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【亞】の玉手箱2

【亞】の玉手箱2

サン・ジョルディの日~日本導入顛末記

『サン・ジョルディの日』日本導入顛末記
※二十年以上前に、新聞に連載したエッセイを加筆修正したものです。


4月23日は『サン・ジョルディの日』!
~女性は愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に花を贈る~
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 1.夢のイベント


思い出というのは、誰にでも必ず一つや二つはあるものだ。
私の場合は、季節と重なって毎年思い出すことがある。

 
桜が咲き、葉桜となった頃、
つまり4月になると決まってある出来事を思い出す。


 
女性が愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に花を贈る
「サン・ジョルディの日」が、この時期にある。

 
海外の習慣を日本に取り入れ、それが根付いたものには、
クリスマスイブとバレンタインディがあり、
それにこのサン・ジョルディがあげられよう。


 
サン・ジョルディが日本で始まって2015年で30年になる。
…30年か。
私も老けるはずだ。

 
何を隠そう、このサン・ジョルディという祭りが
スペインのカタルニア地方に昔から盛大に行われていることを知り、
そのお祭りを日本に持ち込みたいと、
大それたことを考えついた最初の日本人が、
実は竹村亞希子、この私なのである。

ウソみたいな話だが、本当だ。



あれは、1984年の暮れ。
現在の場所に事務所を構えて5~6年目だった…。



友人から「スペインのカタルーニャ地方に伝わるお祭りで、
男は女に薔薇の花を贈り、女は男に本を贈る習慣があるらしい」という、
なんともたよりない話を聞いたことがキッカケだった。

 

わ、面白そう。

 
あのころ私はこう呟いた。
呟いて、よし、日本にこの習慣を持ち込もう。
そう思いついた。
白状すると、どうして結びついたのか自分自身分からない。
いまでも理由が見つからない。


天啓。
それとも神託だったのだろうか。
ともあれ、すぐに行動を起こした。



 2.やると決めたら、まず調査。そして速攻


サン・ジョルディの日。
スペインのカタルニヤ地方に伝わる古いお祭りで、
男性は愛する女性に青い麦の穂を添えて赤い薔薇を贈り、
女性は愛する男性に本を贈る習慣である。

 

それを聞いて「バレンタインディよりも素敵!
日本に持ってこよう」と、単純に思いついた。

 
単純な思いつきだったが、そのあと、ちょっと待てよ…
この祭りは本当に存在するのかしら?
それから数日、図書館に入り浸った。


 
しかし、困った。
スペインやカタルーニャに関する著書や資料をいくら漁っても、
サン・ジョルディに関しては、何も出てこない。
 

最後の手段としてスペイン大使館に連絡をとってみた。
なんと、大使館員ですら「そんなお祭りは、知らない」と答える始末。
これには呆然とした。


 
でも、諦めなかった。
年が改まった1985年、バルセロナに住んでいる
遠い遠い知人のことを思い出して、国際電話を入れた。


いまの私なら、メールを利用するのだが、
当時はインターネットなんてなかったから
KDDを利用するしかなかったのだ。

 
「あるよ。毎年、4月23日にバルセロナ地方で行われている」と
その知人はこともなげに答えた。


 
え、4月!
 

このとき、1985年1月である。
なんと三ヶ月後ではないか。


 
それを聞いたとたん、
「じゃ、見に行かなきゃ」と考えた。
 


バルセロナは次のオリンピック開催地に立候補していた。
筮竹で占ったらバルセロナに決まると、出た。



バルセロナが、開催地に決定してからでは遅い。
利権をもとめる不逞の輩とみなされかねない。
それを危惧した。




 3.ヒラメキの神様が乗り移っていた!


三ヶ月後にバルセロナでサンジョルディの祝祭が行われる。
となると、時間がない。
人生も幸運の女神の後ろ髪も、人間が思っている以上に短いものだ。


 
まず、バルセロナが五輪開催地となるかどうかを易で占った。
「決まる」と出た。
 

次に、日本でのサンジョルディの祝祭が実現するかを占った。
「実現する」と出た。よし!

  

本で初めて知った、スペインに詳しいつくば大の大学教授に
電話をかけて相談した。
その女性の教授は「それは素晴らしい。ぜひ実現させましょう」と
協力を約束してくれた。
 


実現させるためには、日本とカタルーニャとの
「友好親善協会」が必要だと気づき、我が事務所に
「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会」なるものを設置した。
会員は私と女性教授の二人だけ。
悪くいえば完全なでっち上げである。
 


準備委員会として今年の祝祭の正式な“現地視察”に出かけるためには、
カタルーニャ政府から我が準備委宛の「インビテーション(招待状)」がいる。
ならば、今年の祝祭の前に現地に行って交渉しなければ…
そうだ、すぐにもスペインへ飛ぼう!

 

この思いは天啓であった。
はっきり言って、私はこういった「呼び屋稼業」には不慣れである。
いや、無知だと言ったほうが正鵠を射ている。
 

しかし、このときの私は冴えていた。 
ヒラメキの神様が乗り移っていた。
いま振り返っても不思議なのだが、
こうした発想が次々と自然に浮かんできた。
これを潜在能力と呼ぶのか、神がかりと呼ぶのかは
読者諸兄にお任せすることにして。
 


とりあえず現地に飛んで交渉してこようと決めた。
しかし、肩書きなしではとても信用してもらえないだろう。
そう考えて「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会・委員長」及び、
「エッセイスト・竹村亞希子」の名刺を用意して、スペインへ飛んだ。
 


実は、私にとってこれが初めての海外旅行だった。



 4.協会の始動開始!


