そのほか 毎日五千名に当たる♪♪楽天ブログラッキーくじ
404930 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【ケータイで見る】 【ログイン】

晴ればれとBlog

PR

Calendar

Category

カテゴリ未分類

(24)

ニュース話題

(72)

2014年「世界広布新時代 開幕の年」

(11)

東日本大震災

(18)

わが友に贈る 聖教新聞

(1476)

今週のことば 聖教新聞

(259)

 小説「新・人間革命」第27巻 激闘

(24)

小説「新・人間革命」 正義

(63)

大白蓮華 巻頭言

(65)

名誉会長と共に 今日も広布へ

(93)

名誉会長と共に 新時代を開く

(15)

勝利の人間学

(49)

御書とともに II

(18)

御書と青年

(26)

指針

(41)

名誉会長のメッセージ

(72)

池田SGl会長指導選集

(5)

随筆 民衆凱歌の大行進

(3)

マイヒューマンリボリューション

(18)

未来部

(1)

学園抄 創立者とともに

(12)

みんなで学ぶ教学

(3)

日蓮大聖人の励ましの世界

(3)

きょうの発心 御書

(666)

池田大作の箴言集より

(11)

名誉会長のスピーチ

(88)

広布史

(58)

広布

(7)

『女性に贈ることば365日』池田大作(著)

(364)

随筆 我らの勝利の大道 (完)

(135)

女性に贈る100文字の幸福抄 (完)

(154)

未来への一歩 名誉会長の語らいから

(6)

『今日のことば365』 池田大作 著

(639)

スピーチ&指導 聖教新聞 見出し

(66)

あの日あの時

(14)

御書とともに(完)

(100)

「潮」池田大作の軌跡

(9)

栄光の日々(全50回・完)

(49)

名誉会長 折々の指導(全20回・完)

(20)

御書と師弟(全31回・完)

(45)

ジャズと人生と仏法を語る(全15回・完)

(38)

「歴史の巨人」と語る(全10回・完) 

(8)

新 あの日あの時(全19回・完)

(16)

世界との語らい(全37回・完)

(36)

随筆 人間世紀の光

(57)

若き指導者は勝った(全18回・完)

(19)

忘れ得ぬ あの瞬間(全9回・完)

(16)

記念提言

(16)

忘れまじ 嵐の4.24

(3)

覚え書き

(5)

教学部任用試験

(18)

Archives

Comments

ロリポップ@ Re:世界広布新時代第4回の各部代表者会議(02/26) 探していたメッセージが見つかり、ありが…
anbo@ Re[1]:勝利の人間学 第45回 さあ、新たな会合革命を(02/05) 多花果さん >ありがとうございます!! -…
プリン@ Re:随筆 民衆凱歌の大行進 1「師弟の道」一筋に(01/29) 早速の掲載、本当にありがとうございます…
ゴルフ レディース ファッション@ Re:わが友に贈る(11/28) 突然訪問して失礼しました。 ありがとうご…

Mobile

ケータイ
スマートフォン
>>ケータイにこのブログのURLを送信!

 

2009/08/20

 
楽天プロフィール XML
新 あの日あの時 10  
   
池田先生と東京の北区

北の砦から勝利の烽火を



王子に響いた婦人訓
 東京・北区の王子駅前に立つ「王子百貨店」のホールに、戸田城聖第2代会長の声が響きわたった。
 「本日、ここで『婦人訓』を発表したい!」
 1953年(昭和28年)5月17日。戸田会長から婦人部の新しい指針が発表されたのである。
 なぜ、この日、婦人訓が発表されたのか。
 婦人部が結成されたのは、51年(昭和26年)6月だが、いまだ本格的な指標が定まっていない。戸田会長には、それがずっと気がかりだった。
 ところが前日の5月16日、文京支部の会合に出席したときである。文京の井上シマ子が発表した「婦人の確信」に、大いに感ずるところがあった。

 師弟の道に生きる。戦うための実践の教学。怨嫉をしない。壮年部と団結する──婦人部に必要な指針が、すべて含まれていた。
 懐刀である池田大作支部長代理を文京に送り込んで、わずか1カ月あまり。
 さすが大作だ。もう婦人部を立ち上がらせたか!。
 即座に戸田会長は、井上の原稿に前文を書き加え、王子の地で発表したのである。
 「創価学会会長に就任以来、婦人の活動に期待するところ、重かつ大なり!」
 創価学会婦人部の本格的な前進は、北区から始まったのである。

