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〜ひかり輝く日のために〜 [全59件]
またまたご無沙汰してしまいました。 4月から母が介護が必要な状態になり、ケアーマネージャーさんやヘルパーさんのお世話になることになり、お互いが安心できる関係を築くまでに時間がかかりました。 ケアーマネージャーさんやヘルパーさんの「なんとか力になってあげたい」という家族以上の思いには頭が下がります。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 ここ最近、私には大きな出会いと大きな気づきがありました。 それは人のために役にたちたいという気持ちには変わりはないけれど、ひとまずマッサージセラピストという夢は棚上げにして、もう一度自分が何をしたいのかを見つめていきたいと思っています。 なによりもまず自分自身が幸せになること。 これが私の優先課題です。 母の状態も落ち着き、ケアマネさんやヘルパーさんたちとの連携もうまく機能しはじめたところで、私は研修と遊びをかねてアメリカ(フロリダ・・・ハワイではありませんが)へと旅立つことになりました。 最近知り合った6人のメンバーたちとの旅は、とてつもなく楽しい旅になることは間違いなく、とってもワクワクしています。 私は今、私に対して最大のご褒美をあげようと思っています。 母がこんな状態だから行けないとか、お金がないから行けないとかではなく、今の私の気持ちを優先させて意図して生きていく、あきらめない人生をもう一度私のこの手で創造していきたいと思います。 それでは、行ってきます。 私はいま、人生最高の気分です。
と〜〜っっても久しぶりの更新となってしまいました。 いつも覗きにきてくれていた皆様ありがとうございました。 あっという間に3月が過ぎ、いよいよ春本番ですね。 といってもここんとこ花冷えでちと寒いです。 3月はいろんな人たちとお目にかかることができ、私の世界も少しずつ広がっていってます。 今日は泣き虫の私がまた泣いてしまったお話です。 「天国はつくるもの」の映画を作った熱い男「てんつくマン」さんのメールマガジンに掲載された物語です。 (いろんな方がブログで紹介されてるのでご存知のかたもいらっしゃるかもしれませんが・・・) ![]() ![]() 「無力と微力の二人の天使」 その街に二人の天使が舞い降りた。 その街に降りてから天使は十月十日眠り続けた。 目を覚ますと、天使は自分が天使であることを忘れていた。 天使が舞い降りたその街はゴミだらけの街だった。 あまりにものゴミの多さや、人の心に天使は悲しくなった。 一人の天使は自分を無力と呼び始めた。 一人の天使は自分を微力と呼ぶ始めた。 無力の天使の口癖は 「私だけがゴミを拾ってもしょうがない」 微力の天使の口癖は 「私は私が出来ることをやってみるわ」 無力の天使はゴミだらけの街を見て絶望を感じて 街から目をそらして、毎日空をながめていた。 微力の天使は一度は絶望を感じたものの 一日一個、ゴミを拾い始めた。 一年後、無力の天使は空の素晴らしさをいっぱい知った。 朝日の美しさ、夕日の美しさ、虹がかかった時の素晴らしさ。 一年後、微力の天使は微笑んだ。 街から365個のゴミが無くなった。 それから一年、さらに無力の天使は空の素晴らしさをいっぱい知った。 空や雲の変化を面白いなと見つめていた。 その頃、微力の天使は毎日「ありがとう」って言いながら毎日を過ごしていた。 それは、微力の仲間がいっぱい増えたから。 「一緒に拾うよ、私の力も微力だけど、一緒にゴミを拾うよ」 10人の微力達が一緒に拾った。 一年たったら3650個のゴミが無くなった。 それから、一年、無力の天使は空の美しさだけでなく、 街の美しさにも気づき始めた。 街がピカピカになっていた。 なんと、街では1000人がゴミを拾っていて、 一年間で365000個のゴミが無くなって 大変の意味が変わっていたのです。 微力の天使は言いました。 「始めはゴミを拾うのは大変でした。」 「でも、今は拾うゴミを見つけるのが大変です。」 この街はある日から、ゴミを拾う人も増えたけど、 ゴミを捨てない人も増えたのです。 あの人が拾っているゴミは私が捨てたゴミ。 私はゴミを拾うことは出来ないけれど、 ゴミを捨てるのをやめよう。 微力の天使は誰も否定をしませんでした。 微力の天使は自分が出来ることをやっただけなのです。 無力の天使の心に変化が生まれました。 無力の天使の心から絶望が消えていったのです。 そして、無力の天使も「ありがとう」を言いました。 ゴミを拾ってくれてありがとう。 お礼に無力の天使は微力の天使に空の美しさを教えてあげました。 次の日、二人の天使はゴミを拾いました。 正式には、ゴミを探すために歩きました。 しかし、ゴミは見つかりませんでした。 夕方になると、空がピンク色になりました。 素敵な空を見ながら、二人の天使は幸せを感じました。 