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テーマ:高校野球(3601)
カテゴリ:審判関連
明日の夜から遠征を始めますが、遠征をして勝利は見られるのでしょうか。
少々不安なところではありますが、長くてもいいので好ゲームをしてもらいたいです。 今日は試合を振り返りたくないのですが、トヨタ自動車次へと駒を進めました。 どうも僕が応援したり、好きになるのは社会人野球では中部地方が多いみたいなのですが、次の試合が27日ということで観にいけないですね。 その次に進めてくれるなら、見にいけるのですが東京ドームで観たいですからね。 さて、高校野球ですが中京大中京が決勝へと駒を進めました。 堂林もそうですが、河合はいいですね。県岐阜商の山田もなかなかです。 中継を見ますと、涙を流すわけですが熱闘甲子園で宿舎に帰った後、夕食のときとかに笑顔を見せてくれると気持ちが楽になりますね。 話変えますが、てっきり決勝の球審と思っていた長谷川さんが第二試合で球審したことで、「誰が球審をするのだろ?」という疑問が生まれました。 だいたい春した人や、数年ずっとやっている人がやるわけですが、昨夏で決勝常連の桂さんと赤井さんが引退されたので、次にいかないといけないですからね。 それで長谷川さんが選抜のときにしていたのですけども、林さんとか橘さん辺りになるのですかね。 委員幹事の方がやっぱりやられると思いますので。明日の朝刊に注目です。 さて、朝日新聞朝刊の高校野球のところを見ていますと、審判員の方の記事があります。 今日はそれを取り上げます。 「本当に幸せだった」 -甲子園22年・浜田審判引退- 春夏の高校野球の審判を22年務めた浜田正二さん(55)が都城商-中京大中京を最後に甲子園大会から退いた。「長いようであっという間。最後は涙が出てきました」。一塁塁審として右手をかかげてアウトをコールし、最後の試合を締めくくった。 78回大会(96年)決勝の松山商-熊本工では三塁塁審として「奇跡のバックホーム」を追った。「山なりの返球ボールと、真っすぐに本塁へ駆けていく三塁走者との競争。甲子園から音が消えた、と思った」。80回大会(98年)では延長17回を戦った横浜-PL学園戦や、横浜・松坂が無安打無得点試合を達成した決勝の塁審を務めた。 55歳になり、「思うように動きができなくなった」と引退を決意。今後は地方大会で球児たちを支える。「私も元球児。目指した甲子園で審判ができ、本当に幸せだった」と潤んだ目で語った。 去年も新阜さんの引退記事を読みました。浜田さんは去年は球審をしたのですが、今年は球審をしなかったです。 これは新阜さんもそうですが、今まで球審をしていた人が球審をやめる、やらないということは「引退」のサインなのかもしれないですね。 22年ということは最初出たとき球児だった人は、40前になっていますからね。 この間、色々な球児をグラウンドで観ていたでしょうね。 ときには控え審判として、控え室で観ていたでしょう。 こういう風にグラウンドに立っていると、数々の名場面にあったかと思いますが、夢の舞台に立てたことは幸せだったかと思います。 今後は地方大会で続けるということですが、お疲れ様でした。 でもこういう風に見ていると、いくら2時間でも炎天下に立っているほうが辛いのでしょうかね。 そうなると2軍の試合は辛いところもありますね。 ちょうど球審をしている方の姿を見ると、プロテクターをつけていないところが汗でびっしょりという光景を見ることがありますからね。 そう考えると、選手以上に大変な仕事ですよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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