江北から言論戦
 「王子なら、お願いしましょう!」
 戸田会長は、心から安心した口調で決断した。
 55年(昭和30年)、聖教新聞の印刷業者に、王子の紙を調達できる企業を選んだ。
 王子は、日本における洋紙発祥の地。新聞業界で「王子」といえば上質な紙の代名詞だった。
 戦前、戦後と出版業をいとなみ、用紙の手配に苦労してきた戸田会長である。これで一流の品質が確保できると安堵した。
 それから半世紀。聖教新聞は「王子の紙」に支えられてきた。

 王子駅からバスに乗った青年部の池田室長が、江北橋を渡って、藤田建吉の家を訪れたのは、55年(昭和30年)である。
 足立区への初訪問だった。
 その4年後、藤田の会社は学会関連書籍を全国に発送する仕事を担った。
 ある秋口の午後、従業員井谷水彦(いたにみずひこ)が一服していると作業場に人の気配がした。
 「あっ、池田先生!」
 真剣な眼ざして語った。
 「発送の仕事は、広宣流布の血管の役目だよ」
 「王子の紙」と「江北の血管」。
 北区と足立区は隣接する「兄弟区」。
 ともに広宣流布の言論戦の屋台骨となっだ。

赤羽台が結ぶ縁
 芸術部の山本リンダが、大きな目を一段と丸くした。
 「えっ、この部屋にトインビー博士が来たの!」
 2008年秋、赤羽台団地の20号棟3階の一室で、懇談会が開かれていた。
 約20年前から、この部屋に住む稲垣泰子(いながきやすこ)。
 団地内の知人から聞いた話を披露した。
 ──トインビー博士は、赤絨毯を敷いた部屋に靴のまま上がってね。かがむように背中を丸めて、ふすまをくぐったのよ。部屋の外で報道陣が待っていたんですって。
 67年(昭和42年)11月。佐藤栄作首相と会見したトインビー博士は、同行者に、日本の庶民の暮らしぶりが見たいと打ち明けた。
 白羽の矢が立つたのが赤羽台団地である。
 北区は鉄道網が発達し、都営桐ケ丘団地や豊島5丁目団地などマンモス団地が広かっている。
 トインビーには、持論があった。
 「時代を動かすのは、新聞の見出しの好個の材料となる事柄よりも、水底のゆるやかな動きである」
 この年は、公明党の衆議院進出に日本中が驚いた年でもあった。
 帰国すると、池田会長の著作を丹念に調べた。
 「あなたの思想や著作に強い関心を持つようになりました」
 やがて一通のエアメールを送った。
 愛くるしいリンダ・スマイルが去った数週間後、学会副理事長の池田博正が同じ部屋を訪れた。
 「庶民のありのままの姿を見せた赤羽台が、父とトインビー博士の縁(えにし)を結んだんですね」

獅子は一人立つ
 北区は、池田名誉会長と縁が深い。
 67年(昭和42年)10月25日。西が丘の旧赤羽会館。勤行を終えた名誉会長が振り返った。
 「今日は座談会形式で話し合おう」。小さな座卓を囲むと、口々に生活の苦しさを訴えてくる。
 悩みがあるから不幸。環境が厳しいから敗北。そんな惰弱な心を、名誉会長は断ち切った。
 「私にだって、悩みは100も200もあるよ。だが煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)だ。悩みがあること自体が幸せなんだ」
 目の前のソーダ水の泡を、じっと見つめる少女がいた。
 「飲むかい?」。コクリとうなずいた。後に喜多戸田区の婦人部長になる大梶陽子(おおかじようこ)である。
幼い脳裏に、たった一つだけ、名誉会長の言葉が焼きついている。
 「一人の人が大切だ!」
 羊千匹より獅子一匹の精神を打ち込んだ。

 霜降橋から北区の滝野川方面に、一台の車が向かっていた。
88年(昭和63年)11月15日の午後3時半である。
 車は本郷通りを進み、西ケ原の「旧古河(ふるかわ)庭園」へ。
 茶色の洋館が夕日に照り映えている。明治の元勲・陸奥宗光(むつむねみつ)の旧別邸には、バラが咲き薫っていた。
 香峯子夫人が嬉しそうに見わたす。
 「こんなに美しい庭園があるなんて素晴らしいですね」
 一目散に砂利を踏み散らして、名誉会長に駆け寄る壮年がいた。第3代会長辞任以来、招待の手紙を書き続けてきた福田理一(ふくだりいち)だった。
 北区の日本一の庭を見てもらいたい。会長を辞任されようとも、私たちの師匠は池田先生!
 北区の皆の思いだった。
 その真心に、名誉会長夫妻は真心で応えた。

