|
|
|
|
| HOME | Diary | Profile | Auction | BBS | Bookmarks | Shopping List |
|
青い月18の日記 [全375件]
前回のエントリーで足首が痛いって書きましたが、 何日たっても痛いので整形外科に行ってみたら、 靭帯がぶち切れてました。 今日はその時に行った、ちょっと気に入らない整形外科のお話。 病院に行ったのは午後12:00ジャストぐらい。 「午前中の受付は12:00までなんですよね。」 と受付の人。 「役所じゃあるまいし、そこをなんとか。」と僕。 でもココの院長の兄は県会議員(笑)。 「特別ですよ。」と恩着せがましく受付。 すぐに婦長さん?らしき看護師さんの問診。 あの、、婦長さん、、 そんなに目の前でしゃがむから、 問診中、ずっとパンツ丸見えでしたから。。 そしていきなりレントゲン。 その後、診察室へ呼ばれる。 院長がレントゲン写真を見てから触診。 院長:「ココ痛いですか?」 僕:「ソコ痛いです。」 院長:「レントゲンでは分かりませんからCTを取りましょう。」 僕:「そりゃ骨折じゃないからレントゲンじゃわかりませんよ。 レントゲンが無駄じゃないですか。先ずは先生に触診していただきたかったです。」 院長:「ウチではこういう手順でやってます。 それに受付時間がギリギリだったので、すみませんけど。」 納得はできないけど、こんな話で時間を無駄にしたくなかった。 院長:「CTは予約が必要なので、午後2時半にもう一度きてください。」 僕:「はぁ?その時間はアポが入ってて無理です。」 院長:「午後5時までですけど、今日中に来れますか?」 僕:「今日はもう無理なんで、改めて電話で予約してから来ますよ。」 僕は少しキレ気味だった。 院長:「たぶん靭帯が切れてるんぢゃないかと思うけど、 日数が経過してるから早めにしてください。」 「だったら今しろ!」出かかったけど、ぐっと堪えた。 そもそも最初にあんたが触診してりゃ、今頃はCTを撮ってたんじゃないのか? 僕はその日、シップの一枚ももらわず、1,160円を支払った。 そう、 無意味なレ・ン・ト・ゲ・ン・写・真のために。 翌日、時間を作ってから電話を入れ、再度病院へ行った。 以前からこの病院はあまり好きではないのだけれど、 比較的待ち時間が短いので、ついココに来てしまう。 待ち時間が短い理由は、だいだいみんな周知のことなのだ。 CTを撮り終え画像を見ると、 左足首の靭帯がすっぱり切れているのが、素人目にもはっきりとわかった。 院長:「あー、やっぱり切れてるねぇ。」 なんか腹立つ!このギョロ目! だいたい声が無駄にでかいんじゃ! その声量、この診察室内で必要か!? ギプスで固定するって言うから、 「いぃよ!」ってスリムクラブの真栄田張りに答えたけど、 膝から下を全て固められそうになったので、僕は驚いた。 想定外。 足首だけかと思たョ。 看護師さんに、 「ちょっと待って。それじゃ仕事できないよ。出張多いし、車運転するし。」 と言うと、 「どうしても出歩く人には、ギプス用のサンダルがあります。」と、 ベランダで履くようなサンダルを出された。 ネクタイに右足は革靴、左足はベランダサンダル・・・・・ う~ん、カジュアル~ なんて言ってる場合ではない。 僕:「いやいや(笑)、仕事用の車がオートマじゃないんですよ。クラッチ踏めませんよね?」 看護師さん:「ムリムリ、踏めませんよ。」 僕:「そもそも今穿いてるパンツも入らないんじゃない?」 看護師さん:「ん~、ギリギリってとこかな。」 僕:「他の方法はありませんか?」 看護師さん:「院長先生と話してください。」 結局、捻挫した人が足首を動かないように固定する器具を出してもらいました。 それで2~3週間固定するしかないとのこと。 「でも責任は持てませんよ。」と、院長は付け足した。 ロビーで会計を待っていると名前を呼ばれ、 行ってみると19,000円。 はぁっ? 俺ってオペでもしたっけ? 見ると山ほど薬を出されている。 僕:「何ですか、コレ?」 医療事務の子:「痛み止めと胃薬です。