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【亞】の玉手箱2

【亞】の玉手箱2

小林五月~日本最高のシューマン奏者

☆★☆小林五月公式サイト☆★☆
     プロフィール、CDその他の情報 ↑クリック!

インタビュー!
「クラシック・ニュース」ピアノ:小林五月によるシューマンの世界!
https://www.youtube.com/watch?v=HOTWqfL1R0o&feature=youtu.be

「2011年を振り返る」という特集の中の「国内盤ピアノCDベスト5」コーナーで、
小林五月さんの「幻想曲」のCDがベスト1に選ばれました。 

2012


月刊「ショパン」2011年12月号では、
「2011年を振り返る」という特集の中の「国内盤ピアノCDベスト5」コーナーで、
小林五月さんの「幻想曲」のCDがベスト1に選ばれました。 
 
2011年国内ピアノCDベスト1



        ☆★☆


小林五月リサイタル.JPG


        ☆★☆


小林五月 ピアノリサイタル
シューマン・チクルスVol.7
Robert Schumann Zyklus Vol.7
2011年 3/30(水)pm7:00
東京文化会館小ホール


        ☆★☆


小林五月 ピアノリサイタル
シューマン・チクルスVol.6
Robert Schumann Zyklus Vol.6
2010年 2/9(火)pm7:00100209pf
東京文化会館小ホール


    ↑

上記のリサイタルに関して
音楽ジャーナリストの門馬義夫氏ブログ評
________________________________
シューマンを超えるシューマン?
プログラミングの妙に感嘆!
小林五月ピアノリサイタル(2/9)

昨2/9の小林五月のシューマン・チクルスは、生誕200年に第6回。
いつにもまして会場は完全なまでに静まりかえり、
彼女の腕が鍵盤からはなれ、足先がペダルから離れて
響きが全く消えるまで拍手はひかえられた。↓
http://musicalacarte.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-38f7.html
聴衆がシューマンに飲み込まれたかのようだった。
------
☆門馬義夫☆



        ☆★☆


小林五月ピアノ リサイタル
シューマン生誕200年記念~魂にふれる心の煌き~

        ↑ クリック!

小林五月1008.JPG

五月2.JPG


「シューマン連続演奏会 第6 回を開催するにあたって」
         小林五月
 わたしにとって、シューマンを演奏することはある種、自分の心根(こころね)をえぐり、さらけ出すことでもあります。「シューマン生誕200 年」にあたる第6回目には、いよいよ彼のピアノ作品では絶頂期の代表作であり、
クララへの思慕と感情が最高潮に達した「クライスレリアーナ」を取り上げます。
 そして前半には夢、憧れ、幻想に真実の世界を追い求めていった「子どもの情景」と「アラベスク」、そして秀作「森の情景」のヒントあるいはキーワードにも感じられる「4つの行進曲」を並べてみました。 
 わたし自身のオリジナリティーをこの「シューマン・チクルス」によって全身全霊ぶつけてみたいと思っています。


小林五月 Profile

東京生まれ。桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部をともに
首席で卒業。ピアノを故富本陶、故井上直幸、柴沼尚子、故エディト・ピヒ
ト=アクセンフェルト、故ジョルジュ・シェベックの各氏に師事。室内楽を
三善晃、林光、末吉保雄、岩崎淑、安田謙一郎、店村眞積、中川良平の各
氏に師事。これまでに国内主要コンクールにて上位入賞を果たす。2001
年、デビューアルバム「シューマン:クライスレリアーナ、フモレスケ」
(RECA-1001)をリリースし “ 正統にして自在―眩いオーラを放つ、ピア
ノ界の大器” と評された。2003 年にはALM RECORDS より「ムソルグ
スキー:展覧会の絵(他にベルク:ソナタ、ドビュッシー:2つのアラベス
クなどの小品を収録)」(ALCD-7073)、さらに「ベート―ヴェン:ソナタ
集~月光、田園、第30 番」(ALCD-7084) をリリースし、ともにレコード芸
術誌の推薦盤となった。2005 年からはシューマンのピアノ独奏曲全曲演
奏会「シューマン・チクルス」を開催し、シューマンの精神に肉迫する大胆
な演奏は音楽界で大きな評判を引き起こしている。同時にCD 収録を並
行して行うという意欲的なプロジェクトに挑んでおり、第一弾となる「ダ
ヴィッド同盟舞曲集~シューマン・ピアノ作品集I」(ALCD-7097)は「レ
コード芸術」誌の推薦盤となった。2006 年5 月にはイタリア、ヴィチェン
ツァにある世界遺産であり世界最古の屋内劇場「テアトロ・オリンピコ」で
リサイタルを開催し大成功を収め、同年8 月リリースの「謝肉祭~シュー
マン・ピアノ作品集II」(ALCD-7105)はクラシック・ジャーナル誌で最
高の三ツ星推薦盤、レコード芸術誌では特選盤となった。NHK-FM「名
曲リサイタル」、NHK-TV「ぴあのピア」等の放送番組にも出演。さらに、
2007 年7月リリースされた「ピアノ・ソナタ第1番/第3番~シューマン・
ピアノ作品集III」(ALCD-7115) はレコード芸術誌で特選盤を獲得、同
誌「レコード・アカデミー賞」器楽部門にノミネートされた。2008 年リリー
スした「幻想小曲集~シューマン・ピアノ作品集IV」(ALCD-7121)、最
新盤CD「シューマン・ピアノ作品集V」(ALCD-7131)も連続して特選
盤となる快挙を達成。また2009 年12 月には大阪シンフォニカー交響楽
団特別演奏会においてシューマンのピアノ協奏曲を共演。いま最も輝いて
いる実力派ピアニスト。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~satsuki-klavier/


