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カテゴリ:セミナー紹介
5月26日(木)みずほ総研セミナールームにて
第二回「論語とそろばん」セミナー2011が開催されました。 いよいよ童門先生がご登壇、ということで、どんなお話が伺えるか ずっと楽しみにしておりました! 童門先生は、渋沢栄一が基礎を作った東京都の養育事業を、美濃部都政で発展、 維持させた、というご経歴をお持ちです。 この日は養育院のそもそもの発祥からお話をして下さいました。 さかのぼること、徳川8代将軍吉宗が、享保の改革の一つとして「目安箱」を設置しました。 ここに小川笙船が「病気の老人を救う施設を作ってほしい」と投書し、見事採用されます。 皆さんお馴染みの大岡越前の手により、「小石川養生所」がつくられ、提案者の小川笙船を 所長にし開所されました。 その後、吉宗の孫にあたる松平定信が寛政の改革を行った際、この小石川養生所が 運営経費が高すぎるという理由で、今で云うところの事業仕訳の対象となります。 検討の結果、それまで幕府の予算(公助)や、家族負担(自助)で運営されていた仕組みに、(互助)--町会費を倹約し、それを相互扶助にあてるという仕組みを加えることとなりました。 倹約できた分の七割を、こうした経費として当てたので、「七分積金」と呼ばれる制度は、うまく機能し、幕末までには70万両という莫大な貯金が出来上がります。 この(互助)を加えたスタイルとなった小石川養生所が、明治維新後「東京養育院」となりました。 渋沢栄一は東京市長に養育院長に終身で任命してほしい、と申し出て、 92歳で亡くなるまで務めたそうです。一番長く持っていた肩書だとか。 齢83歳の童門先生ですが、講演中はずっと立っていらっしゃって、メモもなく、 養育院の歴史を時折ユーモアを交えながらよどみなくお話下さり、まるで 小説を読んでいるかの様でした。 1時間20分のご講演後、守屋からいくつか、また聴講者の方からの質問を 受けて下さいました。 童門先生は「小説 渋沢栄一」を書いてらっしゃるのですが、なぜ渋沢を取り上げたのか、という守屋の問いに「福祉の社会化を図ったのが渋沢栄一であったから」とのお答え。 また渋沢の魅力は「人間愛の大きさ」とも。 「童門先生の考えるリーダー像とは」という問いには「壊す→作る→守る」を一人で 同時に進めていける人で、現在は居ないとの事でした。 更に、今の価値観の枠から出て、そこから活躍できる人に期待するしかないのでは、 ともおっしゃっていました。 渋沢栄一と養育院、社会事業のみならず、都政での実務、歴史小説家としての長い キャリアをお持ちの童門先生ならではの御高話でした。 次回は第三回、6月16日(木)一橋大学大学院商学研究科教授の田中一弘先生に ご登壇頂き、渋沢栄一の「論語とそろばん」の思想とはどいうものなのか、を お話頂きます。 ちなみに、田中先生曰く、一橋大学も創立時に「七分積金」の一部が充てられて いたそうです。 本当に色々と繋がっているものですね、こんなこぼれ話まで感心しきりの一日でした。 守屋淳 http://chineseclassics.jp/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.29 22:43:02
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