毎食後痛み止めを飲んでから、必ず胃薬を飲んで下さい。」 僕:「あのさ、今更痛み止めって。 先生にも言ったけど、靭帯を切ったのはもう2週間以上前なんですよ。 痛みを我慢はしてたけど、今まで普通に生活してきたのに今更必要だと思います?」 医療事務の子:「院長先生に聞いてきます。」 その後、薬は出しませんのでと言われた。 出しても出さなくてもいいようなものを、あんなに大量に出すってどういうことよ? 僕を薬漬けにしたいのか? 生憎僕は、薬飲まんもんねぇ。 酒は呑むけど(笑)。 病院での悶着話は以上です。 おもしろかったかな? 僕みたいに病院で意見する人は少ないのかなぁ。 ど~も、大きな声で威圧してくるような態度のヤツはすかんな。 まあ態度の問題ぢゃないけどね。 今日のお供は「LAPHROAIG(ラフロイグ)」。 ウイスキーです。 それでは、またね
突然ですが、ワイルドスギちゃんがわからない。。 なにが面白いの? 若い人には新鮮なのかな? 時代に乗れない あの程度の人、サラリーマンにいくらでもいそうなんだけど。 ネタ? まったく面白くないんだけどな。 少し前にいた「小梅太夫」とか、 わけのわからん「桜塚やっくん」とかと同じ臭いがプンプンするぞ。 好きな人は今の内に見とくことだな 昨夜は久しぶりに呑み過ぎた。 大阪から来た営業と居酒屋で呑んだのだけど、 彼はかなりの酒好きなのだ。 彼と呑むと、ついついいつもより多く呑んでしまう。 彼は生ビール2杯呑んでから、焼酎のボトルを注文。 呑みきりました 僕は生ビール3杯からハイボールへ。 やっぱり大衆居酒屋でウイスキーなんて呑むもんじゃないね。 クソ不味い。 たぶん一杯目はトリスのハイボールだったのだろうとけど、 まあ~クソ不味かった。 いきなり気分悪くなりそうな予感。 メニューを見ると、値段が倍以上するハイボールがあったので、それを注文してみた。 少しはマシになったものの、それでもクソ不味い。 店員さんを呼んで、ウイスキーのロックを注文。 ハイボールよりはマシだったので、これでいくことにした。 閉店まで呑んだ(AM12:00)。 意識ははっきりしていたが、 久しぶりに、本当に呑み過ぎだった。 一旦帰宅したのだが、 まだ何かが足りない感じ。 満たされない感覚。 女友達に連絡したら出てくるというので、 待ち合わせた。 一晩中遊んだ。 早朝6:30に帰宅。 7:30に出社した。 若い頃はへっちゃらだったのだけど、 今は流石にキツイ。 今日は仕事が捗らなかった。 ところで、足首がやたら痛い。 捻挫でもしたのだろうか? 昨夜僕が痛いと言っていたらしく、 今、女友達が心配してメールをくれた。 明日はヨーガに行くのだけど、 先生にはバレちゃうだろうなぁ。。 さぁ、 来週からまた心機一転、頑張りますか。 それでは、また
さて、帰ってきましたよ。 この日記の結末がどのようになるのか分かりませんが、 今、僕は、プレミアムモルツ片手に自分のPCに向かっています。 ただ一つ分かっていることは、 この日記を書き終えた後、 いつもと同じようにキッチンへ向かい、 大量の食器を洗うということです。 そう大量に。。 (誰か来た? 今日のことなんですが、 車で移動中にラジオを聴いていると、 パーソナリティーが病院に行った時の話をしていました。 とても頭にきたと、かなり興奮気味の様子。 なんでも、「風邪をひいたみたいなんですが。」と医者に言うと、 「はぁ?風邪?風邪ってなんですか? 風邪なんて病気はないんですよ。」 と、小馬鹿にした口調で言われたとのこと。 こういうなめた態度の医者、確かにいますよ。 思い出したのですが、 僕も若い頃に一度、同じようなことを言われたことがありました。 生意気だった僕は言ってやりましたよ。 『熱や咳、鼻水が出たり喉が痛くなったり、 世間一般ではこういう症状を風邪って言うんだよ。 てめえら医者は俺らの代わりに医学を学び、 治療する技術を習得してくれたから、 俺らはそれらの知識や技術を自分たちに使ってくれることに 敬意と金を払ってる。 てめえみてぇな態度のヤツに小馬鹿にされる筋合いはねぇし、 媚びるつもりもねぇぞコラ! 