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Andante Cantabile

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(C)2007 OsamuFujiki

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"Chateau Hauru" Colmar Alsace France
(C)2006 OsamuFujiki

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"petit Bennis"Colmar Alsace France
(C)2006 OsamuFujiki

Andante Cantabile Andante Cantabile Andante Cantabile

A Pilot in the Information Society

情報社会の水先案内人


「情報社会」は進歩し、変化し、複雑・多様化し続けます。

でもその中で生活するのは「人間」です。

マシンが、システムが、ネットワークが、高速化、大容量化、

複雑・高性能になっても、

人間の生命としてのリズム、息づかいは変わりません。

Andante「歩くような」速さとリズムで

Cantabile「唄うほど」の息づかいとゆとりを持って

いきたい。そう思うのです。

人間中心の問題解決を考えます。



『問題解決領域』

ICT(Information and Communications Technology) ビジネス領域

Top management & executives
■ ビジネス・フィロソフィー(グランドデザイン)のご相談、ご提案
■ ビジネス・アセスメントの実施
■ ビジネス・ロンチングから終了までのプロセジャのプランニングとその可視化
■ ビジネス・スケールの測定 ROI、ROE、市場性
■ 開発、サポート体制の組織化或いはご紹介
■ 情報セキュリティ基盤(ISMS)整備とガバナンスに関するご相談
■ M&A案件、ビジネス・コラボレーションのご提案或いはご紹介
■ 技術進歩、社会変化、人間精神変化の分析と展望

Manager & Expert
■ ビジネスの企業内展開
■ ICTトレーニングのご提案或いは実施
■ 能力開発手法のご提案或いは実施
■ マーケティング手法のご提案或いは実施
■ 研修手法のご提案或いは実施
■ ローカリゼーション手法のご提案或いは実施
■ インターネット・ポータルと社内外ガバナンスのご提案或いは実施
■ サポート体制の構築のご提案或いは実施

IP(Intellectual Property)知的資産領域

■ ドキュメンテーション化の促進方法のご提案
■ 企業ノウハウの構築・蓄積・活用方法のご提案
■ 知的資産管理方法のご提案
■ IPR(Intellectual Property Right)知的財産権の啓蒙・促進・管理方法のご提案
■ 特許権設定促進方法のご提案
■ DRM(Digital Right Management)の実施方法
■ CIPO(Chief IP Officer)による全社IPの統括管理のご提案
■ CSR、コンプライアンス、個人情報保護、知財、営業秘密の一体管理のご提案
■ 特許、実用新案、意匠、商標、著作権の適切な理解と実施・管理手法のご提案

その他領域

■ビジネスインキュベーション
■ マーケティング活動企画・推進・展開・評価・・・
■ マニュアル制作(テクニカル・ライティング)、イベント企画・実施・・・


無断転用はご免被ります(Sam

1samの日記 [全55件]

2007.05.09楽天プロフィール Add to Google XML

『団塊の「品格」と「風格」』 ---意思のない群れのようなネーミングを返上しよう!  (78)


100_0065_3.JPG

(C) Osamu Fujiki 2007 Strasbourg Alsace France


“団塊”の定年が始まって1カ月が過ぎ、街中で新米定年が所在なくうろついている。

 できることなら、私は“団塊”について触れたくはなかった。なぜ“団塊”ばかりが注目され、施策が設けられるのか。「団塊+age 2.0」の私は、おかげでいい迷惑なのだ。傍(はた)からは一緒くたにみられ、扱われながら、定年延長などの施策からははじかれ、権利は得られない不公平な状態に置かれているのだ。なぜ差別されるのか分からない。声を大にして叫びたい。「我らに救済の道を!」~~~空しく響く。

 そもそも、名付け親と言われている堺屋太一氏の、他は(特に自分は)問題ないかのような、“団塊”の世代は特別であるかのような分類が問題なのだ。これこそが元凶である。“団塊”は、たまたま人口がその世代で大きめに膨らんでいるだけで、“団塊”そのものに何の責任も無い。人口が多いことへの社会システム的な準備不足、問題視など、外の環境にこそ問題があるのだ。“団塊”なる呼称は堺屋氏に返上しようではないか。