1985年1月初旬。  
「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会」
なる名前で我が事務所に設置したのだが、
不届きなことに会員は私一人だった。


その直後に面識もなく突然の電話にも関わらず
筑波大学の野々山真輝帆教授(当時は助教授)は
「日本とスペインの虹のかけ橋になろう」
と励まし勇気を与えてくれたうえ、
実体のない協会の顧問まで引き受けてくれた。



また友人を介して話を聞いた音楽業界人が
4月の祝祭に協会として正式な“現地視察”に行くのなら、
カタルーニャ州政府からの招待状を貰いなさいと言った。


そうか!? そうだよね!!
招待状を貰うための布石として以下の文書を作った。



~~~~~~~~~~~~~~~~

カタルーニャ州政府 
     プジョール首相
      関係者各位


1984年12月に私こと竹村亞希子は、貴国に
「サンジョルディ~本と花の日」があることを知りました。
これをポスト・バレンタインデーとして日本に上陸させ、
それと同時にカタルーニャ・日本両国間の文化親善を図りたく
「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会」なる機関を設けました。


また協会を貴国との友好的な文化親善のために役立つべく始動を始めました。
「日本カタルーニャ友好親善協会」に今後加盟するであろう
ナショナル・クライアントは貴国に有形無形の利益をもたらすことでしょう。


例えば

1)文化交流
2)観光客誘致
3)日本企業誘致
4)物流
        等々


また、日本人がカタルーニャをより理解するために
テレビ・映画等のロケーションへの協力、および
日本版“サン・ジョルディの日”キャンペーン協力等
よろしくお願いいたします。



ご存知のこととは思いますが、
今、日本は相変わらずの海外旅行ブームです。
「日本カタルーニャ友好親善協会」は、
この機会にわが国においてバルセロナを中心とした
カタルーニャブームを巻き起こそうと結束を固めました。


なにとぞ私たちの意図と熱意をご理解の上、
ご協力・ご協賛のほど、よろしくお願いいたします。


               1985年2月1日

      日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会
                竹村亞希子
                メンバー 一同


追伸:2月下旬に竹村亞希子が貴国の各機関の協力要請の為、
   バルセロナを訪問する予定です。尚、同封の写真は
   日本の首都、東京における“スペイン通り”です。


追記としまして、
バルセロナの地に支店または提携のある日本企業は以下です。

   (企業名を多く挙げたが、ここでは省略)


~~~~~~~~~~~~~~~


上記の文面をスペイン語に訳したものを大量に用意した。



 5.広告代理店探し


さて、日本でイベントを実現させるためには、
どうしても広告代理店が要る。
しかし、日本最大手の広告代理店である電通に打診したが、
全く相手にされず、一笑にふされてしまった。

※後日談として、
実現した後、電通社内でこの時の対応が大問題になったらしい)


でも、へこたれなかった。


1985年1月下旬。  
名古屋に本社をおく新東通信という広告代理店があり、
イベントで知り合ったばかりの社員を思い出した。
新東通信で企画&デザインを担当していた赤澤好雄氏。


彼曰く
「その話、うちの社長なら絶対に乗るよ」

  
1985年2月初旬。
新東通信社長(現在は会長)谷喜久郎氏に会った。


谷氏:「あんたは“サン・ジョルディの日”を見たのか?」


竹村:「いいえ。私は海外へ行った事はありません。
    でも、バルセロナへ旅した知人と
    バルセロナに住んでいる日本人に聞きました」


谷氏:「聞いたことがないが、本当にあるのか?」


竹村:「今月末に協会の準備委員会として訪問してきます。
    そして、今年の4月23日の“サン・ジョルディの日”に
    協会として正式に視察訪問するため、
    州政府から協会宛ての招待状を出すように要請します」



人の出会いって 面白い。

「実現させるために 一緒にやってくれませんか?」

と聞いた私に谷氏は

「ああ、いいよ。おもしろい」。

続けてこう言った。


「ただし、あんたの成果次第だ。
 その招待状を貰ってきてからな」

  
さすが、創業者のやり手社長である。


 
やっと、友好親善協会の会員が3名になった!
これに勇気を得て、肩書のついた
「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会・委員長」の名刺と
「エッセイスト・竹村亞希子」の名刺の両方を持ち、
私にとって初めての海外旅行であるスペインへ旅立った。


     続く



【サン・ジョルディ伝説】

スペイン・カタルーニャ州に中世から伝わる物語。
サン・ジョルディは、魔物から村を守り、姫を救った勇気ある騎士。

剣を一突きで魔物を打ち倒した時に血から真赤なバラの花が咲き、
男性から愛する女性に愛の証しとして赤いバラを捧げる習慣が生まれました。

一方、女性は愛する男性に本を贈ります。
サン・ジョルディが愛と知性の象徴であるため、シェイクスピアや
文豪セルバンテスの命日が4月23日であることから、
本を贈るようになったといいます。

(赤いバラに青い麦の穂を添えるのは、若い力、エネルギーを
象徴しているとともに子宝に恵まれるように・・・
という願いがこめられている、という説もあります。)


『サン・ジョルディの日』顛末記
6.情報提供者を本気にさせる!
7.天才的「詐欺師」?!
へ続く。
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