 手紙の内容に、婦人部の中根えみ子は跳びあがった。
 「この資料は厳密な内容分析の上、詳細な目録カード作製の上、絶対基本文献として大切に永久保存いたします」
 一里塚交差点に近い「東京ゲーテ記念館」。ゲーテの世界的研究拠点である。
 2003年3月、名誉会長の連載「人間ゲーテを語る」が載ると、中根は真っ先に聖教新聞を届けた。
 ほどなく東京ゲーテ記念館から丁重な返事が送られてきた。一人の婦人の果敢な行動が実を結んだ。
 設立者の粉川忠(こなかわただし)は、世界中の新聞や本にゲーテの文字を見つけ、収集していた。なかでも池田名誉会長がゲーテを語り、書き綴ってきた事実に驚いた。日本きっての規模である。そもそも名誉会長の膨大な著作。世界との対話。まさにゲーテだ!
 「聖教新聞は日本一、ゲーテが載っている。その源は名誉会長の詩心です」

北区婦人部の日
 「太田道灌を知っているかい?」
 84年(昭和59年)8月18日。信濃町で北区の代表と懇談した折である。
 太田道灌(おおたどうかん)。 室町時代に江戸城を築いた名将だった。
 「彼が全関東の要衝としてクサビを打ち込んだのは、北区だった」
 東京の北の玄関口・赤羽駅。その南西の丘陵に、太田道灌が築城したという稲付城の跡がある。
 太田のもとへ、太田とともに──。
 いったん急あらは四方八方から関東武士が集結し、敵との決戦に討って出た。
 「北区は、日本の急所だ。北の砦から、勝利の蜂火をあげるんだ」
 この日が「北区婦人部の日」の淵源となる。
 きょう、25周年を迎えた。

十条銀座から立て!
 十条銀座は「北区の台所」として知られている。
 名誉会長が十条銀座を訪れたのは、79年(昭和54年)7月12日だった。学会員が営む飲食店で、東京婦人部や北区の代表と懇談した。
 7月12日は、特別な日である。57年(昭和32年)のこの日、蔵前国技館で「東京大会」があった。
 池田室長の身柄は、あの「大阪事件」の不当逮捕により、大阪の拘置所内にあった。戸田会長の怒声がとどろく。
 大作を出せ! 直ちに出せ!
 録音係だった北区・豊島の末広良安(すえひろよしやす)。放送室で、スピー力ーを突き破ってくる叫びに全身が震えた。
 この日は、香峯子夫人の入信記念日でもある。

 十条銀座の店には、電車が通るたびに、かすかな地響きが伝わってくる。
 名誉会長は婦人部にうながした。「さあ、東京の歌を歌おう」

♪おお東天に 祈りあり……
 山本伸一作詞の「ああ感激の同志あり」である。
 名誉会長も立ち上がった。拳を握り、唱和する。ひとり、また一人と口ずさみ始める。
北区の橋元和子も必死に声をあわせた。

♪いざや戦士に 栄あれ
 汝の勝利は 確かなり
 東京よ、雄々しく立て!
 北区から、師弟一体の「東京の戦い」が始まった。
(2009年8月18日付 聖教新聞)





楽天SocialNewsに投稿!

Last updated  2010/03/12 02:20:38 PM
コメント(0) | コメントを書く

池田名誉会長講義 御書と師弟 
             
第24回 動執生疑(どうしゅうしょうぎ)

“限界の壁”を痛快に破れ
師弟の勝利の舞を

創価の大興隆に社会が驚嘆
梵天・帝釈が守りに護る


  御聖訓
 
「上行菩薩の
  大地よりいで給いしには
  をどり(踊)
てこそ い(出)で給いしか
           (大悪大善御書、御書1300p)


 人間の生命には、大海原よりも深く、天空よりも広大な「仏の力」が秘められている。
 日蓮仏法は、師と共に、一人一人の弟子が偉大な仏の力を引き出していく大哲理です。
 人生や社会に対して、「仕方がない」と諦める心。「こんなものだろう」という惰性(だせい)の心。その“心の壁”を破り、元初の太陽の如き仏の大生命で、躍動の人生を生き抜き、そして勝ってきたのが、わが創価の師弟であります。
 幾百千万の「人間革命」の実証に、社会も世界も驚嘆している。使命深く尊き学会員の生き方が人々の心を動かし、確かな信頼を勝ち広げてきました。