 およそ“団塊”という世代ほど、「品格」「風格」から遠い世代は無いと見られているのではないか。

 “団塊”--意識的にその名称を拒否する矜持(きんじ)を持つ事すらできないかのようだ。群れたアフリカのヌーのように、鼻息荒く蠢(うごめ)いているように見られる。ライオンですら、“団塊”ヌーの群れが移動し始めたらじっとするしかない。“団塊”とは、そんなふうに感じられてしまう、恐ろしいネーミングであり、言霊である。

 「品格」「風格」については、「団塊+age 2.0」の私も同様に持ち合わせてはいない。あたかも群れる野生動物として受け止められているだけに、ワンセットで上記のように見られてしまうのであろう。

 周りから注目され、有望なターゲット市場として多く論じられるようなその「自由で豊かな」生き方は、多分言われるほどに特別なものでも、大したものではないだろう。

 ほんの一部の“持てるもの”や、“浮かれた連中”は勝手にさせておけば良い。
多くの人の現実はむしろ、自らの日常生活もままならない老父母を抱え、30歳を過ぎても自立しないパラサイトの子供や、離婚の不安を抱える--そんなものではないか。定年延長制度の恩恵にあずかる人も全体で見ればほんのわずかで、再就職市場は極めて厳しい。自らの体力の衰えや、健康の不安もよぎる。そして何よりも老後を過ごすには十分とは言えない資産、時間だけが無駄に過ぎていく--人並みに悩みは深いのだ。

 それで「品格」「風格」等持てるはずは無い。

 だからこそ、である。深い悩み、それとの対峙(たいじ)・格闘を裡(うち)に秘めながら他に対する慮(おもんぱか)りを示す余裕を持ちたいものである。これこそが「品格」であろう。「XXの一分」みたいなものなのだ。

 そして孫子の代へツケを回さない、先を見て現実の問題を論じ、積極的にその解決に関わり続けること。それが求められているのではないか。環境、年金、教育等、テーマは多々ある。その中で、私は敢(あ)えて次の問題を提起しよう。

 日本人には、海外派兵や集団的自衛権に、違憲意識の後ろめたさがある。それじゃ憲法を変えてしまおう。「国民の総意」を得るのがネックなら、それを容易に得られる仕組みを作ろうというのはいささか短絡的過ぎるのではないか。

 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」をいう。解釈軍隊の「自衛隊」の正式な認知に代表される不自然な状態=戦後レジームの正常化(脱却)と言いたいのであろう。しかし中身を見ると如何なものか?と首をかしげる内容になっているのである。戦前回帰のものが多々見られる。家系的怨念を晴らそうという潜在意識もあるかもしれない。

 その他憲法を新しい時代にあわせて変えていく事--環境権、プライバシー等の人権問題を新たに加える所謂「加憲」がある。これに付いては問題ないのではないか。この共通のプラットフォームが存在する事は改憲・護憲の二元論の激しさから無視されている。

 われわれ世代は、その一部始終を知っている。従って明確な自らの意見、いうべきものには「NO!」と言い放ち、実行できる、最後の世代である。

 せっかく国や会社のくびきから解き放たれたのであるから、青春の時代に純な思いに燃えたころの自分の正直な「思想」(考えたこと)を思い出し、行動に移そうではないか。「加憲」を促進し、「改(悪)憲」を阻止し、守り続けるべきを主張する。真に国民主権の憲法を議論し、作成をし、後代に禍根を残さないよう精一杯頑張りましょう。

 “団塊”大量退職の今こそ、青春の燃えた時代と今とを歴史的につなぎ、一貫させ、“総括”出来る時である。これができて初めて、われわれを含めた非・団塊の“after還暦世代”は「風格」を獲得出来るかもしれないと思うのだ。

(Sam


Last updated 2007.05.09 18:41:11
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2007.04.26

「トリアージ」から学ぶもの

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ヨーロッパの首都ストラスブールの運河「コントロールされた混沌」(C) Osamu Fujiki Strasbourg Alsace France

災害や大事故で大量の救急医療を必要としている被害者を救うため、ダメージの判定を施し、救出の優先順位を付けていく事を仏語の「選択・分類」を意味する「Triage」(トリアージあるいはトリアージュ)と言う。

