感じ。 ――人間には、他人の死やボケをやたらにおもしろがるところがあります。 「そのかわり、自分の死だけには驚く虫のいい動物でもあるね」 「(略)そもそも人間は、自分で死にかたを選べない。大半の死は推理小説のように、本人にとってもっとも意外なかたちでやってくる。いわば、人生の大事は大半必然にくるのに、人生の最大事たる死は大半偶然にくる」 「千人近くもの人の死を見て思うことは、人間の死には早すぎる死か遅すぎる死しかないということだ。主観的にも客観的にも早すぎず遅すぎず、ぴたりといいところで死んだ、などという幸福な人間はまずいない」 「千人近くもの死を見て」という部分は、山田風太郎の怪作『人間臨終図巻』の事を指すのですが、この作品がまた、びっくりするような面白い作品であります。 そして後半の「戦中」の部分は、山田風太郎自身も認める「戦中派」という世代の一般的共通認識というとらえ方に、基本的には収斂しつつ、しかし随所に独自の鋭い観察眼が光ります。例えばこんな所。 「よく思うんだが、軍事教練ほど軍に害を呼んだものはない。どの学校でも学生たちは教練の将校をばかにしていた。中学だけじゃない、東京医専でもおなじだった。また、実際ばかにされても仕方のない人物が多かったんだ。そのやりかたも不合理そのものだった。そのせいで当時の知識青年たちは誰も軍人を尊敬しなくなったんだな。それは戦後にも引きつがれていて、戦後という時代の色調のひとつをつくった。一大愚行といわざるを得ない」 こういう「透徹した」視線は読んでいてとても面白いですね。イデオロギー的なものから離れた、純粋な知性というものの美しさのような気がします。 と、そんなことの書かれた本書でありますが、筆者関川夏央の功績は、例えば日本人に圧倒的人気を誇る歴史上の人物坂本龍馬の明るさが、司馬遼太郎の作品によって作られたように、山田風太郎の風貌を、木訥とした天才老人に「設定」したことでありましょうか。 これこそが、筆者の「批評」内容であり、そして実に見事な人物紹介といえましょう。 私は関川夏央の本をいつもとても面白く読むのですが、読むほどに、そこに張り巡らされている仕掛けをつい考えてしまうのは、本当は少々品のない読書法であるのかも知れませんが。……反省。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『二百年の子供』大江健三郎(中央公論社) 上記「ファンタジー」の読書報告の後編であります。 「ファンタジー」である(と筆者がおっしゃっています)本作が、私はとっても読みづらく難渋したということを、前回書いておりました。 そして、その原因の中心は、それこそ大江健三郎のデビュー作以来いわれている、実に独特な文体ゆえであります。 こんなエピソードを思い出すのですが、三島由紀夫が、人から「次の日本人のノーベル文学賞受賞者はあなたでしょうね」といわれた時、「いえ、大江君でしょう」と返したという話です。 三島由紀夫の批評眼には定評がありまして、「一に批評家、二に劇作家、三、四がなくて五に小説家」といわれたほどだ、と。(しかしこれは褒めているのか貶しているのか分からないフレーズですよね。) その三島が、大江をノーベル賞レベルと評価し、そして、その通りになったわけですね。 そして、その大江の文体が、私には難しい、と。 ……ということは、私にはほぼ純文学なんて分からないということでありますわね。 いえ、まー、別にそうであってもいいんですがー、少しだけ、言い訳っぽいことを書いておきますと、大江健三郎が芥川賞を受賞した時、文豪谷崎潤一郎は、私には大江君の文章がよく分からないといったとかいう話も、ちょっと知っています。 (ついでのついでの話ですが、三島由紀夫は、谷崎潤一郎の批判能力について、自らの才能の質を正確に認識して生涯ぶれなかったのは、自己に対する批判的能力としては極めてすぐれていたと褒めましたが、その前に、他人の作品についての批判能力は、谷崎はほぼ無能であったように書いています。) さて私は、冒頭の本を、特に文体に注意しつつ読んでいったのですが、例えばこんな所に注目しました。 翌日、あかりと真木は、朔が向こう側での出来事をまとめるための調査について行った。 