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またまた、 私は迷ってます。
このブログを続けるべきかどうかに関してです。 あくまで未来の子供達のためという心からのある迷いなのですが。…。 セックスを深く考えるというテーマ自体奥が深すぎて、 その深いところから 迷いも生じてくるのです。 きょうは ちゃんと続きを書きます。 でも。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ きょうは、思い切って深くつっこんでみます。 わたしは、子供の頃、あるいじめで気もおかしくなりかけています。 (ある大人からのいじめです。) もととは人並みはずれて頑丈な体の 持ち主でしたが、 体もメチャクチャになり、何度も死にかけています。 喘息から気管支炎になり肺炎に発展し、そして何度も生死の境をさ迷 ったのです。 ある時は、右の肺胞が全部つぶれ、左の肺胞もあとわずかしか残って いない という事を医者が言っているのを聞いてしまったことがあり ました。 「あと、もって3日です。」という宣告とともにです。 あまりにも苦しいことは人間思い出せないものです。でも、たとえば その時、それでも苦しさに必死で耐えようとしていた事とか、最後の耐 える力が、親の愛というささえだったりした事とか、 そんなに苦しくても、ちょうどこれからこそ生きられえるとの物心つい たばかりの命にての死への恐怖のほうが大きかったこととか、 やがて家族愛をも断ち切られるようなあることが起こってしまった事 とか、 とうとう耐えることができなくなったのにまだ意識が残ってい る状態が続いたこととか、 それが どんなふうにもう1つのさらなくる苦痛を開いていったかとか は、 いまでも憶えていることなのです。 だからこそ解ることがあるんです。 苦しんだからといって、それがすぐ人間性とか、その成長とか人間とし ての優しさとかにつながるということはありません。 でも、ここまで極度の死の床の苦しみの世界からは、解ること、はっき り言えることがあります。 (よく自殺は最大の不幸だとか言われますが、そんなことありえませ ん。 詳しくはここでは話しませんが、なぜなら自殺できるんですから とだけ言っておきます。そんなもんじゃないですよ、人間の死の床のリ アリティーは、…。) 動物は、そこまでは苦しくない。 神経や脳が、動物の命の比ではない。 戦争とかの『あってはならなさ』とかも、それを知らずにはほんとの ことなんて解らない。(戦争のことは、私自身は戦後生まれですが、 直接に南京大虐殺に携わった人の話を聞いてますので、わたしのような にんげんこそ、 子供達に戦争のなにがいけないのか、その真実をつた える使命があると思ってますが、これも またのお話とさせていただき ます。) もちろん、動物だって神経はあります。人間にそのゆとりが生まれれ ば、やがては食べる対象ではなくかわいがる対象としてのみの関わりと なるのが理想でしょう。 でも私たちは 人間と動物との違いも良く「見つめられるように」な ってゆくべきなのです。 一方 同じ、子供の頃、 わたしは、 とある海辺の虚弱児施設にて、心もからだもすくわれた者 でもあるのですが、 そこでの おおらかで明るい先生がたの話や、友達どおしの心の交流 とかが、どんなに楽しかったかの話も書けば話の尽きないところです。 その施設の」消灯の時間に毎晩、放送室から流れてきたトロイメライ やユーモレスクなどの音楽が、 もしかしたら地獄をくぐってきたから こそだったのかもしれませんが、体中をつらぬき、胸の奥の奥にまで心 揺さぶられた記憶があるのです。 まるでわたしの魂、全いのちを貫くようなそこまで体や心に音楽が しみこんだ体験、 これも、それだけでは、子供の頃の無邪気な思い出のひとつにすぎなく もあるのですが、そこからはっきり解ることがあります。 動物には、そういう脳は無い。 ………。 やがて 大人となった私に、 ある時、大自然の中で背骨がそれ以上 に生きてる喜びを歌いだす体験もしていますが、 じつは、これが、セックスのエクスタシーの究極においても体の中に 起こる快楽の頂上と同じなのだという事も後に知ることにもなります。 はっきり言いますが、 ボッキしようが、挿入しようが、セイシャしようが、なんにも感じない セックスだってあるんですよ。 動物のセックスは、それに近いです。 でも人間のセックスは、生命の歌であり、そして、すべての人間性や 文化の源、ふるさとでもあり、 あくまで、この生涯の半分以上は大切なことなんです。 せっかくのその人生最大の宝物の世界が、中途半端な性描写の世界 や、逆に目をつぶって中途半端に人間のプライドをかかげる人達によ って曇らされています。 ネット時代です。 この機に、 みんなで セックスを 中途半端にではなく、深く考えよう。 未来の世界中の子供達が、希望という名の音楽を魂のそこから聴く事 ができますように、 というのがこのブログの目的なのです。 でも、 でも、 でも、 今 わたしは、また悩んでいます。 何故 しばらくこのブログは 途切れてしまったのか?その理由と 同じ理由が、むしかえしています。 もしかしたら、また ここで途切れてしまうかもしれません。 今、言えることは、 そしたら、 次に書き始める時には、今度こそ すべのその理由 から書き始めることになるでしょう ということだけです。 今の今は その理由も言えません。ご了承ください。 迷いに迷いつつ、 でも 人間ってそうしながらしか進歩してゆ けないのでしょうね。 ながくなりましたが、 ………………… 以上です。 │<< 前へ │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |