テーマ:愛しき人へ(908)
カテゴリ:家族と親戚の人々
私と同じウサギ年のおばあちゃんは生きていたら79歳 そのおばあちゃんの最期は悲しかったけれど 悔いなく看護できたという思いが家族にあったので しみじみと死を受け入れるという雰囲気がありました 今日は、おばあちゃんの最後を謳った『れもん』を読み返してみて 時の癒しというものがあるんだなぁと 懐かしいような気分になりました レモン色の涙 大好きなおばあちゃんが死んだのは、大学1年の初夏でした。 肝臓ガンで手術と入院を繰り返していた祖母は どんなに辛い手術にも泣き言ひとつ言いませんでした 春の終わり頃には、黄疸が強く出て腹水もたまり いよいよ末期的な段階に入りました 回復の見込みがないのなら 『せめて、自宅で安らかに眠らせてあげたい』 と、家族の誰もが願い 入院していた赤坂の虎の門病院のスタッフの協力を得て 自宅療養をスタートさせました。 居間にダブルベット置いて、夜は交代で添い寝をしました。 暗い部屋で祖母の隣で寝ていると、 いつか、この寝息が止まってしまうのではないかという不安で 胸がチリチリと痛くなりました。そして、 『 なぜ、善良な祖母がこんなに苦しまなければならないのか・・・』 という、怒りさえこみ上げてくるのでした。 ある日、祖母の身体をさすっていると、小さな声で何かつぶやきました。 そっと、耳を傾けると、 『 いつまでつづくんだろう・・・・ 』 小さな小さな声で、そうつぶやいたのでした。 祖母の目に涙が浮かんでいました。 つつうと一筋糸をひいてこめかみまでくると、その涙が耳たぶに落ちました。 黄疸のために、身体も爪も瞳さえもレモン色に染まっている祖母・・・ その祖母がポロポロと流す涙も、きれいなきれいなレモン色をしているのが 私をいっそう切なくさせるのでした。 それから数日後、祖母はまさに眠るように亡くなりました。 夫と子供、孫達に見守られて、住み慣れた我が家での静かな旅立ちでした。 今にも声を立てて笑い出しそうな、微笑さえ浮かべているその顔を見ていると きっと、幸福な人生だったのだと思いました。 そう思うと、少し救われたような気持ちになりました。 ランキング参加中です。応援クリックお願いします♪ ・ + ・ + ・ + ・ 暇があったらあんずの本館にも寄って下さい ・ + ・ + ・ + ・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017/03/10 06:25:38 PM
コメント(0) | コメントを書く
[家族と親戚の人々] カテゴリの最新記事
|
|