日本で本格的なトリアージが最初に行われたのは、過日発生後二年を経過したJR福知山線で快速列車が脱線転覆した尼崎事故であったと言われている。阪神淡路地震災害に於ける混乱した救出状態からの教訓が活かされたとも言われる。必ずしも万全であったわけではなかったが、大破した車両の中から運び出された負傷者たちを診て容態を瞬時に判断し救える命は救うため、タグを付けてゆくトリアージ作業は救出に一定の成果が確認された。

まず初めに尼崎脱線事故で亡くなられた107人の方々の御霊の安からん事、重軽傷を追われた562人の方々の一日でも早く、少しでも良い方への回復を願うと共に、決して癒されないであろう遺族の方々のお気持ちをお察しします。同時に2年経った今もその全容解明が為されず、JR西日本の不十分な対応への真摯な反省を求めたい。

さてトリアージであるが、日本では、4色のトリアージ・タグを右手首に取り付けて傷病者を分類する。「黒タグ」:死亡、もしくは現状では救命不可能とされるもの。「赤タグ」:生命に関わる重篤な状態で、救命の可能性があるもの。「黄タグ」:生命に関わる重篤な状態ではないが、搬送が必要なもの。「緑タグ」:救急での搬送の必要がない軽症なもの。トリアージで一人当たりにかけられる時間は30秒足らず、判定する医師とタグに記入し被災者の右手に嵌める医師との二人で動き、迅速さが要求される。

呼吸、血流の状態等プロトコルに基づき判定していくのである。赤と黒の判別は難しくかつ医師にとってストレスのかかる作業である。黒タグは、気道確保しても自発呼吸が無い人等で、通常の病院であれば、何とかして生かそうと努力するのであるが、これを割り切らなければならない。救命でありながら切り捨てであり、ここでは医師は「かわいそう」という感情に蓋をする。さもないと自らの平静な精神状態が保てないからである。しかし同時に黒タグ宣告をするのであるから、判断者の名と責任ある内容の明確な記述が求められる。

そして赤タグの救出が優先される。ここで重要なポイントは、赤と黄の分別である。緊急な施療が必要な罹災者と時間的余裕のある人との分別であり、これも間違いは許されない。赤タグでもその中身によっては本当に一刻を争うものとそうでないものとがある。そこで重要になってくるのが状態の正確な観察と判断と記述である。赤タグの中での優先順位付けに医師の専門的能力がもっとも発揮されると言えるかもしれない。

トリアージとは、限られた医療資源をより効率的に利用しようということである。豊富な医療資源が集中的に利用できるなら十分な施療が出来、選別や分類は不要である。しかしこのような災害時はそうではない。「助けられる命をまず助けること」が最優先され、その範囲で「救えなかった命は無かった」事をもって善しとするのである。

究極の選択であり、自らの医師としての生涯をかけた経験的知識と知恵の総合、感情を超えた理性=悟性、的確な判断力、迅速にこなす運動神経と体力が求められ、間違える事が許されない「選択と集中」の実践と言う事が出来よう。

基本的には「選択と集中」ではあるのだが、注目すべきは、「分類と格付け」が客観的かつ的確に行われている点である。人が行うのであるから完全とは言い切れないであろう。しかしここ迄納得的な「分類と格付け」の方法論は無いのではないだろうか。

こう見て来ると、我々もまた常に「トリアージ」が求められている事を感じる。我々の日常は潤沢な諸資源に恵まれている訳ではなく、時間的余裕も無く、ほとんどは限界資源の中にいて、その範囲内で最も有効な実行策の選択を迫られているといえる。多くのビジネスシーンで思い当たる節がある。端的な話、地球環境資源の危機的状況に我々は生きているのである。
トリアージに学ぶ事は多い。


Last updated 2007.05.08 13:41:23
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2007.04.16