アサ叔母さんも、子供の時に岩鼻へ遊びに行って、岩から魚のかたちにはがれた石をひろっては、穴を開けて笛を造ったって……ウグイの石笛というそうだ。 別々の場所から抜き出した二文です。別にどうということのない文だとも思いますが、目で読み終えて内容を理解するのに、一瞬の遅れ(理解するのに懸かる時間)があるように感じるのですが、どうでしょう。 一文や二文だけではどうということはありませんが、こんな文が続きますと、これはけっこう「ストレス」ですね。ただ、慣れるとそうでもないような気もします。 どちらにしても、ここに描かれている文は、解説・説明の文というよりは、詩や戯曲のための文のように思います。 意味が一瞬遅れて後追いにやってくる。だからその一文一文に、謎と解決が現れてくるともいえそうですし、ちょっとそれに疲れますと、わかりにくいと感じてしまいそうです。 そう言えば、作品の構成も同様になっています。出来事をまずそのまま辿り、その意味は後で少しずつ現れてくる、もっともこれは小説の構成の王道であるのかも知れませんが、見通しがよくなるのは、絶えず一つのエピソードの終盤からであります。 そんな、いわば息の抜けない読書が要求されると、私は読みながら思ったのですが(だから読み終えた後には勉強になったような気がすると思ったのですが)、しかしそのプロセスを過ごした後に現れてくるものは、やはり私が若かった頃に感じた「大江健三郎的感動」と同種のものでありました。 それはいかにも世界文学としての「大江的」な、個人的な体験から人類的普遍の課題に繋がっていく広がりを持った「感動」であります。 ――パパがさ、東京の家の居間のソファに寝そべって、いまの日本人には関係のないような本を読んでるでしょう? そして、面白いなあ! と大声でいうんだ。 ほかにはだれもいなかった時に、どんな内容? とおつきあいに聞いてみたらさ、書かれている内容より、書き方が面白いって……つまり、「言葉」が新しいんだ、というのね。 そして、「新しい人」は、「新しい言葉」から作られる、と格言みたいなこともいった。 そう言えば、読んでいて名詞にとても力があるとも私は感じたのですが、このように「『新しい人』は『新しい言葉』から作られる」と大江健三郎がいうと、確かにそういう努力をこの作家は絶えず行ってきたのだと納得され、とても強い説得力を、改めて私は感じたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『二百年の子供』大江健三郎(中央公論社) 私が高校生から大学生にかけて、その頃の現存小説家で、新しい作品が出る度に買ってしっかり読んでいた作家は、たぶん大江健三郎と安部公房だったと思います。 でもそれは別に特別なケースではなくて、きっと少なくない「文学青年」の読書傾向が同じだったと思います。 その新刊書の中心にあったシリーズは、なんといっても新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」ですよねー。 大江健三郎で言えば『洪水は我が魂に及び』あたりでしょうかね。そして安部公房で言えば、これは脂の乗りきった頃の公房の作品のほとんどが入ってきますものねー。『燃えつきた地図』『砂の女』『箱男』『密会』『方舟さくら丸』と、まさに公房の文学的変遷がそのままに辿れる作品群であります。 大江と公房以外にも、遠藤周作の『沈黙』があったり、倉橋由美子の『聖少女』などがあったりと、こうしてみるとあのシリーズは、昭和時代後期の文学史そのものでありましたねー。 でも、あのシリーズ、いつくらいまであったのでしょうね。どうしてなくなっちゃったんでしょうね。 そもそも私は、どの辺りまであのシリーズを追いかけていたのでしょうか。 大江の『同時代ゲーム』、だいたいこの作品が、私にとっては少々「ケチの付き始め」(えー、よくない表現ですみません。極々個人的な感覚のものであります。すみません。)でありまして、買ったけれど最後まで読み切れない作品でした。今でもこの作品は読んでいません。(でも、まだ家にありますので、また頑張って読んでみましょう。) 丸谷才一の『裏声で歌え…』辺りは、このシリーズの最後のほうなんでしょうか。 