次来るまでに一般常識勉強しとけ!!』 と言い放ち、病院を後にしました。 僕が若かったので、 相手の医者は「ポカ~ン 弁護士にも同じようなことを言ったことがありますね。 頭でっかちの連中には、似たところがあるんですよね。 でもね、今ならあんな言い方はしないですよね。 これぢゃあ自分も同程度ぢゃないですか。 まぁ若かったからね。 あんな物言いをする医者や弁護士ってのは、 やっぱりその業界ではあまり認めてもらえなかったり、 自分自身に強い劣等感があったりするんだと思うんですよね。 今なら、 「医療の世界よりも医療以外の世界の方がずっと広い。 あなた方は医療の世界のスペシャリストなのでしょうから、 その世界の言葉で話すのではなく、 それ以外の世界で生きるの人達に通じるような言葉で話すべきではないですか? 自分の世界の言葉を強要し、知識をひけらかし、 知らないことを嘲笑するのは卑怯なことだとは思いませんか?」 な~んて、かっこつけて言うかな 逆にさ、例えばお店なんかで、 「俺は客だぞ!金払うんだぞ!」的なヤツにも気分悪くなりますね。 あと、「俺は旨いものを出してやってる!」的なヤツにも。 自分以外の人にはさ、 お金を払って何かをしてもらうか、 お金をもらって何かをしてあげるかのどちらかなのだからさ、 やっぱりお互いに敬意を払うべきだと思うんだよね。 九州の人の話を聞いていて笑いそうになるのが、 「あいつにめちゃくちゃ言ってやったぜ。」とか、 「俺ならカツンと言っちゃうよ。」とか、 「何年分まとめて思い知らせてやったよ。」とか、 年がら年中そんな話を耳にする。 こういう話ってさ、自分の恥部を見せてるようなもんだと思うんだよね。 劣等感や人間の小ささを。 でもそれを、やたら自慢気に話すんだよね。 あ、僕がその程度の人とばかり会ってるってことかな てか、僕も↑で言ってるね(笑)。 いや、あれは若い頃の自分を反省してるつもりだから。 明らかにそういった言葉を受け止めてやれる人の方が、 人として立派なような気がするけどね。 ま、僕も毒舌の方ではあるのだけど、 どうせ競い合うならさ、 人としてどのくらい成長できたかで競い合いたいものだ。 そろそろね。 毒舌はやめないけどね さあてと、 なんだか尻切れトンボな終わり方になってしまったけど、 そろそろ食器洗いでもしますわ、大量の。 そう、大量の 明日は朝からヨーガに行ってきますよ。 そろそろ『ヨガ・ファイヤー』伝授してくれないかなー。 それではみなさん、 ごきげんよう~
我が家では、食器洗いは僕の仕事。 どんなに遅く帰っても僕がします。 と言うか、 ウチの相方は家事があまり得意ではないのですよね。 整理整頓から掃除、 全て僕が先頭を切って始めなければ始まらない。 全て僕の指示がなければ動けない。 『それはあそこに収納すれば効率的なんじゃね?』 『それはあそこなら上手に収納できるんじゃね?』 『それはあそこに置けば色も合うんじゃね?』 『それはこう使えば活きるんじゃね?』 『あれはもう随分掃除してないんじゃね?』 都度、『なるほど。』と呟く相方。 自分で考える気がないようなのだ。 僕は勝手にモノを移動されて怒るようなタイプではない。 数年間はほったらかしておいたのだけど、 子供達の成長環境に悪いと思い、 一念発起して、自分が先頭でやりながら指示をしている。 僕にとっては、会社が2箇所にあるようなものだ。 僕と相方はもう何年も家庭内別居しているが、 勘違いしてほしくないのは、相方に対しての愚痴を言いたいわけではない。 相方は苦手なりに日々の家事をいろいろやってくれている。 それにはとても感謝している。 平日僕がやるのは食器洗いやゴミの分別、ゴミ出しぐらいだし。 ただ、もう少し自分で頭を使わないと、どんどんお莫迦になってしまうよと、 いわば心配しているのだ。 僕は若い頃の経験からか、 今日するべきことを翌日に繰り越すのが嫌いだ。 不良債権をかかえているようで、なんだかすっきりしない。 相方は全く意に介さないタイプのようだ。 健全に生きてきた証かもしれない。 そんなわけで僕は、どんなに遅く帰っても食器洗いをする。 