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2015.05.06
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カテゴリ:明治期・耽美主義

  『花火・雨蕭蕭』永井荷風(岩波文庫)

 ……えーっと、あまりこんな話から書きたくはないのですが、すみませんが、一言断っておきますね。
 「雨蕭蕭」の「蕭蕭」は、サンズイ篇が付いてるんですが、文字に出ないもんで、付いてない字にしています。気になるお方は、付いてあるつもりで字面をご覧ください。

 さて先日、私は大学時代の友人と一緒に一杯飲んでいたのですが、共に文学部出身ということで、まー、今となってはほとんど唯一の、「えー年をしながら青臭い文学論」を語り合うことのできる友人となっています。
 考えれば、何となく悲しい話でありますね。

 いえ、この度の話題はそんな呆けたような話ではなく(呆けているのはその通りですが)、その時友人に思いがけない指摘を受けたという話です。
 その指摘とは、「あなたはコレクターだな。」というものでして、去年の夏に、彼をわが家にお呼びしたことがあったのですが、その際に感じたと彼が述べました。

 なるほど、言われてみれば私の部屋にある雑本といい雑CDといい、私にしてみれば質量ともに遥かに「激しく」収集している人を知っているもので、自分は「コレクター」の名には値しないとなんとなく思っていたのですが、その趣味のない人から見れば、わが貧弱なコレクションもその範疇に含まれるということを知りました。

 何の話を振っているのかといいますと、個々人の趣味の話であります。
 冒頭の荷風の短編集ですが、4つのお話が入っています。上記総タイトルの2作に加えて『二人妻』『夜の車』という作品が入っているのですが、私が読んでいる時に感じたのは、まず見事な文章だなということでありました。例えば、こんな部分。

 涼しい風は絶えず汚れた簾を動かしてゐる。曇つた空は簾越しに一際夢見るが如くどんよりとしてゐる。花火の響はだんだん景気がよくなつた。わたしは学校や工場が休になつて、町の角々に杉の葉を結びつけた緑門が立ち、表通りの商店に紅白の幔幕が引かれ、国旗と提灯がかかげられ、新聞の第一面に読みにくい漢文調の祝辞が載せられ、人がぞろぞろ日比谷か上野へ出掛ける。どうかすると芸者が行列する。夜になると提灯行列がある。そして子供や婆さんが踏殺される……さう云ふ祭日のさまを思ひ浮べた。これは明治の新時代が西洋から模倣して新に作り出した現象の一である。

 この引用は『花火』からのものですが、この『花火』には荷風の人生を大きく変えた大逆事件に絡む有名な一文が入っています。この部分ですね。

 わたしはこれ迄見聞した世上の事件の中で、この折程云ふに云はれない厭な心持した事はなかつた。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙してゐてはならない。小説家ゾラはドレフュー事件について正義を叫んだ為め国外に亡命したではないか。然しわたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪へられぬやうな気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げるに如くはないと思案した。

 この有名な部分ですが、この度ちょっと調べてみますと、大逆事件は1910年に起こり、この時荷風は31才です。この『花火』は、本文最後に「大正八年七月稿」とありますから1919年、荷風39才の作品です。この間荷風は、教師と作家は両立しないと述べて慶応義塾の教員をやめました。

 そして「芸術の品位を江戸戯作者のなした程度まで引下げる」といった荷風の書いたそれらしい作品が、この短編集で言いますと『二人妻』になるでしょうか、これがまた、文章表現や趣向としてはとてもうまい。

 江戸情緒漂う下町や花街の話が多い荷風にしては珍しく、大正モダニズム溢れる山の手の二軒のブルジョワジー夫婦の、「浮気」をめぐる様々なやり取りを描いた作品ですが、読んでいるととっても面白いんですね。
 まったく趣向の違う『雨蕭蕭』などからも読めますが、あれだけの西洋文化ならびに江戸文化について教養溢れる作家が、持ち前の文章表現力を駆使して描くのですから面白くないわけがないといえば、まー、その通りなんですね。

 しかし読み終えてみると、何と言いますか、ちょっとあほらしい。そもそもストーリーが尻切れトンボであります。
 それは、おそらく作者に内容を突き詰めようという気がまるでないからであります。
 当人達以外は実に愚かしいと誰もが思っている夫婦の痴話喧嘩の話を、興の赴くままに書き進め、そしてこれ以上の野暮は言いっこなしとばかりに唐突に終える。
 つまりはこんな作品との距離の取り方こそが、荷風の説く「江戸戯作者のなした程度」でありましょうか。

 しかしそうだとすれば、我々はそれまで楽しく読んだ分、なんだか少し馬鹿にされているような気がして、現代のはやりの表現でいえば「上から目線」を受けているようで、ちょっと「違和感」(これもはやりの言葉)が残るのを如何ともしがたい。
 そんなこと、ないでしょうか。

 あるいは、それこそが「趣味」を描くということなんでしょうか。
 趣味の価値判断をなす愚かしさは、例えば森鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』に、茶道が無用の虚礼というなら国家の大礼も悉く虚礼であるという趣旨の一文があったように、また、わたくしも文化とは趣味の総体であると理解しつつ、しかし、ふとそのはかなさに思い至った読後感でありました。

 ……いや、待てよ。
 この一抹のはかなさこそが、「趣味」の醍醐味であるのかも知れません。
 とすれば、やはりなかなか奥は深いですね。


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Last updated  2015.05.06 13:00:26
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