筒井康隆の『虚航船団』はどうなんでしょう、なんか私のイメージでは、このあたりから「純文学書き下ろし特別作品」のきらめきが失われてきたというか、パワーがあまり感じられなくなったというか、例えば新聞に新刊の広告が出ても、「あっ」と声を挙げて、「これは買わなければ」と呟いて、そして、わくわくしながら本屋に行く、という感覚がなくなってきたように思います。 なかなか大変ですねー。 というわけで、大江健三郎作品の読書報告を書こうとしているんですが、率直なところを言いますと、実に読みにくかったです。 本作品は、本の帯に「私の、生涯唯一のファンタジー」と書かれているように、どちらかといえばごく若い読者層を想定して書かれたと思うのですが、いえいえ、なかなかそんな取り組みやすい作品とは思えませんでした。 ただし、だから面白くなかったというわけではないところが、やはり、大江健三郎の凄いところで、こんな本を読み終わると、何といいますか、「うーん、いい勉強をしたなー」という感じになるんですが、それって、元々の素地が賢くない私故、でありましょうか。 そこで、かつての若かりし日の自分の読書のことを思い出したのでありました。 あの頃私は、どんな感じで大江健三郎の作品を読んでいたのであろうか、と。 あの頃、大江の小説の多くは新潮文庫に入っていました。(大江だけではなく、新潮文庫は純文学小説に強くシフトした文庫でした。今はどうなんでしょうか。) 一時期はそのほとんどを読みましたよ。長い『遅れてきた青年』なんかも読みました。 新潮文庫じゃなかったですが、『万延元年のフットボール』も、とても面白くて、ほぼ徹夜をして読んだ記憶があります。 (これは以前にも書きましたが、数年前に『万延元年……』を再読しようとしたら、なんかとってもむずかしくって、途中で止めてしまいました。) 二十歳前後の頃の私は、よく分かっていたのでしょうか。 でも内容的には、今思い出しても、とても面白かったような気がします。 ポイントは、何といっても、あの文体ですよねー。あの文体に、若かった頃の私は充分堪えられていたのでしょうか、我が事ながら、とても不思議な気がします。 というのも、今回の作品、「ファンタジー」と銘打たれておりながら、読むのにとても時間が懸かりました。少し読んでは本を閉じ、の繰り返し。 それこそ、なぜこんなに読みにくいのかということを考え考えの読書でありました。 そして、私なりに考え、思ったことは、もはや大江健三郎作品について「定説」であるような、実に独特な文体のことでありました。 えー、続きます。すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『司馬遼太郎の「かたち」』関川夏央(文春文庫) えー、冒頭文庫本の読書報告の3回目になってしまいました。今回で、頑張っておしまいにしたいと思います。 前回の文章の真ん中当たりに、私は関川夏央のお話(随筆、評論含む)の面白さを、「山田風太郎的面白さ」と書きましたが、文体的にもよく似たこんな感じがあります。 その前夜、酒席で「大サービス」をした司馬遼太郎は、腰部近辺の痛みの鍼治療を受けるため自室に退こうと立ち上がりながら、和田宏と中央公論社の山形真功に、部屋へ来ないか、といった。スウィートだから次の間がある。そこで治療が終るまで飲みながら待っていてくれ、というのである。夜半に部屋まで、それも治療中に、そんな誘われかたははじめてで、和田宏はとても意外な気がした。 和田宏にとって、またほとんどの編集者たちにとって、この名古屋が司馬遼太郎との最後の語らいの機会となった。 これは司馬遼太郎が亡くなる1966年の正月の話なんですが、こんな書き方は明らかに伝奇小説的な書き方、いわゆる「語り」の文体ですね。 一昔前の文芸評論家なら(たぶんちょっと恥ずかしく思ったりするのかも知れませんが)こんな書き方はしません。でも、このほうが、間違いなく面白いですね。 (以前『坊っちゃん』について本ブログで取り上げた時に、「坊ちゃん」の通っていた学校はどんな学校であったかということなどを考察した関川夏央の文章に触れましたが、その時も、読んでいてあっと驚くようなストーリー性(伝奇性)を持った評論の展開でありました。) さてそんな関川夏央の司馬遼太郎論ですが、これも前回の最後に、一言だけ書きましたが、本書は司馬遼太郎の小説についてはほとんど言及していません。