踊り出た菩薩たち
 今回は、有名な「大悪大善御書」の御聖訓を拝します。
 「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(御書1300p)──上行菩薩が大地から涌出された時には、踊り出られたのである──。

 法華経の涌出品第15では、師・釈尊の呼びかけに応じて、無量千万億の地涌の菩薩が出現する。この時、上首(最高リーダー)である上行菩薩は喜び勇んで登場したと仰せなのです。
 この地涌の出現に驚いたのは、会座(えざ)にいた弟子たちです。
 それに先立ち、師・釈尊は、三類の強敵の出来(しゅったい)など、悪世に妙法を弘めることが、いかに困難かを繰り返し説かれていた。
 ところが、そうした大闘争を喜び求めて、尊貴な仏の生命の光明を放つ菩薩たちが勇んで踊り出たのです。その一人一人には、師匠である釈尊と共に戦い抜く誇りが漲(みなぎ)り溢(あふ)れていた。

 会座の人々の疑問を代表し、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が釈尊に質問します。
 「これほどの無量の菩薩は、今まで見たことがありません。どこから来たのでしょうか?」
 釈尊は語りました。
 「私は、久遠よりこのかた、これらの大菩薩を教化してきたのである」──。
 釈尊が今世で仏に成られたとばかり思っていた人々は驚愕(きょうがく)し、さらに疑問が深まります。
 「わずか四十年余りの間に、釈尊はどうやって無数の菩薩を薫陶(くんとう)されたのでしょうか?」
 この質問に答える形で、釈尊は、如来寿量品第16に入って、久遠の過去に成道していたという永遠の大生命(久遠実成)を説き明かしていくのです。
 いわば、地涌の弟子たちの光り輝く姿によって、想像を絶する偉大なる師匠の大境涯が示されていくわけです。

 このように、それまでの小さな法に執着した心を揺さぶり、より大きな価値観へ目を開かせる説法を「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」(執を動じ、疑を生ず)と言います。
 末法の日本において、この「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」を起こしゆかれた方が、日蓮大聖人であられます。民衆を苦悩に陥れる邪義を糾(ただ)す「立正安国」の師子吼(ししく)が、傲(おご)り高ぶった権力の魔性を震憾(しんかん)させたのです。
 狂暴な弾圧は、既成勢力の動揺の表れにほかなりません。
 しかし大聖人は、身命に及ぶ迫害をも「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(御書910p)と悠然と見下ろされ、戦い抜かれた。
 「日蓮は流罪を二度までも蒙(こうむ)り、すでに頸(くび)の座にもすえられたけれども、少しも恐れなかったので、今では日本国の人々の中にも『日蓮の言うことが道理かもしれない』という人もあるであろう」(同1138p、趣意)と仰せの通りです。

 この大聖人に直結する創価学会も、日本と世界に「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」を呼び起こしてきました。
 源流期の国家諫暁(こっかかんぎょう)の殉難。
 草創期の民衆救済の折伏。
 躍進期の地域友好の拡大。
 そして今、仏法を根幹とした人類貢献の平和・文化・教育の大潮流を広げています。
 創価の理念も運動も人材も、旧来の精神土壌では考えられない前代未聞の壮挙である。
 真剣な皆様方の対話と行動は、日々、地域・社会に「動執生疑」の波を起こしています。
 法のため、人のため、社会のため、いかなる労苦も惜しまぬ皆様方の勇気と智慧と雄弁は、神々しいまでに、地涌の菩薩の大力用を放っているのです。