地球サステナビリティの為の基準PCRの提案--PCR(Product resource Consuming Ratio)『生産・資源消費対比基準』


私の散歩道「緑のトンンル」

私の散歩道「緑のトンネル」、残したい自然(C)2007 Osamu Fujiki


 「地球環境危機」は誰もが心配しているのであるが、その対策には今ひとつ決め手を欠いているのが現実である。「世界の人々の経済活動が環境破壊に繋がっている」事は知りながら、「資源の枯渇」、「資源価格の高騰」、「資源需要の拡大」という現実に直面し、国家レベルでは『資源安全保障』が優先問題になっている。日本に於いては石油備蓄の拡大を言い、東シナ海でのガス田開発で中国ともめ、<資源供給国との多面的な関係強化>(経産省「エネルギー白書」2006)の必要を述べ、アジア諸国等相手国の未熟な環境対策状況に対し改善提案するに止まっているのである。

 エネルギー、食料、水、鉱物といった資源の産出、製品の生産・流通、消費といった経済活動が、人が生活していける為の全体的環境破壊を促進している。今風に言えば“地球のサステナビリティ持続可能性”が危機に瀕しているという共通認識を持つに至っているのである。しかし人は今の生活水準は落としたくない。狩猟農耕生活に戻れば、と言うがほとんどの人には現実感が無い。

 ではこの「生活水準を維持しながら環境破壊を止め更には環境改善に繋がる策」は無いものであろうか。問題は人の生活が個人国家レベルの問題で、環境問題はそれには国境が無いと言われる通り地球レベルの問題であり、その間に有効な繋がりが確立出来ない事にあるように思う。まず必要とされているのは総合的基準の確立であろう。

 「CO2の削減」に関しては国際的な取り決めとして『京都議定書』がある。各国の足並みが揃わずしかもCO2削減に限定され、効果は限定的なものになり、実効性は今一つであるのが実情である。たとえばこれに関連した『CDMクリーン開発メカニズム』がある。周知のように、「先進国が省エネルギー技術等を活用して途上国の工場や発電所のエネルギー効率を改善し温暖化ガスの排出を減らし、削減分を自国の排出枠にする仕組み」である。
 これに就いてどれ程の効果があるのか明確に言及したものを見た事が無い。皆「様子見」のようである。従って私は懐疑的である。先進国企業は国から課せられた削減義務を果たすため、取引所から購入した「排出権」を呈示し済まそうというものである。個別企業は「グリーン調達」等でそれなりに努力しているのであろうが、それも恣意的で、基本的には現状の資源消費量を維持しようというものである。また「排出権」という無形の財が市場で取引され、デリバティブ商品化されるなど、市場化がやたら活発になるのを見ている。これは果たして地球的規模でのCO2削減に効果があるのか私は答えを持っていない。第一複雑化し過ぎだ。
 より網羅的なものとして、「温暖化防止」、「資源の有効利用」、「特定化学物質の使用を削減・廃止」の三視点から、「生活の質向上/環境への影響削減」を定量的に測るものとして『ファクターX』がある。主に日本のメーカーが自社製品の生産活動がどれほど環境に配慮しているかの指標として活用されている。これも先進企業での自主的試みに止まっているのが現状である。
 更に『環境税』という案がある。所得税とのトレードオフが考えられているが、これも各国の足並みを如何に揃える事が出来るかが課題であろう。

 以上のような状況を踏まえ、私は「総合的かつ単純で世界的な効果のある基準」を提唱したい。それが『PCR基準』である。PCRはProduct resource Consuming Ratioの略で『生産・資源消費対比基準』である。

 生活水準は定性的であるため、便宜上名目GDP(国民総生産Gross Domestic Product)で表す事とする。PCRとは自由な経済活動を前提とし、国単位の「GDP金額」を「資源消費量金額」で割りそれをその国のPCR指数とする。分子分母の両方を見て、指数向上の為のコントロールを可能にするもので、「どれ程の資源を消費する事により、どれ程のGDPを実現しているかの金額を明確にし、その割合指数を上げる努力を促進する仕組みで、基本的に省資源圧力として働くもの」を国際経済政策に組み込む“次善の策”である。
 
 一定のGDPを維持していく上でどれ程の資源を消費するのかに付いての定量的国際比較を可能とする基準であり、有効に活用される事を考えている。これにより、今の資源消費水準を維持しながらGDPの拡大、つまり今の生活水準でより多くの、数等倍の人が暮らしていけるにはどうしたら良いのかを考える、という発想も可能になるのである。勿論資源消費の減少がポイントである。例えば、この「資源消費一定でのGDPの拡大」をベースラインとし、個々の国の実情に合わせた運用の幅を持たせる事が可能になる利点もある。