なぜなら、筆者が対象として取り上げた亡くなる前の10年間に、司馬遼太郎は一作も小説を書いていないからであります。 この10年間、司馬遼太郎の書いたものは(単発的な作品をはずすと)、『この国のかたち』と『街道をゆく』シリーズだけでありました。 「エッセイ書くと小説書けんようになるねん」というのが司馬自身の言葉でしたが、そしてその通りとなった10年間、言い換えれば、本来司馬遼太郎が司馬遼太郎である第一義的な仕事を外した後の司馬遼太郎の、いったい何を、関川夏央は描くのかというと、実はこういった「寝技」的な書き方が、関川文芸評論の特徴であります。 白樺派を描くのに、武者小路実篤の「新しき村」運動を中心に据えたり、前述山田風太郎を描くのに架空の対談の形を用いたりと、様々な仕掛けを施しています。 本書も同様で、小説を書かなくなった小説家を描くという形を取りながら、結局筆者が描いているのは、総体としての司馬小説の実体評価であり、その様な実体を生んだ作家の苦悩でありました。 まずその評価ですが、それは一言で言えば、 司馬文学は永遠の青春文学であった ということであります。 そしてこのように評価される歴史小説作家としての苦悩の対象が、大きく二つあったと筆者は説きます。 その一つは、司馬遼太郎評価を巡る有名な部分ですが、『この国のかたち』の第3回に出てくる、司馬遼太郎がやや冷静さを欠いたような、「鬼胎」「異胎」という言葉を用いて呼んだ、日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦までの四十年のことです。 関川は、しかしこの時期は間違いなく、あのさわやかな『坂の上の雲』の時代が生んだものだと説きます。つまり、一つの時代=青春が終わったのだと。 もう一つは、晩年に司馬遼太郎が遭遇してしまったバブル景気であります。 特に司馬が憤ったのは、地価の急騰でありました。日本国民がこぞって、国土を安易な経済対象としたことに、司馬は激しく反発し、太平洋戦争敗戦後の、何もなかったが未来だけは開かれていたような日本社会の帰結が、この有様かと苦悩します。 そして本当に司馬の苦悩を深めたのは、この両者の時代の迷走の根幹に、「国民=民衆」の意思が大きく関わっていることを「国民作家」司馬遼太郎が熟知しているという事だと筆者は説きます。 最晩年の司馬遼太郎が、自分はたぶん21世紀には生きていないだろうという文を書き、小説を捨ててまで生き急いだように日本の未来への提言をし続け、そしてそのあげくの死について、筆者はこんな風にまとめます。本書の結語であります。 一九九六年二月十二日午後八時五十分,史上最高の青春小説の書き手にして、晩年には強烈な憂国の思いから、「この国のかたち」を、文字どおり精魂こめて十年間書きついだ偉大な作家、「司馬さん」は長逝した。七十二年と六カ月の、はなばなしくも実り多い生涯であった。 しかし、もし「司馬さん」が今生きていたとしたら、……いえ、二十一世紀の憂いの限りの日本の姿をお見せしない方が、きっと「司馬さん」への、我々のせめてもの志でありましょうか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『司馬遼太郎の「かたち」』関川夏央(文春文庫) 冒頭の文庫本の読書報告の2回目であります。 前回述べていたのは、 山田風太郎--関川夏央--司馬遼太郎 という「トモダチの輪」でありましたが(なんかよくわかんない話だな)、私に山田風太郎小説の面白さと(特に明治小説ですね)、そしてそれが司馬遼太郎の諸作に匹敵するものであることを教えてくれたのが、関川夏央なんですね。 だって、一般的に考えて、山田風太郎と司馬遼太郎ではバランス取れてないって感じがするではありませんか。司馬遼太郎が「日本国のご意見番」のごとくであるのに対して、山田風太郎といえば、痛快ではあるが所詮荒唐無稽な大衆伝奇小説作家、って感じではありませんか。