はじまる前のあの頃から
一体どれだけのものを手にいれただろう
そして新しい一年がはじまる
またどれだけのものが手に入るのか
限りなく続いていく可能性に期待している
「ナナちゃん、早よー早よー!」
彼があたしを呼んでいる。
「ちょっと待ってよ、えっと・・・。」
あたしはバタバタと走りながら、
用意してきた書類をあわててさがしていた。
籍をいれるのだ、信じられない。
印鑑を落としそうになりながら、封筒から紙を出し、
うるさく催促する彼に渡した。
「そうそう、この字ぃ。俺が惚れた字や。」
たったその程度の、数少ないあたしの情報で、
彼はあたしをつかまえに来てくれたのだ。
この距離でこの期間で。
嫁にくる決心をしたあたしもどうかしている。
「愛してるで。」
まっすぐにあたしを見る力強い瞳に揺るぎのなさを感じ。
「それはどうも。」
あきれたふりをしてため息をついた。
もちろん心の中では、
あたしもよ。
なんて思いつつ。
「わ〜すごいことになっちゃったねぇ。」
毛だらけのお風呂場を覗き込んで、
あたしは彼がちゃんと掃除してくれるのか心配した。
「あなたの息子さんの毛でしょ?」
床屋のプライドを傷つけられたのか、
彼はすこしムッとしながら嫌味をいっている。
一緒に入ったついでにと、はじめた散髪だったけど、
裸で暴れる二歳児のカットは相当大変だったようだ。
「でも、髪型かっこよくなってるよ、ありがと。」
湯船ではしゃぐ子供の頭なんて、
本当のところはよくわからないけど、
とりあえずそういってお礼をのべた。
「またやらそうと思ってんな〜。」
すこし唇をとがらせて、
彼がとびちった髪をシャワーで流しはじめる。
独身のはずの彼なのに、
そうやって一緒にお風呂なんてはいってると、
すっかりお父さんみたいに見えるからすごい。
「”アイ”?」
ぼんやりと湯気の中を覗いていたあたしに、
彼が懐かしい名前を口にした。
「・・・なに?”ボス”。」
誰も知らない暗号のようにときおりそんな風に呼びあう。
奇跡のような偶然が重なって、
運良く出会えたのだとあたしは思っているのだけど、
そんなことはないという彼の、
根拠のない自信は一体どこからくるのだろう。
広いお城の庭。
テスがゴテゴテしたドレスを手でたくし上げながら、
塀を登ろうとしていた、
忌々しげな様子は、今にもそれを脱ぎ捨ててでもしまいそうだ。
「テス!なにやってんだよ!」
王子のタイミルがちょうど馬にのって帰ってきて、
その彼女を見つけた。
あわてて馬からおりて、
塀にぶらさがってしまっている彼女を両手で抱きとめる。
「離してよ!」
タイミルは王子なのに、テスに足蹴にされ、
もっというと顔面にも蹴りをいれられてたりしていた。
「と、とりあえずおりろって!」
もみあっているうちにテスの手が壁からはなれ、
二人はもつれ合いながら草むらに転倒する。
「ちょっと!なにすんのよ!」
せっかく乗り越えようとしていたのを止められたので、
ただでさえ機嫌が悪そうだったテスは、
ますます怒りがましたようだった。
あばれる彼女を抑えようとしたタイミルの胸をつきとばし、
するどい目で睨むと、
「“なにが刺繍やねん!ダルーてやってられるかいな!”」
すっかりマスターした彼の国の言葉で言い放った。
発音すらも完璧だった。
建物のほうからゲラゲラと笑う声が聞こえて、
タイミルの父である王様の声で、
“尻にしかれとんかー”
なんて聞こえている。
「別に刺繍なんておいとけよ、服も、好きな服着ればいい。」
つぶやくような声で頭をかきながらタイミルが言った。
「”絶対やな?”」
彼女が聞くと。
「ああ。」
タイミルは答えたあとで、
「お前、俺より地元言葉だな。」
と続けたので、今度は顔面でなくハラに一発、
グッと堪えて息が出来ないほどの蹴りをテスに食らわせられていた。
夢の中であたしは、どこか遠くへ行こうとしている。
荷物はもう持ち出さずに、会社も無断で辞めた。
いつもそれでばれてきたから、今回はさすがに大丈夫だ。
誰にもみつからないように、いい天気の青空の下、
どこまでも、ただひたすら遠い場所へと向かう。
やがて電車をおりて、これほどまで離れたのだから、
もういいだろうと思っていると、
「クレハ。」
と呼ぶ声がして、
「忘れてるよ。」
なんていいながら、カズくんがなにか持って走ってきた。
(ハンカチとかそういうものだった。)
「・・・・・。」
あたしがジッとみていると、
あたしの”行方をくらませたい”という意思を尊重してくれて、
「じゃあ。」
と手をあげて、どこかへ立ち去ってくれたのはいいけど、
植垣に隠れたところでワン蔵の吼える声が聞こえていて、
シンとの話し声なんかもしている。
あたしは仕方がないので、もう一度電車に乗ろうと思って、
駅のベンチに座ると、
隣には新聞を広げて読んでいる諌山さんが先に座っていた。
「クレハ、せっかくだから今日はこの辺で泊まってくか?」
穏やかな口調。
あたしはおかしくなってしまって、少し笑った。
これではちっとも行方不明にはなれない。
「どうしたの?」
目を開けると、カズくんがあたしの顔を覗き込んでいた。
諌山さん家のベットの上、
もちろんワン蔵の声もしているし、
シンと諌山さんも向こうにいるようだ。
「クレハ、今笑ってたんだよ?」
カズくんの口から自分の状況をもう一度説明された。
もちろんわかっている。
あたしは夢の中でまた、いつものように、
ややこしくなってきて、逃げようとしていたのだ。
外は夢と同じとてもいい天気で、
まだ少し寒いけれど、どこにだって行ける。
あたしは自分が行きたい場所にいくのだ。
誰にどう思われようとも。
「なんか楽しかったの?」
カズくんの優しい口調を聞きながら、
わざわざ立ち去らなくても、もういいのだと思った。
「・・・あのね。」
少しまどろみながらも、彼の顔がどう変化するのか確かめていた。
「ん?」
言葉を切ったあたしに、シンも近くまでやってきてくれる。
ますますおかしくなってくる。
諌山さんは?彼はどんな顔をするだろう。
遠くのソファーで、
夢の中と同じように新聞を読んでいる諌山さんをさがす。
「どうした?」
目があうとすぐに立ち上がってきてくれた。
あたたかくて居心地のいい場所に包まれながら、
あたしは、
「赤ちゃんできたみたいだよ。」
と言った。
あたしが居たい場所は、わざわざ移動しなくても、もうここにあった。
今絶対寝てる
夢にはいって邪魔してやるんだから
あたしもその胸で眠りたいのに