 本抄には「大悪をこれは大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき」(同1300p)ともあります。
 どんな大悪があろうと、何も嘆くことはない。深い闇も大善の旭日が昇りゆく大瑞相(だいずいそう)なのだ。これが仏法の大確信です。
 時代は乱れに乱れている。不確かな風に不安を抱きながら、流されゆく人生があまりにも多い。誰もが、心の中では正しい哲学の指標を求め始めている。
 だからこそ、確固たる信念を勇敢に誠実に語り抜く皆様方の声は、仏の声の響きとなって、人々の心を揺り動かさずにはおかないのであります。
 たとえ相手が反発しているように見えても、根底では必ず仏性が薫発されているのです。
 以前、「先駆」の九州の一人の婦人から、入会の決意を伺ったことがあります。
 「皆さんの大情熱に『動執生疑(どうしゅうしょうぎ)』を起こされ、ついに私も『蘭室の友』となれました!」
 すでに入会前から、紹介者の方と教学を学んでいたのです。
 深き哲学を持つ人生は強い。
 米国アイダホ大学のガイヤ博士も語ってくださった。
 「創価学会の方々は、自らの強い信念に生きておられる。
 強い信条、信念のもとに、人々に目的観を示し、導いていくところにこそ、宗教本来の使命はあります」と。
 世界の知性が讃嘆してくださっているように、わが創価の友の行くところ、向かうところ、必ず正義の波動が広がります。

 今回の御文の直前には、「迦葉尊者(かしょうそんじゃ)にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗(しゃりほつ)にあらねども・立ってをどりぬべし」(同p)と仰せです。
 師匠は不惜身命で大難と戦い抜き、そして勝ち抜かれた。ゆえに、その師匠に続く弟子も苦難に立ち向かうのは当然だ。
 崇高な使命の闘争に、楽な戦いなどない。試練と戦うからこそ、仏の力が出せる。苦難に打ち勝つからこそ、師と共に仏になれる。これが法華経を貫く師弟の勝利の舞なのであります。
 あの大阪の戦いも、皆が地涌の舞を舞いながら「まさか」を実現した。常勝関西には師弟の真髄がある。ゆえに負けない。
 ともあれ、大変であるほど、師弟不二の信心の力で、仏の智慧を出して、我らは戦い進む。
 その姿を、心ある人々は真摯に見つめています。必ず仏縁が結ばれ、味方は広がります。

思い切り楽しく!
 大聖人は「元品(がんぽん)の法性(ほっしょう)は梵天(ぼんてん)・帝釈等(たいしゃくとう)と顕(あら)われ」(御書997p)と仰せになられている。
 梵天・帝釈といっても、遠くにいるのではない。強盛な祈りで、わが法性(仏性)を発揮する時、その生命が梵天・帝釈として現れ、我らを厳然と守護することを忘れてはなりません。
 信心とは、究極の勇気です。その勇猛なる信心の一念で、衆生世間、国土世間をも大きく動かし、勝利していける。これが「一念三千」の極意です。

 私が戸田先生の弟子として、中国とロシアを初訪問してから今年で35年になります。
 当時は、反対や圧迫の声が渦巻いていた。しかし今や、両国をはじめ世界の五大州と結んできた平和・文化・教育の金の橋は、日本にとっても大事な命脈として感謝されている事実は、皆様方がご存じの通りです。
 法華経では、地涌の菩薩の出現によって本門が始まる。世界を舞台に、幾百万の地涌の青年が立ち上がった今、いよいよ創価の「本門の時代」の開幕です。

 戸田先生は叫ばれました。
 「前進前進、勝利勝利の創価学会であれ! そのためには、勇気と確信と真剣勝負の創価学会たれ! 断じて皆が勝つのだ。負けてはならない。これが広宣流布の方程式だ。これが自分自身の永遠の勝利の人生、すなわち仏になりゆくことだ」
 わが広布の英雄の皆様よ! 歓喜踊躍して舞う上行菩薩の生命力を漲(みなぎ)らせて、生まれ変わったように生き生きと戦おう!
 そして思い切り楽しく声を出しながら、仏になりゆく勝利の万歳を叫び、勇敢に進もう!
 (2009年8月20日付 聖教新聞)





楽天SocialNewsに投稿!