(かなり勝手なバイアスがかかっているんでしょーかー。) (ついでの話ですが、そしてこの話はどなたをも貶めるつもりで書くのではないのですが、当時山田風太郎の文庫本の表紙を(角川文庫ですね)描いていらっしゃったのが佐伯俊男という画家でありまして、この方がまた、何といいますかー、控えめに言いましても、とってもインパクトの強い画風でありまして、いえ、はっきりいいますと、いやらしさの極地、エロスの固まりのような画風で、つい手に取ってみたくなると同時に、内容も同種のインパクトのある本かと、……まー、別にそれでよろしいんですがー。) えー、すみませんが、もうちょっとだけ、関川夏央との出会いの話をしますね。 山田風太郎の話を読んだ後、目に付いた関川夏央の本を、改めて私は次々と読んでいったのですが、それがどれもこれもとても面白いではありませんか。 でも私は思っていたんですが、この面白さは「山田風太郎的面白さ」である、と。 つまり、後世有名人となる人々の無名時代を描きつつ、その有名人同士をストーリーの中でぶつけ合わせるというパターンで、これはなかなかお話を二次的にわくわくさせる効果を発揮するのですが、その嚆矢はたぶん山田風太郎の明治小説である、と。 その「山田風太郎的面白さ」の最も典型的な例がこれであります。 『坊ちゃんの時代』(全五冊)漫画・谷口ジロー 関川夏央は原作を書いているんですが、これがとっても面白いんですねー。 常々私は、日本漫画のほとんど無限のごときキャパシティーの大きさ広さに感心をしているのですが(だって現在漫画にならない分野のものって、もうほとんどありませんよね。小説はもちろん、映画をも遙かにぶっちぎっているという感じです)、これも、漱石・鴎外・石川啄木・幸徳秋水など、文学者を主人公にして、素晴らしい漫画世界(新しい漫画の地平)を造り出しています。 と、さて、そんな関川夏央のかいた司馬遼太郎論でありますが(やっと、前回の最後に戻ってきましたが)、前回の冒頭に私は「メンター」の話を少し書いたのですが、本当は司馬遼太郎は、「メンター」じゃ、ないですよね。 司馬遼太郎はやはり、「メンター」というよりも、上記にも書いていますが「ご意見番」でしょう。そんな感じがします。 (また、ついでの話ですが、わたくし、常々(「常々」ばっかりやぁ)思っていたんですがね、司馬氏亡くなって既に16年、後述しますが、ますます日本国は大変な状況下にありそうですが、司馬氏亡き後「日本国のご意見番」となっていらっしゃるのはどなたかと。ちょっと小粒で、知識の方向性は異なり、かつ、そう言った役割をかなり避けていらっしゃいそうですが、わたくし思うに、養老孟司氏ではないか、と。いかがでしょう。ついでのついでに、さらにもしこの養老氏がお亡くなりになれば(まっこと失礼な仮定ですみません)、次のこの役割は内田樹氏ではないか、と。そんなことを考えているんですけれどね。) ところが、今となってはそんな風に単純に、当時の「日本国のご意見番」のごとくに思える司馬遼太郎ですが、実は晩年になるまで、リアルタイムの政治に意見を述べることを極力はばかっていたと、本書にはあります。 最晩年の『この国のかたち』においても、直截な形での政治論評は描いてありません。しかし司馬氏の晩年(『この国のかたち』を書いた1986年~96年)は、地価急騰(いわゆる狂乱バブル景気)から始まってその崩壊、阪神淡路大震災に続いてオウム事件と、司馬氏にとっては「不幸」と言わざるを得ない時代でありました。 なぜ司馬氏にとって「不幸」なのか。それも、本書に書いてあります。 それは、司馬氏が常々「エッセイ書くと小説書けんようになるねん」と言っていて、そしてその通りになってしまったことです。 だから、本書は、小説家司馬遼太郎が小説を書かなくなってからの10年間を描くという(事実小説についてはほとんど言及のない)、極めて「偏った」評論になっています。 ……が、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村