ドイツ的な伝統を踏襲しながら四望開豁たる
地平を切り拓く、シューマンの魂に迫るアプローチ


シューマン生誕200年を迎えるメモリアル・イヤーに、小林五月の「シューマン・
チクルス」が6回目を迎える。
 これまでも小林は、シューマンの心情を綿密に追い、深い譜読みから映し出さ
れる心象風景を、零れるようなみずみずしいロマンを湛えて精緻に、そして鮮やかに綴ってきた。それはドイツ的な伝統を踏襲しながら四望開豁たる地平を切り拓く、シューマンの魂に迫るアプローチでもあった。
 そして今回、道行く中でのひとつの集大成と呼べるような作品たちが選ばれた。その格別な作品たちが内包する複雑な表象や馥郁たるイマジネーション、目眩めく官能と神秘性、そして精神性に至るまで、小林は詩情溢れるファンタジーとして見事に織り上げるに違いない。そしてシューマンの霊感と想像力は、小林の個性をもって抗し難い絶美へと昇華していくのである。
 これぞ、小林五月渾身のシューマン!そしてすべてはシューマンが見た夢に溶
けていく。
真嶋雄大(音楽評論家)
★2009 年2 月演奏会評より


(前略) 通じて、シューマン音楽の大きな流れをよく捕えておりテンポの保ち方などとともに陰影と色彩感のコントラストが聴きものだった。「夜想曲集作品23」では4曲の性格を見事に色分けしての音楽表現。細やかで繊細な神経を使いつつの演奏には夜想曲独自のロマンがある。3 番のアルペジョも美しく4 番の音楽構成も印象的だった。後半は「交響的練習曲作品13」。ここでは、確かに管弦楽的な効果を大きく打ち出すことに成功しており、ピアノの域を超えたダイナミックな表現の中にも実に緻密な表情をみせつつ主題以下17 の練習曲と変奏を進めていったのは何とも立派であったし、音楽の多様な変化がうまい相互関係で色づけられ、ペダリングの効果も大きく成果があったように思えた。大きなシューマンの世界を表出し生き生きとした音楽をたっぷりと聴かせたのは全く見事。
●家永 勝 (音楽現代2009 年4 月号)


(前略)彼女のシューマンは、本質的に楽曲の正統的な把握の上に成立している演奏であるが、めったにないイマジネーションの豊かさがあり、それがコントロールされたテクニックやゆるぎない集中力の持続などとも相俟って、独特の強力で輝かしい表出力を生んでいる。彼女のシューマンを「オーラの強い演奏」と評する向きもあるようであるが、それは確かに的を射た喩えであると考えてよいだろう。一方、当夜の3 曲はどれも、彼女が作品をしっかりと自己の手中に収めていることが明らかな熱演であり、そこでは、表現の格調の高さが、一種独特の渋みや豊かな情熱のほとばしりと混然一体となっている様相が浮き彫りにされていた。また、作品の細部に至るまで熟考された彼女のアプローチも、このピアニストの“ シューマン弾き”としての強い自覚を感じさせるものであった。
確かに実力派といえるピアニストであり、今後より一層の活躍を期待したい。
●柴田龍一 (ムジカノーヴァ 2009 年5 月号)