帰ってからビールの普通缶を3本、 ウイスキーをロックで3~4杯やってからでもへっちゃらだ。 そう、僕は食器洗いが嫌いではないのだ。 これが洗う食器が無く、ただ呑むだけだと、 ビールの普通缶2本ぐらいで眠くなってしまう。 僕は上等な頭を持ち合わせていないので、 料理の足し算引き算、掛け算割り算はあまり得意ではないが、 洗い物程度なら結構使える。 相方は洗う側のことなど考える余裕をお持ちではないので(笑)、 シンクには、それはそれは様々な大きさ、形の食器や鍋が放り込んである。 先ずはそれをカテゴリー別に分類、 そして同形の食器に分類する。 その際に、大き目の鍋やフライパンは先に洗って収納するか、 油汚れが酷ければ中に水を張り、一旦別の場所に置いておく。 洗う順番を考える。 僕の場合、大き目の平皿類から洗うことが多い。 シンクの場所をとるし、水きりフードに立てて水を切りたいからだ。 先に立てておいた方が、水きりフードに他の食器を収納しやすいからだ。 大き目の平皿類を一通り洗ったら、 茶碗等他の食器類の上で洗剤を洗い流す。 他の食器類の汚れを落としやすくするためだ。 こいうった感じで洗う順番を考えながら、 水切りフードへ食器をどう重ねるかを考える。 これはもう、ちょっとしたパズル感覚(笑)。 同じ食器をぴったり重ねてしまっては食器と食器が密着して水が切れない。 かといってある程度は密着して重ねないと、水きりフードに食器が入りきらないことになる。 ここは腕の見せ所だ。 誰も見てないけど。。 水回りで一番厄介だと思うのは、やっぱり水垢なんですよね。 だから水はできるだけ切りたい。 僕の場合、洗う順番や食器を重ねる順番は、 最初にシンクの中の食器を分類した段階で決定してしまうことが多いけど。 こんな感じで洗い終わり、 ゴミ類を分別して捨て、 拭き上げたシンクやコンロを眺めると気持いいんですよね。 そのころには喉が渇いて、もう一本呑みたくなる(笑)。 以前何かで読んだのだけど、 『リラックス』とは頭と体が単純に連動しない、特殊な状態のことだそうだ。 単純に連動するというのは、頭が快活に働いていて、肉体も快活に活動している。 そして頭で考えている通りに肉体が動いている状態。 一方リラックス状態というのは、 例えば映画を観ている状態。 体はあまり動かず不快活状態、けど頭の中はめっちゃ快活。 頭で考えている通りに体は動いていない。 これが頭と体が単純に連動しない、つまり『リラックス』状態。 僕の場合、 食器洗いはリラックス状態なのかもしれない。 手は盛んに動いているけれど、 これはスキルとなってしまっていて、手が勝手に動いている状態。 肉体は快活に活動しているとは言えないし、 頭の中では今手元で洗われているものの事とは全く別のことを考えていることが多い。 頭の中は快活だ。 食器洗いでリラックスできるなんて、なんて幸せな男なんだろう(笑)。 因みに頭と体が単純に連動していないけれど、頭も体も快活な状態ならどうなるか? 僕は夜中にステッパー(上下だけのタイプ)なるもので、 負荷をかけて30分程歩くのですが、 歩きながら映画を観ます。 肉体も頭も快活状態、しかも頭と体が単純に連動していない状態で始まります。 これもリラックス状態の仲間かと思いきや、 ラスト10分ぐらいになるとかなり疲れてきて、 頭の中が映画20%、ステッパー運動80%ぐらいになってしまい、 映画の内容があまり入ってこなくなります。 肉体も頭も快活状態でのリラックスはムツカシイですな(笑)。 いや、 やらなくてもわかれよ 明日はヨーガお休みだ。 それではまた~