 一般的に言って、アメリカのGDPは日本の倍、一人当たりエネルギー、食料、水といった資源消費量は日本人の倍、したがって『アメリカのPCR=(アメリカのGDP<=日本のGDP x 2>)/(アメリカの資源消費量<日本の資源消費量 x 2 x 2(人口) >)=日本のPCRの1/2』となる。従ってアメリカのPCR指数は日本の1/2で、効率は1/2の低さであるという事になる。何故このような一般的数値になってしまうのかと言えば、資源消費量金額は上記資源の全てを積算する必要があり、その数値の集約は極めて困難であるからである。GDPに付いても同様な困難がある。これは政府レベル、世界機関レベルで精密な数値算出が行われる必要があると思う。その正確かつ公平性が維持される為にもである。

 中国について考えてみよう。発展途上で、数値は大きく変動中でありかつ不正確であるという困難がある。GDPは(財)国際貿易投資研究所によると、2005年の順位は、アメリカ(12,455B$)、日本(4,558B$)、ドイツ(2,794B$)、イギリス(2,226B$)、中国(2,224B$)と五位である。近年の急成長は周知の通りで、実体は分からない。GDPも資源消費量金額も急速に伸び、実質日本に近付いているとも言われているが、正確な所は分からない。「世界の工場」としての急成長と、生活水準の向上による資源多費消型生活の浸透が考えられるであろう。

 見逃せないのが食料に関する報告だ。人口比を上回る消費量金額になっている事である。国連農業機関(FAO)によると、世界の野菜の47%、豚肉の47%、水産物の33%を消費しているという事であり、人口比(世界人口の20%)を既に大きく上回っているのである。単位当たり製品製造にかかる資源消費量は日本の6倍とも言われ、食料、工業品製造原材料等で多くの無駄使いが行なわれているのである。仮にGDPを日本と同等とし、総資源消費量も、日本の一人当たり資源消費量金の多さと中国の10倍の人口を相殺し、上記条件を勘案して総合的数値を同等とすれば、中国のPCR指数は、日本とほぼ同等ということになる。中国は日本と同等の効率で賄っているのが現状と言う事になる。(?)

 此処で考慮さるべきは中身の分析である。中国のあらゆる産品に関する不法コピーの問題=負の知的財産の存在、粗悪品の産出は世界の不経済(反面デフレ効果をもたらしているが)をもたらしている。これらは総合して計数化しGDPから差し引かれなければならない。更に本質的な問題として、その原因は置いたとして、砂漠化の急速な拡大、河川の汚染等は地球規模で影響を与え、進行する環境汚染・破壊と対策未整備は資源消費量金額に加算されなければならない。つまり分子を減らし、分母を増やす要素がさらに多くあるという事である。これを加味すれば、中国のPCR指数は日本の1/5以下になるというのが妥当ではないか。「元」は固定相場制故、購買力平価への換算の必要があるが、そもそも信憑性のある数値が存在しないのである。従って「おおよそ」という接頭語は避け難い。

 人口が少ないのに、資源消費量金額が膨大で、なおかつGDPも高い国がある。それは資源に恵まれたアラブ諸国のような豊かな国である。人口は比較的多く安定的で、資源消費量金額とGDPが大きい国が所謂先進諸国である。PCR指数は近似値を示す。その中でもそのPCRが意味を持つ国は、GDPが大きく資源消費量金額が多いのであるが、資源に恵まれないため有効な資源消費削減方法を持ち、その効率活用に努力をしている国であろう。日本はその典型的先進国と言える。それ故日本をPCR基準国としてそれとの対比を考えていくのは有効と考える。私の知らない、指数が日本の2倍あるいはそれ以上もある国は存在するだろう。GDPでは計れない、豊かな自然・天然資源に恵まれ(もっともこれは計数化しGDP加算要素にすれば良いのだが)、資源はほとんど使わない完全循環型国も存在するであろう。しかし残念ながらモデルたりえない。