(前略) はじめの「スケルツォ~」を聴いても小林の演奏はあくまでも自然体で、作品そのものに音楽を語らせようとする趣が強い。シューマンのように私的な心の発露としての意味を持つ作品では、演奏者の個性よりもこのような客観性が必要な場合もある。しかもその点で小林はきわめて鋭敏ですぐれたセンスの持ち主といえるだろう。「夜想曲集」もその演奏には常に張りがあり、第4 曲など実に美しかった。一方、「交響的練奏曲」は、5 つの遺作変奏付の改訂版で演奏された。ここでも小林は美しく研ぎ澄まされて芯のしっかりした音でもってスケールの大きさを打ち出そうとしていて、彼女が感じたあるがままの音楽が披瀝されていた。(後略)
●野崎正俊 (ショパン 2009 年5 月号)


★小林五月CD「交響的練習曲~シューマン ピアノ作品V」
(前略) ゆったりとした足どりで弾き出される主題以下、各変奏を連ねていく呼吸、それぞれの彫琢と情感注入の見事さが、いつしか聴き手をこよない世界へと運び込んでしまう。細部にわたる精度の高さ、それにも増して刻々と伝えられる感動の真摯さ、深さによって、この盤は古今の名演に少しも劣らない。
●濱田滋郎( レコード芸術2009 年5月号/ 推薦・レコ芸特選盤)


(前略)興味深いのは《交響的練習曲》で、小林五月のシューマン・シリーズ中最も個性的な演奏である。(中略)たとえば遺作4は、これまで聴いたことがないほど地平線の広がりを感じさせて感動的だ。いずれにせよ、この鮮やかなピアニズムと堂々とした風格と個性の際立ちは特筆に値する。
●那須田 務(レコード芸術2009 年5 月号/ 推薦・レコ芸特選盤)


(前略)「間奏曲」では明瞭な打鍵が際立っており、高まる感情を十分に描きながら、絶妙なバランスで透明性をキープしている。「交響的練習曲」も同様で、さらには全体の流れを考慮しつつ、第3変奏曲(第4 練習曲)の踏みしめるような独特なテンポに現れているように、1曲1曲をじっくりと愛でているのが特徴だ。オイゼビウス的な曲も脆弱にならず、遺作第5 変奏に典型的なように、たっぷりの余韻の中にきらきらと輝く音色を舞わせ、夢のような世界を作り出している。没入しつつも知的な設計を失わない名演で、シリーズ中でも特に優れた出来。
●松本 學(CD ジャーナル2009 年4 月号/ 今月の注目盤)


        ★


レコード芸術6月号「現代名盤鑑定団」(2010年)

『深く大胆なる同化。小林五月のシューマン』
として、大きく取り上げられました。


1
2
3


        ★


「謝肉祭~4つの音符による小さな情景 作品9」に見る
シューマンのトリック
              ピアノ専門誌「レッスンの友」より

小林五月(ピアニスト)