ぴかぴかの街と、美しい空を見ながら 二人の天使は二つのことを学びました。 自分を無力という天使は言いました。 「あなたが動いてくれたから、この街は天国になったんだ 天国は動いたら創れるんだね」 自分を微力という天使も言いました。 「私は下ばかり見ていたから空の美しさを知らなかった。 でもあなたが空の美しさを教えてくれたから気づけたことがあるよ。 それはすでにここは天国だということ」 今はすでに天国 そして、動けばさらに天国が増える。 二人の天使は少しだけ 自分の背中に翼があることに気づけました。 あなたは天使だよ。 あなたこそ天使だよ。 みんな天使だね。 この言葉を読んでいるあなたも天使。 そう、みんな天使。 みなさんはどちらの天使ですか? 私は無力な天使で、無力な天使はだめなんだと思いながら読んでいました。 それが、そうではなかったんですね。無力だと思えた天使も役に立っている。 すぐに諦めてしまい、その頑張りがきかない私自身を責める私がいる。 「あなたはあなたのままでいい」と言われてるようで涙が溢れました。 本当に天国は創れるんですよね。私たちの力で。 早く今の世の中が天国になってほしい。 そしたら、私はいつも天に帰りたいと祈らなくてもよくなるから・・・
今日は毎月マッサージを受けに来てくれているAちゃんの予約日。 彼女から「12時ごろにそっちに着くからよろしく。その後、GLAYのコンサートに行くんだけど、チケットが余ってるのでコンサート会場の前で売るつもり。」とメールが届いた。 私を誘ってるメールではなかったんだけど、私のアンテナがピクリと動いた。 「楽しいかも・・・」 私に届いた情報は私のハートに聞いてみる。それがワクワクするものだと思ったら、その話に乗ってみる。これが私流の楽しみ方。 「どうする?華」ともう一度ゆっくりハートに問いかけていると、ラジオからGLAYの新曲「百万回のキス」が流れてきた。 「うん、この曲を生で聴きたいよ〜」とハートが言っている。
私はロックはあまり好きではないのだが、GLAYの曲はバラードが結構多いので嫌いではないアーティストだ。 彼女に「私が行く〜♪」と告げると、私がマッサージをした後なので、きっと疲れてるだろうからと誘わなかったそう。 「じゃ、百万回のキスを受けにいこうよ。」とマッサージが終わったあと、二人で大阪城ホールへと出発。 やっぱり生で聞く音は迫力があり、もうみんなノリノリ(^^♪ 「百万回のキス」も勿論よかったけど、新しいアルバム「love is beautiful」に入っている「僕たちの勝敗」という曲もとってもいい曲で泣き虫の私はまた涙してしまった。 曲と曲の間のMCでは、「みんな愛しあってるか〜い?」という問いかけに「イエ〜イ」と答える私たち。何度も何度も繰り返されるこの問答。 あなたが大切に思う人や、あなたのことを大事だと思ってくれる人と愛し合っていますか?その気持ちを言葉や態度で表現していますか? そして、あなた自身を愛していますか? この問いかけにすべての人が「Yes」と答えられたら、ほんとにステキだよね。
アーティストたちは愛を伝えるメッセンジャー。地球の天使。 コンサート中にGLAYのメンバーに手を振る人を見た私は「(向こうからは)見えへんちゅうに・・・」と思っていたのだが、アンコールを終えてステージを去るメンバーに手を振っていた私。会場からは「ありがとう」という声がたくさんこだましていた。
「私は絶対立って踊ったりしないぞ。」と思っていたのに体が勝手に踊りだし、コンサートが終わったときは汗をびっしょりかいでいた。ホールを出たところで友達が「あ〜た、思いっきり楽しんでたよね。良かったぁ。」「うん、ほんとに楽しかった〜。今度はミスチルのコンサートにいこうよ。」と彼女にリクエストしてバイバイした。
最後にGLAYからみんなに向けてのメッセージ。
「みんなぁ、愛し会おうぜ〜〜〜♪」
「イエ〜〜イ\(^o^)/」
今日もとっても天気が良くて、ベランダの窓越しに空を眺めていたら、耳の手術のために入院している弟のお嫁ちゃんからメールが届いた。 「毎朝あの香り(気分が滅入ったときにと病室に届けたエッセンシャルオイル)をかいでます。今朝の診察でついに!退院許可がでました〜。お義姉さんが持ってきてくれたお花が枯れないうちに退院できるのはかーなーりうれしいです。」 彼女の文面からはほんとに嬉しいんだなという気持ちが伝わり、私の心も躍りだし、春のような陽射しにも誘われて、自転車で遠出をすることにしました。
向かった先は住吉大社。本殿でお参りしているとなぜか気になる女性がいた。 彼女は私が来る前からお参りしていたらしく、何度も何度も頭を下げてお参りしている。 その後ろ姿はほんとにせつなくて、ただただ一心に祈る姿に心を打たれ、私は自分のお参りが終わってもなぜかずっと彼女の姿を見つめていた。(私が着いてからは15分以上はたっていたと思う)。 ご家族のどなたかがご病気なのかな?と勝手なことを思いめぐらせながら、「きっと大丈夫ですよ!」と心のなかでつぶやいていた。 彼女がやっと本殿から離れたのを見届けてから、私も境内をうろうろと散策した後に太鼓橋が正面に見える池の前に立つと、なんとその太鼓橋の真ん中にさっきの女性が佇んで池を眺めていた。