『司馬遼太郎の「かたち」』関川夏央(文春文庫) 「メンター」という言葉があるそうで。 大概、流行ものとか流行言葉に縁のない人間で、新聞紙上に注釈もなくその言葉が出てくる頃になって初めて、はてこれはどういう意味の言葉だと感知し、そしてちょっとごそごそ調べ、いわばトラック二回りくらい遅れて新しい言葉を(所詮その多くはすぐに廃れる流行言葉なんですがねー)読みます。 「メンター」なんて言葉もその一つで、これも何の注釈もなく、新聞の地の文に出てきて、また知らない言葉だ、困ったことだなー、と。 そんな時は、安易と言われても、取りあえずインターネットは便利ですよねー。少なくとも入門的知識については、ちゃんとフォローしてくれます。 こんな感じで書いてありました。 メンター=特定の領域において知識、スキル、経験、人脈などが豊富で成功 体験を持ち、役割モデルを示しながら指導・助言などを行う人。 なるほど。『オデュッセイヤー』にその語源を持つ、なんて事も書いてあります。 『オデュッセイヤー』なら確か私、大昔に読んだような気がするんですが、当然の事ながら全く記憶に残っておりません。(いばるなよー。) さて、「メンター」の話です。 はばかりながら、わたくしも考えて見ますれば、ずるずると近代日本文学小説をうん十年も読んできまして、その間、今考えてみたら「メンター」と言えるような書き手が、確かに書籍の中にいらっしゃいました。 思うのですが、この「メンター」ってニュアンスは、いわゆる「評論家」(文学対象なら「文芸評論家」)というのとは、ちょっと違うような気がするんですがね、わたしとしては。 ひょっとしたらそれは私の勝手な思いこみかもしれませんが、とりあえず私的にそう思っておきますね。すみません。 で、考える「メンター」ですが、小説をちょっと気合いを入れて読み始めた頃の私の「メンター」は、たぶん丸谷才一氏であったんじゃないかなと思います。 もちろんご本人とは面識はありませんが、丸谷氏の文学関係の随筆をかなり読みました。丸谷作品を通して、様々な作品の評価を学びました。いわゆる、最も信頼できる書き手でありました。 その後も長く丸谷氏の「ファン」みたいなものであったのですが(もちろん丸谷氏の小説も含めて)、しかしまー、読者とは勝手なもので、そのうちちょっと別のものを摘み食いしたくなったりします。 摘み食いしたものがなかなかよかったりすると、もう「河岸」を代えてしまって、かつての「メンター」を、勝手に「もう丸谷も世代交代だな」なんて傲慢に思ったりなんかして、……うーん、難儀なものですねー。(いえ、本当は今でも丸谷エッセイは大好きなんですが。) で、私の日本文学の次の「メンター」なんですが、それが今考えてみれば、関川夏央ではなかったかと。この方を、日本文学については、私かなり信頼しています。 (ついでの話ですが、関川夏央と並んで、私が日本文学について信頼している作家はもう一人いまして、それは高橋源一郎であります。この方もとっても面白いんですが、それはまた後日。) 私が関川夏央のことを「信頼」し始めた最初の本は(初めて読んだ本ではありません。これ以前にも何冊か読んでいたはずで、でもなぜかあまりピンとこなかったんですね)、たぶんこの本であります。 『戦中派天才老人山田風太郎』(ちくま文庫) この本はまた、めちゃめちゃに面白い本で、後日再読して本ブログで取り上げようと、わたくし密かに狙っておりますんですがね。 なぜこの本で関川夏央を見直したかと言いますと、山田風太郎の面白さと凄さを教えてくれたからであります。 それは、少し大きなとらえ方で言いますと、私の中で、日本文学史における山田風太郎の位置づけを換えてくれたと言うことで、それ以降、私は関川夏央の文芸評論の類を(そのほとんどは純粋には文芸評論とは言えないと思いますが)、「日本文学史の新たな書き換え」のごとくに読み、そしてそのたびに、新しい解釈(新しい評価)の記述に、驚きと快感を感じているのであります。 という、私にとって「メンター」な作家の書いた司馬遼太郎論でありますが、司馬遼太郎といえば、実は本文中にもありますが、出版界の「困った時の司馬頼み」、あたかも日本国のメンターのような人が、特に晩年の司馬遼太郎でありました。 本書は、そんな話なんですが、えー、次回に続きます。すみません。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 |一覧| |