僕は毎週10個ぐらい、味付け玉子をつくる。 ゆで玉子ちゃんを作って、 みりん、醤油、酒、ニンニクなどでタレを作り、 1日~1週間漬け込むのだ。 ↓は2日目ぐらいのもの。 美味しそうでしょう? でも今回はちょっと失敗。 もうすこし半熟の方が良い。 これ、家族も大好きなんですよ。 ご飯にもあうし、ラーメンに入れてもよし。 酒のつまみにもまた良し。 一周間に10個は軽く消費しますな。 何が合理的かって、 この玉子を漬けたタレ、 これがなかなか使えるんです。 漬け終えたら玉子を全て出し、 続けて今度はブタのバラ肉を漬け込むんです。 これで簡易チャーシューが作れます。 簡易だからって侮るなかれ、これがなかなかどうして美味い!美味い! 酒のつまみに良いです。 もちろんラーメンにも入れます。 味に深みを出すにはもう少し手を加える必要がありますが、 十分に美味しく食せますよ。 更に更に、 簡易チャーシューを取り出したタレを、 納豆にネギをちりばめ、その上にかけて食べるんです これがまたなかなか美味い! ここまで使えば、味付け玉子のタレも本望でしょう。 ね、合理的でしょう? 味付け玉子のレシピは、クックパットなんかにもいろいろあるんで、 是非お試しを。 今日の僕は精神的に不安定で、 心がささくれ立っていた。 こういうときの僕は、目上の人間の行動がいちいち癇に障る。 目上や偉そうな人以外には、まったくそんな気分にはならないんだけど。 ま、僕の場合、相手はいつも社長なんだけどね 態度とか言葉にあからさまに出してしまうんだよね。 他人の行動ががいちいち癇に障る時ってのは、 自分に余裕がなかったり、自律神経系のバランスが悪かったり、 まあだいたい自分自身に問題がある場合が多いんだよね。 まだまだ未熟な私です んで、イライラ気味で運転していたんです。 狭い十字路の交差点で僕が車を停めると、目の前を小学生の男の子が横断しました。 今その男の子が出てきた方向にもう一人、 弟らしき小学生の男の子が立っていました。 先に道を渡ったお兄ちゃんらしき男の子が、 僕の方に向かって「ストップ!」と言わんばかりに手を突き出し、 弟らしき男の子に早く渡れと指示しています。 弟が横断し終えると、 お兄ちゃんが弟の頭を下げさせながら、 本人もいっしょに、僕に向かっておじぎをしてくれました。 こんなにっちっちゃな子供達が、 ささくれ立った僕の心に、 ほっこりと温かい炎を灯してくれました。 あ~、なんだか僕は、 とても恥ずかしくなりました。 おじさん、 こんなに吊り上がった感じの、 怖いサングラスしててごめんね 見知らぬ小さな少年たちに救われた、 情けない大人な一日でした。 少年達に感謝!
幸せに向かうために、 先ず自分以外のひとは(奥さんでも旦那さんでも)、 自分に気を遣うために生きてるのではないってことですよね。 考え方や趣味、価値観が違うのは当然、 自分の思う通りにならないのが普通だということ。 もし自分以外のひとが、自分の思った通りのことをしてくれたことがあったとしたら、 それは感謝すべきこと。 不幸なひとは、そのようなことは当たり前と気にも留めず、 思った通りのことをしてくれないことばかりが気に留まる。 そこには自分自身の傲慢な思い上がりがあることに気づくべきだと思います。 常に誰かに何かをしてもらうことばかり言っている人がいますが、 そういう人は、仮に自分の思い通りに動いてくれる誰かが現れたとしても、 今度は別の不満を見つけ出す。 幸せが目の前に転がっていても、見ようとしないんですよね。 「健康な身体があり、住む家があり、家族がいる。 与えられたものに感謝すべきでは?」と言えば、 「そんな当たり前のことに感謝できない。」と反論し、 「世の中にはもっと恵まれない立場の人もいるのでは?」と言うと、 「自分より恵まれている人もたくさんいる。」と言い返す。 「他人の役に立つことをすれば?」と言えば、 「自分のことで精一杯で、他人のことを考える余裕はない。」と言う。 まるで自ら幸せになることをかたくなに拒否しているかのよう。 いつか読んだ本にも書いてあったのだけど、 自分を不幸だと嘆いている人は、 「自分にも恵まれている点がある。」ということを認めてしまえば、 自分の人生がつまらないことに対して言い訳ができなくなってしまうのが怖いんですよね。 「私は容姿がみにくいから、愛されないのだ。」と言っておけば、 自分が愛されないことについて、 「自分の努力ではどうしようもないのだ。自分が悪いのではない。」と言い訳ができる。 「容姿が美しくなくても、皆から愛されている人はたくさんいるよね?」と言えば、 「そういう人は、優しい親に愛されて育ったからだ。 