 資源消費の少ない製品と考えた時、日本の十八番の「軽薄短小」はその典型ではないか。日本にはその伝統がある。冒頭部でご紹介した『ファクターX』はそうした日本の伝統を引き継いだものと言えよう。多くの家電製品が、この十年で電力消費量は1/5になっている。ハイブリッド車は例に引くまでもないであろう。こうした省エネルギー、資源の再利用、その他バイオマスの利用、太陽、風力等のクリーンエネルギーの活用が考えられる。代替エネルギー、例えばエタノールには「食料安保」との齟齬等未解決な問題がある。日本は無駄の節約という意味で先進国の競争相手、発展途上国の目標モデルになり得る事から、PCRの基準国として十分な情報公開、技術開示をして喧伝すべきであろう。そして世界がPCR競争を競うようになる事を願う。年度あるいは四半期毎でランキング発表するのが良いと思う。国連が出来ないのであれば日本にその格付け機関を設ければ良い。

 これはまた情報社会に裏打ちされた新たな産業(本格的な真の環境ビジネス、記録媒体を不要にしたダウンロード販売、『セカンドライフ』のようなバーチャルビジネス空間はそのはしり)を創出するように思えるのである。




Last updated 2007.04.16 18:08:40
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2007.04.12

私は 雲になって 自由を空に描く

IMG_0159.jpg

「♪私はいつの日にか 自由の雲になり 
      遠く広い空を 風にただようだろう♪」
 
「春には ポカリと浮かび あなたの想い誘い」
「夏には 雷(いかずち)落として 奢りを諌むだろう」
「冬には 真白の雪になり 万華の花散らす」
「秋には 高く空に昇り 世界を見渡す」

「夜には 音をたてずに霧雨 静かな眠り包み」
「朝には 姿隠して 青空をプレゼント」
「夕には 鏡になって 茜の空照らす」

「自由の雲に 自由の雲になって いつもあなたの傍にいて 静 
 かに 見守るだろう」(Sam

(C)April 2007 Osamu Fujiki


Last updated 2007.04.13 14:07:47
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2007.04.08

「雲は天才である」(石川啄木)

雲は天才だ


私は風になるよりは、風に吹かれ空をたゆたう雲になるだろう。

「♪春には 雲になって 自由を空に描く♪」

「梅雨には 空を覆い 恵みの雨降らす」
「夏には 雷(いかずち)を落として 奢りを諌む
 だろう」
「秋には 見上げる空を 何処迄も駆け巡る」
「冬には 真白の雪になり 万華の花散らす」

「夜には 音をたてずに霧雨 静かな眠り包み」
「朝には 姿隠して 青空をプレゼント」
「夕には 鏡になって 茜の空照らす」

「自由の雲に 自由の雲になって いつもあなたの傍にいて 静かに見守るだろう」
(Sam

(C)April 2007 Osamu Fujiki


Last updated 2007.04.11 17:40:38
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2007.04.06

今何故三鷹光器なのか?--「必要なものを造る】という事

私が住む三鷹に、三鷹光器(株)というキラ星のような会社があります。今は会長である中村義一氏が創設した会社で、TVや本でも紹介されているという事ですからご存知の方もいらっしゃるかも知れません。同氏の話しを聞く機会がありました。

三鷹光器は三鷹に東京天文台(現・国立天文台)を作った中心人物を父に持つ中村義一氏により設立(1966年)され、NASAやライカが一目置く“町工場”です。今や世界最先端企業からの注文と見学が引きもきらない光学機器“メーカ-”です。

製作している製品は、スペースシャトルや人工衛星に搭載されている観測機器、脳外科手術に必須の3D立体顕微鏡といった医療機器、世界の天文台が採用している望遠鏡を始めとした天文機器など、これまでだれも造れなかった精密機器です。世界特許100件以上。


氏の企業方針は「便利なモノではなく、必要なモノを作る」という事です。

便利なモノの代表はケイタイで、氏は持っていないそうです。敢えては言いませんでしたが、同社製品医療機器、観測・測定機器等が必要なものという事のようです。

私が勝手に通俗的に解釈すれば、便利なモノは相対的な言わばナンバー1を目指すもので、必要なモノとは絶対的・画期的な、オンリー1を指向するものという事になります。

日本のケイタイ競争は"便利競争"であって、"必要競争"でない所に問題がありそうです。

我々の感覚ですと、オンリー1は不可能だからナンバー1を目指さざるを得ない。オンリー1はずっと難しいものを指向するのだから余程の先端科学技術や開発力を背景にしていなければ出来ないと考えるのでしょう。所がさにあらず、という事のようなのです。