Last updated  2009/10/07 07:09:02 PM
コメント(0) | コメントを書く

新 あの日あの時 11
 
池田先生と常勝大阪総県

天下無敵の勝利の大剣

旭区と香峯子夫人
 「えらいこっちや、はよ旭会館に集まって!」
 大阪市旭区の婦人部の間で、緊急の知らせが飛びかったのは、1983年(昭和58年)3月12日の午後2時40分過ぎだった。
 この日の午後から同区の上原宅で懇談していた池田香峯子夫人が、大阪旭会館に向かったのである。
 ほんの10分足らずで、主要なメンバーに連絡が流れた。
 「ほんまかいな!」。サンダル履きで文化住宅を飛び出し、大阪旭会館へ集まった。
 2階建ての木造家屋を改修した会館である。老朽化していたが、ささやかな庭には植え込みもあり、昧のある建物だった。
 何よりも床の間には、旭区の宝物がある。「大阪の戦い」で青年部の池田大作室長がしたためた「大勝」の揮毫(きごう)が掲げられていた。
 午後3時。上原宅から香峯子夫人が到着するころには、100人ほどが畳の上を埋めていた。
 「それでは、お題目を一緒にあげましょう」
 香峯子夫人を中心に朗々と唱題が始まった。
 ともに唱和しながら、上原慶子、令子の姉妹は胸にこみ上げるものがあった。美容院を経営する上原姉妹は、来店してくれた香峯子夫人に、旭区の前進ぶりを折にふれて報告してきた。
 特に「大勝」の揮毫(きごう)は、旭区の旗印であることを熱く語った。
 200遍の唱題が終わると夫人は、くるりと体の向きを変えた。
 「戸田先生が関西から貧乏人と病人をなくしたいと言われていたことを思い出しながら唱題しました」
 そして「楽しく戦ってください」「必ず大勝利しましょう」と微笑んだ。

鶴見区と3・16
 81年(昭和56年)3月17日の夜である。
 午後7時前、鶴見区の「板原会館」に集まってきた女子部員たちが、ただならぬ気配に立ちすくんだ。
 鶴見本部の女子部で3・16記念の会合を開く予定だったが、個人会館に隣接する駐輪場にまで人があふれていた。会場に入ると、区幹部が勢ぞろいで、かしこまっている。
 「どうぞ女子部の方は前に来てください」
 幹部に促され、女子部員たちが前方へ進む。
 「実は、今、池田先生が向かいの板原宅におられます」
 もしかしたら……。
 期待が高まるが、その後の説明に、ますます戸惑った。
 「こちらに来られるかも知れませんし、来られないかも知れません。会合はそのままやってください」
 そんな……。いったい、どっちなんやろ。
 しばらくして、右手の入り口が勢いよく開いた。
 「こんばんは。ごめんやす!」
 大阪弁のアクセントをきかせ、名誉会長が姿を現した。
 近くにいた女子部員がサッと花束を差し出した。
 実は女子部の本部長が結婚するので、そのために用意したものだった。
 春らしい色の花々から、いい匂いが漂う。期せずして最高の形で贈ることができた。
 合掌するように手を合わせ、名誉会長は小ぶりな花束を受け取った。
 「じゃあ、今から一緒に祈ろう」「何でもいいんだよ」。仏壇の前へ進んだ。
 「今、皆さんが一番願っていることを祈りましょう」
 女子部にとって最高の3・16になった。名誉会長を中心に唱和する声が響いた。

 鶴見の地名の由来は、日本書紀に出てくる「草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)」の「ツルギ」が、なまったという説がある。これを裏づけるかのように、区内には通称「剣街道」が走る。
 名誉会長は鶴見区で、香峯子夫人は旭区で、地元のメンバーと題目を唱えた。
 天下無敵の「勝利の大剣」を抜きはなった。

守口地区への手紙
 「大阪の戦い」で守口地区は、青年部の池田室長のもと快進撃した。
 しかし、地区担当員だった山本悦子は、決して丈夫な体ではない。心配をかけないよう繕ってみせていたが、池田室長は見逃さなかった。
 56年(昭和31年)春、東京にいた室長から、山本の家に手紙が舞い込んだ。
 4月11日の消印である。
 「身体の具合は如何。仏法ヮ勝負であり、吾が身の鬼神、第六天の魔を打破れる信心に、起たねバならぬでありましょう」
 広布のため、学会のため、全地区員と前進ができるように念願した後、端的に指針が示されていた。
 1.夜は規則正しく休み、くれぐれも身体を大事に。 
 2.水のごとく清く、つつがない信心を。 
 3.地区部長と力を合わせていきなさい。 
 4.次のリーダーを立派に育成せよ。 
 5.家庭も絶対に、おろそかにしないように。
 守口の同志に贈られた5指針である。
 