私は親に愛してもらえなかったから、自分に自信がもてないのだ。」 と、新しい「不幸の理由」を主張する。 「親に見捨てられても、立派に生きている人はたくさんいるよね?」と言われれば、 「そういう人はたまたま才能に恵まれていたからだ。 私には何の取り柄もないのだから仕方がない。」と、さらに言い訳をつくろう。 「自分は何も悪くない」ということを証明するために、 徹底的に自分を卑下するという矛盾したことをやっている。 自分を卑下するその心の奥底には、 他人に対する怒りや、本人の傲慢さがあると思います。 こういう人の中には、とんでもない人もいますよ。 例えば公務員。 民間企業で働く人にはとて考えられないことだと思うけれど、 自分自身で自分を不幸に追い込んでおいて(追い込んだ振りをして)、 精神疾患を理由に、給料をもらいながら長期休職を繰り返します。 そしてあちこち旅行を楽しんだり、スポーツを楽しみます。 習い事をして資格取得に励みます。 そして楽しいブログを更新しつつ、 時々精神疾患っぽいことを書いたりします。 ブログにはしっかりアフィリエイとのリンクが貼ってあります それで元気に快復して社会に貢献でもするのならまだましですが、 こういう人は何年たっても変わりません。 民間企業で必死に働いて税金払ってる人にはたまりませんよ。 ウツになって、家族抱えて、職にもつけない、 必死にコンビニでバイトしてる人にまわしてくれ。 こんな人が沢山いたんぢゃたまらない。 だからそろそろ、 自分自身の幸せを認めてくれ。 自分が一番不幸であるなら、もうとっくにこの世にはいないはず。 「不幸である理由」を数え上げればきりがないのと同じように、 「幸福である理由」も探せばいくらでも見つかるはず。 日常の中にも。 あなたの目の前にも。 こんなエントリーばっか書くから嫌われるんだろうなぁ(笑)。 けど本気であなたに幸せになってほしいと思う人は、 きれい事であなたに同調し、同情を言う人ではないと思うな。 不幸な人は不幸な人同士で群れるもの。 あなたも、 そろそろ幸せに。 あ、僕も・・・
自信ってなんだろう? 若い頃はなんの根拠もないのに、自信が漲っていたりした。 それは無知ゆえだとも思うけれど、 そもそも『自信』の根拠ってなんなんだろう? 自信=自分を信じるでいいのかな? 『信じる』ってことは、『疑わない』とか『正しいと思う』ことだよね? そうだとすると、 例えば、明確な根拠があって『正しい』ことが証明されているのであれば、 『疑わない』とか『正しいと思う』必要なんてなく、ただ『正しい』はず。 つまり、そこには『信じる』余地はない。 逆もまた同じで、 明確な根拠があって『間違っている』ことが証明されているのであれば、 ただ『間違っている』わけで、やはりそこに『信じる』余地はない。 じゃあ『信じる』というのはどういうことなのか?? 『信じる』ってのは、 『正しいかどうかわからないけれど、自分は正しいことにする。』 ってことなんだと思う。 じゃあ『正しいかどうかわからないけれど、自分は正しいことにする。』 ってどういうことなのか? 一般的には(客観的には)正しいかどうかわからないけれど、 自分的には(主観的には)正しいことにするってこと。 これが『信じる』ってことだとするならば、 『自信』を持つってことは、 『自分自身』を、自分的には(主観的には)正しいことにするってことになる。 つまり『自信』を持つためには、 主観でできた『自分自身』が必要ということになるね。 『自信』に『根拠』があったとしても、 それは『主観』なんだろうね。 『自信』=『自分を信じる』であり、 『信じる』=『正しいかどうかわからないけれど、自分は正しいことにする。』である以上、 『自信』は常に、『間違っているかもしれない』というリスク込みなんだね。 ただ、『信じる』ということに、 『間違っているかもしれない』を寄せ付けない『力』があるような感じが、 僕はするのだ。 |一覧| |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||