シューマンのピアノ曲の中で「仮面舞踏会」を題材にした作品といえば、彼が少年時代から心酔していたドイツ・ロマン主義作家、ジャン・パウルの小説からインスピレーションを得た「パピヨン(蝶々)」作品2(1829~1831年)、そして「謝肉祭」作品9(1834~1835年)、さらに「ウィーンの謝肉祭の道化」作品26(1839年)が挙げられます。それらの作品の中でも「謝肉祭」は、各曲に具体的な標題が付けられることで仮面舞踏会での情景描写が明確になっていることから、シューマンの幻想的なロマンティシズムを感じ取り易いポピュラーな作品として親しまれています。
ところで、「謝肉祭」が生まれたきっかけとなったのはボヘミアのフォン・フリッケン男爵の令嬢、エルネスティーネとの恋愛でしたが、彼女の故郷はドイツ国境近くのアッシュ(Asch)という町で、シューマンはその綴りが自分の名前(Schumann)にも共有されていること、そしてそれらが音名(A[イ],S=Es[変ホ],C[ハ],H[ロ])になる字ばかりであることに気付き、湧き上がる興奮を抑えきれず夢中で作曲したと言います。
この音名こそが、この作品の副題に付けられている「4つの音符による小さな情景」の仮面の正体(スフィンクス)であり、この4つの音符を作品全体の基本動機として扱った点がまさに、若きシューマンが理想としたロマン主義精神への憧れと言っても過言ではないと思います。
さっそく作品の全体像から眺めてみましょう。21の変奏曲形式で構成された小品に登場する個性的な人物たちが次々と意味ありげな事件を巻き起こしていくのですが、舞台背景が「謝肉祭」という“非日常”のお祭り騒ぎの中の出来事であること、変奏曲の書法が、変装によって正体を隠す仮面舞踏会に通じていること、そして音楽自体が起伏に富んだ連なりであることが、弾き手も聴き手もどこか心落ち着かない気分・・・そう、ちょっとした連続推理小説を読んでいる時の、あのハラハラドキドキした気持ちにさせてくれます。
第1曲「前口上」。仮面舞踏会の招待客たちは高揚感に心躍らせ開宴を待ちます(譜例1)。これから宴が始まろうというとき、古典喜劇の道化役者、第2曲「ピエロ」と第3曲「アルルカン」が謎の4文字(ASCH)を掲げ、思わせぶりな身振り手振りでもってユーモラスに踊ります(譜例2,3)。そして、うっとり憧れに満ちた第4曲「高貴なワルツ」が流れてきて、いよいよ仮面舞踏会の幕開けです。
最初に登場するのはシューマンの分身、第5曲「オイゼビウス」と第6曲「フロレスタン」(譜例4,5)。ここで面白いのは、「フロレスタン」の曲で作品2の「パピヨン」のテーマが回想されていますが(譜例6)、それをかき壊すようにして踊るフロレスタンの心の動揺が伝わってきます。作品2の「パピヨン」といえば、ヴァルトとヴルトの双子の兄弟が仮面舞踏会で憧れの女性ヴィーナの愛を確かめ、彼女の選んだ相手はヴァルトだったというストーリーですが、シューマンが「フロレスタン」にこの「パピヨン」を引用した意味が、続く第7曲「コケット」と第8曲「応答」で明らかになります。
思想家オイゼビウスと情熱家フロレスタンが自らの個性を幻想的に披露したあと、酒気を帯びた娼婦「コケット」がおぼつかない足取りで二人の間をふらふらと踊りますが(譜例7)、「応答」で彼女が寄っていったのはオイゼビウスでした(譜例8)。つまりシューマンは、フロレスタンの脳裏によぎった『自分もパピヨンでのヴルトと同じ結果になるのでは…』という不吉な予感を我々に暗示させたかったのと同時に、「パピヨン」で登場したヴァルトとヴルト、ヴィーナを「謝肉祭」のオイゼビウスとフロレスタン、娼婦コケットに当てはめ投影させることにより、人間の秘め持つ繊細で複雑な二面性を漂わせたかったのではないかと思います。
さて、いよいよ次にこの作品の副題「4つの音符による小さな情景」の正体が暴かれます。普通こういったモティーフというのは、作品の冒頭か最後、あるいは下欄に小さく注釈として書かれるのが一般的であるのに、シューマンはこの「スフィンクス」を他の曲と全く同じ大きさで第9曲「パピヨン」の前に置き、しかも暗号めいた音符で表記しています(譜例9)。『この作品の背景には3種の音列が隠されている』という暗示的な意味合いを込めてこの場所に置いたと思われますが、にもかかわらず同ページの下欄には小さく「演奏しないように」と注釈が書かれてあり(実際クララは演奏しなかったと伝えられています)、この相容れない“矛盾”したところにも、シューマンの深遠なロマンティシズムを窺うことが出来ます。
ところで、このスフィンクスは現在では「演奏されるべきだ」という意見が多く、私自身もそう考える一人です。たとえば私の場合、1オクターヴ上と下に音を増やし3声のユニゾンで演奏しますが、このスフィンクスは弾き手の感性とイマジネーションによって、ある程度自由に弾かれていいと思っています。大切なのは、この3種の音列が思索的に提示されることにより、スフィンクスがこの作品全体の鍵を握るものであると弾き手が再認識すること、そして聴き手もまた、それにより何かしらの予感を抱いてくれること。弾き手も聴き手も一緒になってスフィンクスの謎解きをし、この先ストーリーがどう展開するのかを推理していく面白さ、いわゆる“劇中劇”の中で体験しているような気分が味わえるのも、この作品の醍醐味ではないでしょうか。