   やはり「大阪の戦い」の渦中だった。
 旭区内の拠点で、守口地区の稲岡正己が友人を折伏していたが、決まらない。
 “あかん、誰か助けてくれんやろか”。まだ入会して1年もたっていなかった。
 その時、玄関から「毎日ご苦労さまです」。池田室長の声だった。守口市内の座談会から、関西本部に戻る途中、立ち寄ってくれた。百万の味方を得た思いである。
 「日蓮大聖人の哲学とカントの哲学では、こんなにも違うのですよ」。室長は大きく両手を広げた。
 “うヘー、カントってなんやろ”。稲岡は、度肝を抜かれた。
 「私と友達になりましょう。どうか幸せになってください」
 その友人は即座に入会を希望した。


 守口市に住む一婦人部員には忘れられない信心の原点がある。
 57年(昭和32年)に高校を卒業し、1カ月間だけ関西本部で働いたことがある。
 辞めた後、当時の自宅で開かれた会合に池田室長が出席した。
 顔を見た室長は「あなたのお宅だったんですね」。
 直接、話をする機会もなかったはずなのに、覚えていてくれた。
 居合わせた会員たちのために、色紙や扇に文字を書き、地区ごとに大きな揮毫をしたためた。
 婦人の地区には「断」の一文字が贈られた。
 決断。英断。勇断。さらには一刀両断。間断なき戦い。油断大敵──。
 たった一文字だが、幾重にも深い意味をはらんでいる。
 戦いは決断や!
 敵は一刀両断や!

門真の松下工場
 73年(昭和48年)4月11日の夜であった。
 門真市にある松下電器産業株式会社(現・パナソニック(株))のラジオ工場では、就業時間も過ぎ、あたりに人気も少なくなってきた。
 遠くで京阪・門真駅(当時)に発着する電車の音が聞こえる。
 たまたま居残って雑巾だけをしていた従業員が、目を疑った。
 「あっ! 掃除してはる」
 腰を落として、床に落ちていたチリを拾っている人がいる。誰かと思えば、会長の松下幸之助ではないか。
 “松下病院で療養されていると聞いていたのに……”
 松下のラジオ工場は、来客を迎えたときの見学コースだった。
 しかも会長の松下が、自ら腕時計を見ながら、どれだけ移動に時間がかかるのかを計っている。
 付き添っていた社員が、松下の指示で、ベルトコンベヤーの下にもぐり、はんだ付けのカスをドライバーの先で削り取っていた。
 見たことがない光景だった。いったい誰が見学に来るのだろう?

 翌12日の木曜日。
 午後1時すぎから、松下本社で松下が立っていた。雨つぶの落ちてくる空を見上げてから、小一時間ほど経つ。
 予定の午後2時前、国道1号線から人ってきた車が、正面玄関に停まる。松下がパッと頭を下げた。
 「ようこそ、いらっしゃいました」
 降車してすぐに腰を折ったのは、池田名誉会長である。
 前日に第1回入学式が行われたばかりの創価女子学園(現・関西創価学園)から、到着した。
 見学コースは、門真のラジオ工場と音響研究所だった。松下が名誉会長にピタリと寄り添っていた。
 名誉会長は、工場で働く人に丁寧に会釈していった。ベルトコンベヤーの音の中で、従業員が顔を見合わせる。
 「こんな人、初めてやな」
 廊下にいた一人の女性清掃員に目をとめた。作業服の胸元に、学会のバッジが光っている。
 「婦人部ですね。頑張ってください!」
 松下は、社員が声をかけられる光景を誇らしげに見守っていた。
 見学後、赤じゅうたんが敷かれた貴賓室へ。
 名誉会長の訪問は5時間を超えたが、そばを離れなかった。国家元首クラスでも、ここまではしない。
 「先生は日本に無くてはならぬ大指導者です」
 「世界平和と繁栄を築いていく人は、池田先生の外にありません」
 後日、松下から届いた礼状である。
(2009年8月19日付 聖教新聞)





楽天SocialNewsに投稿!

Last updated  2009/08/22 04:45:56 PM
コメント(0) | コメントを書く


文明の、文明たるゆえんは「生命の尊厳」を守ることにこそ、
求められるべきであって、それを破壊し、踏みにじる文明は、
愛すべき未開の野蛮とちがって、最も恐るべき、邪悪な野蛮なのである。





楽天SocialNewsに投稿!

Last updated  2009/08/20 12:01:34 AM
コメント(0) | コメントを書く

Powered By 楽天ブログは国内最大級の無料ブログサービスです。楽天・Infoseekと連動した豊富なコンテンツや簡単アフィリエイト機能、フォトアルバムも使えます。デザインも豊富・簡単カスタマイズが可能!

Copyright (c) 1997-2014 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.