知らないもの同士が偶然にも池をはさんで向かいあって思っていたことは、きっと「今ここにいる幸せ」を感じていたのだと思う。
夕方は友達と電話でおしゃべり。友達の夢が着々と進んでいる話を聞いて、またしても心がうきうきと躍りだし、「私も頑張るよ〜♪」とやる気満々で会話を終えた。
そして、とどめは3ヶ月も前から注文していた品物がやっと我が家に到着。 今日からはこの品物とはなが〜いおつきあいになると思うととってもハッピー。
些細な出来事の連続だったけど、今宵は「これが幸せなんだ」と噛みしめながら眠りにつきます。
先日の「1/4の奇跡」という映画はほんとに感動の涙でいっぱいでした。 この日の上映会には1,000人にも昇る観客が集まり、ボランティアにいたってはなんと100人を超えたそうです。これからも上映されますので機会があればぜひ見てくださいね。 この映画ではすべての人たちに違いがあっていいんだ。みんな同じ人間だということをわかってほしいと訴えています。 上映会と講演会が終わった直後に会場に来られていた障害児を持つご家族から弱者を切り捨てる福祉や政治のあり方を訴える声に、私は映画を見ている時よりも魂が揺さぶられ、涙が嗚咽となっていました。障害児たちを支えるご家族にとってはほんとに切実な問題だと思います。 今の世の中は勝ち組(この言葉は嫌いですが)だけがもてはやされ、成功したものだけが幸せになる権利があるかのような風潮。私はなんにもしてあげられない自分の無力さにうちひしがれて帰ってきました。 障害児たちはほんとに愛に溢れた人たちです。 「この障害をもって生まれてきて良かった。」と言っています。 障害をもっているから分かることもある。感じることもある。だから幸せ。 こんなふうに思えるなんて・・・私は胸がつまりました。だからといって、 「五体満足に生まれた私たちは幸せだよね。だから不平不満は言わないでおこうね。」 なんてことをさらさら言うつもりはありません。 この世に生を受けたものには辛くて過酷な出来事と直面しなくてはならないときがあります。それぞれの人生に苦しみや悲しみがあります。 たとえそれがこの世でのシナリオを自分で設定して生まれ、その辛い出来事から学ぶためであったとしても、その苦しみは少しでも短いほうがいい。少しでも軽いほうがいい。 少しでも希望を持って生きる道をさし示す、ナビゲーションのような存在でありたい。 その思いを実現するためにただひたすら誠実に生きること。 そして、人と人がお互いを尊重しあい、差別のない世界で一人残らず、「あぁ、今日も楽しかった〜。明日起きるのが楽しみだね♪」と眠りにつける時代が来ることを祈ること。 これが今の私にできること。 もう時間がありません。準備を急ごうと思います。
今日は映画の上映会と講演会のお知らせです。
以下は彼女からのメールを編集したものです。
・映画内容: 「一人一人がちがっていていいんだっていったよね。それを世界中の人が知っている世の中にして。」
後ね、お願いなのですが、学校の先生を知っているまたは子供さんが就学中のメンバーさん!! わたし、チケット渡せるよ 繋げれるよ !(^^)! と言っていただける方感謝します。
この映画は始まりからミラクル続きなのですが昨日の動きが紹介されていたので載せておきます。 皆さんの人生でも感じておられるとおり宇宙は本気で動いています。 ワクワクの波動 愛の波動を拡げる意志を持ったすべての存在を繋げ サポートする本気の本気だ〜(^O^)と 感じている今日この頃です。
以前知り合ったとっても素敵なかたと急にお会いしたくなり、今日彼女のお家に伺うことになりました。彼女のお宅は京都の北白川。 約束は3時なので少し早めに京都に行って散策しようと思い、彼女の家の近くの下鴨神社に行くことにした。私はそこに行った記憶がかすかに残っていたのだが、はて、いつ、だれと行ったのやら・・・?? ネットで下鴨神社を検索してみると、「葵祭りの巡行路」という言葉が目に入った。 そうだった。下鴨神社といえば葵祭。その葵祭には高校生のときに遠足で行ったのだった。 またしても、蘇った過去の記憶。
人は人生の新しいステージに向かうとき、過去に封印していた「悲しみ」や「諦め」や「悔しさ」など、ネガティブな感情をを呼びおこさせ、そのときの感情に再度向かいあうことで本当の意味での癒しがおこり、つぎのステージに進むことができるそうな。
しかし、高校生のころに封印した思いとはなんだろう? 振り返ってみると、あったよ、あったよ、たくさんあったよ。 やはり、思い通りに生きられなかった当時の悔しい思い出が蘇った。
今の私は休養という時間を与えられているが、それはただ体を休めることだけではなく、本当の意味で心を癒す時間を与えられているのだと気づかされる今日この頃です。
それでは、行ってきま〜す |一覧| |