続く第9曲「パピヨン(蝶々)」。ここでのパピヨンは作品2のそれとは音楽的には全く無関係ですが、スフィンクスの音列を使って、羽ばたき飛翔する蝶々の様子が描かれています(蝶々は、ロマン主義精神では魂または理想の象徴とされ、夕暮れ時から夜に飛ぶ蝶々のことをスフィンクスと呼びました)。第10曲「A.S.C.H.-S.C.H.A.(踊る文字)」。夕闇に羽ばたく蝶々に触発されたのか、スフィンクスは何かにとり憑かれたようにはしゃぎ飛び跳ねます(譜例10)。まるで、次に登場する3人の音楽家を待ちきれないかのように。
第11曲「キアリーナ」。才気溢れるクララがひたむきに演奏している姿が描かれ、第12曲「ショパン」ではノクターン風なスタイルでショパンに敬意を表し、第13曲「エストレッラ」ではかつての恋人エルネスティーネに感謝をします。
第14曲「めぐりあい」。謝肉祭のお祭り騒ぎの中で昔懐かしいひとに出会ったのか、右手の連打が心揺れ動く感情を繊細に表現しています(譜例11)。第15曲で再び古典喜劇の道化役者の登場、こんどは「パンタロンとコロンビーヌ」です。年老いたパンタロンが、アルルカンの恋人・コロンビーヌを追いかけ回している様子が描かれています。
第16曲「ドイツ風ワルツ」と第17曲「パガニーニ(間奏)」。優雅なワルツに誘われ登場したのは、驚異的なテクニックで観客を沸かせるヴァイオリンの名手・パガニーニ。ここでシューマンは極めて幻想的な指示をしています。間奏パガニーニから再びワルツに戻る直前、sfで4回打ち鳴らされるf-mollトニック和音上に重なるpppのAs-durドミナント和音のなんと繊細な!まるでガレットの生地の上にふわっとホイップクリームを乗せたようです。この部分は、想像力を働かせた弾き手のイマジネーションと耳でもって、指先とペダルのコントロールに細心の注意が払われるべきであり、ピアノという楽器を借りたシューマン特有の詩的で斬新な表現手段の一つでしょう(譜例12)。
 第18曲「告白」。短い曲の中にも恋人たちの秘めた想いが感じられます。続く第19曲「プロムナード」。先ほど告白をし合った恋人同士が歩いている姿が描かれていますが、この曲では作品6の「ダヴィッド同盟舞曲集」の3曲目のモティーフが引用され(譜例13)、この作品の終結が近いことを暗示しています。
 第20曲「休息Pause」。題名の持つ印象とは矛盾し、まるで早送りでもするような急速なテンポで第1曲の部分を回想したのち、第21曲「ぺリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進」が現れ、シューマンはこの終曲で初めてこの作品全体の“トリック”をお披露目します。
羊飼いダヴィデが異教徒ぺリシテ人と戦い首領である巨人を討つという旧約聖書の話から、俗物知識人をぺリシテ人になぞらえ、真の芸術を求める架空のロマン主義団体(自分の分身であるオイゼビウスとフロレスタンを中心としたこれまでの登場人物)をダヴィッド同盟員として、芸術のわからない俗物知識人に対して戦いに挑みます。しかも、スフィンクスの音列を使ったダヴィッド同盟員の行進は4拍子でなく3拍子という、ここにまたしても矛盾が…!?(譜例14)にもかかわらず、余りに堂々とした歩みに矛盾も消し飛ばされ、次第にテンポが上がり、いよいよ開戦です。
やがて現れる左手バスの旋律は、作品2の「パピヨン」終曲にも引用されているドイツの俗謡「祖父の踊り」で、会のお開きによく歌い踊られたと言われていますが、シューマンはこの俗謡を『17世紀の主題』と楽譜に記し、“音楽のぺリシテ人”としました(譜例15)。
ダヴィッド同盟員たちは第1曲モティーフ(譜例16)を武器にぺリシテ人と戦います。あたふたと逃げ回りながらも粘るぺリシテ人。二つのモティーフが交互に姿を現したのち、再び第1曲のモティーフによりぺリシテ人は完全に敗退。第1曲Coda(譜例17)の部分を回帰させることにより、ダヴィッド同盟員の勝利で幕を閉じます。
この華々しいダヴィッド同盟員の勝利は即ちロマン主義の勝利であり、まさにロマン主義を賛美・謳歌するものです。
幾度かの変身により優雅に飛翔する蝶々(パピヨン)・・・一方、蝶々のように飛ぶことの叶わない自分自身――けれど、仮装でかりそめの姿に変えられる仮面舞踏会に理想と魂の象徴である夕方の蝶々(スフィンクス)を清らか高らかに羽ばたかせた・・・ここに、音楽作家シューマンの幻夢想的なトリックを見たような気がするのです。


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