中村氏は戦争の影響もありろくに中学も卒業出来ないままモノ造りに携わりました。東京天文台、府中光学、三鷹光器で東大と組んでロケット機器製作に携わる-と一貫して専門企業組織の工員・技術者として技術を磨き、知見を得、学習して来た筋金入の職人です。

同社の社員構成は、中卒も東大大学院卒もの学歴不問で、中卒技術者が大きな成果を挙げ、重責を担う立場にあるという事です。入社試験のユニークさはとびきりで、模型飛行機造り、自分の顔の描画、秋刀魚の食べ方、電球のデッサン等が中心だそうです。

育成の仕方も徹底した現場主義です。研磨技術等技術の基本は手取り足取り教えるけれど、後は個々人の自由な発想に任せる。ただし明確な目標を与えるという事です。現場主義は更にユーザーサイトに及びます。

大企業の開発技術者・研究者はなまじの知識、余計な情報があるため、それが邪魔して初めから諦めて無難に走る。従って繁忙な開発競争に消耗したあげく、精々ナンバー1製品を造り満足するのが現実という事のようです。

M&A真っ盛りの今ではオンリー1企業を買収する手もあるでしょう。でもそれで終わりになってしまいます。技術、アイデアは人に属しているから辞めたらそれまででしょう。


何処かで聞いたような話しに思えます。

そう、AppleからGoogle、Powerset、環境技術で新境地を開くBloom Energyに至る迄のシリコンバレーのベンチャー企業と、日本企業の対比に酷似している事に気がついたのです。中村氏も氏に惚れ込んだ資産家との出会いは大きかったと言えるからです。

それとシリコンバレーの特長として、PARC(Palo Alto Research Center)の存在は無視出来ません。多くの新しい技術の卵を孵化し、人材を輩出して来ています。

中村氏にとっては東京天文台、府中光学、三鷹光器で東大と組んだロケット関連機器の開発―といった経験から知的刺激と想像的雰囲気を得、多くの卵の存在とその孵化の仕方を学んだ事でしょう。

これを同社は自らの会社で行っているのです。同社のような小企業にとって大変な事です。従ってそのやり方はユニークで、むしろ独善的ですらあります。同社の「多くの社員は天文学に興味を持っている。これが社の想像力・創造力の源泉だ。」としています。

とは言うものの、秘訣は「研究者の中に入って行って共に考える」という姿勢にあるようです。南極観測隊には観測器を持って自ら参加したり、脳外科の手術現場に立ち会い手術成功率を高める独自の顕微鏡手術装置を開発等々して、各分野の研究者の信頼が厚い。


一途に目指す発想力豊かな技術者・価値創造者、人を見る眼を持った有志資家・企業トップ、孵化サポートセンターの存在(日本は後ろの2点に難点がありそうです。)―これがベンチャー企業成立の必要要素と言えます。

「必要なモノ」は同社製品に限られたものでなく多くある事は言うまでもありません。「便利なモノ」でも追求した挙句、一線を突き抜け「必要なモノ」に化ける可能性もあるかも知れません。でもこれは僥倖です。

「モノ造り立国」の本当の中身は“人”であり、熟練、独創、地道、工夫、知恵、熱意であり、そして出資者・サポーターとしては、理解し信じ支え続ける寛容力・洞察力である様に思います。その意味ではシリコンバレーの条件と何ら変わらないようです。


中村氏の話に刺激され勝手な想像を巡らせました。三鷹光器のような社員数十人の町工場でも世界と伍していける。その秘密は「必要なモノを造る」という、出来そうで出来ない指針の重要性に気付かせてくれたからです。

“イノベーション”に決め手を欠いている今、こうした世界的知財創出企業に光が当たるのは決して偶然ではないように思います。

私に出来る事は精々モノを買う時に、これは本当に必要か?を考える事ぐらいですが。


Last updated 2007.04.06 14:10:48
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2007.04.03

ラベンダーがついに冬を越してしまった!!


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