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野田カオリの今日このぎょろ。

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2011.03.20
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カテゴリ:カテゴリ未分類
このブログにたどり着いてくださったかたへ

こんにちは、野田カオリです。
みなさま元気ですか?体調はいかがですか?

今回の地震では大変なことになってしまいました。
でも、ご安心ください。野田家は全員無事です。元気です。
たくさんの安否を気遣うメール、ツイッターを通してのメッセージ
ありがとうございました。

地震の当日は、ETIC.のオフィスにいました。
阪神の震災を経験しているわたしはちょっとの揺れにも敏感で
すぐに机の下に身を寄せ、スタッフの手をとりながら、
ひたすら揺れが収まるのを待っていました。

収まった直後に、ビルから脱出し、すぐに子どもたちのもとに向かいました。
バス、そして、徒歩で品川に着き、小学校へ直行。
そこでようやく子どもたちの安全を確認できました。

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あれから1週間が経ち、今、私の頭の中は
被災地の支援のことでいっぱいです。

紙おむつも粉ミルクも自転車で回りながら探しています。
あかちゃん用品のなかでも手に入りにくくなっています。
だけど、こうやって実際に足を動かしていると
いろいろと気づくことがあります。

「小さい子どもを抱えた母親は、毎日こんな重たい荷物をもって買い物してるのか」
(ネット通販が普及したとはいえ、うちの近所ではよく紙おむつを
 ベビーカーにかけて歩いてる母親をよく見かける)
 とか

「避難所にいる母たちは子どもを抱っこしながら
 これらの荷物を抱えて移動しているのか」
 とか。

「母乳で育てたいのに出なくなった母がミルクを受取る気持ちは
 どんなにつらいのだろう」
 とか。

自治体によっては、個人での救援物資の受付もはじまりました。
寄付や、節電協力以外に何かできることはないか考えている人、
ぜひ、ホームページ等でお近くの自治体を調べてみてください。

地震直後は、やみくもに動かないほうがよいとされていましたが、
今は、物資輸送のルートもできてきているので、もやもやと考えるより、
1個でいいから、家になかで封を開けてない紙おむつやミルクがあったら
物を届けるために動いたほうがよいとおもいます。

私自身、そうすることで少しずつ冷静さを取り戻してきました。

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昨日はずっと、阪神の震災のことを思い出していました。

私がいたのは兵庫県の川西市。震度6弱と記録が残っています。

実家は11階建のマンションの6階部分。朝5時45分頃、
下からドーンと突き上げるような揺れで目が覚めました。
その直後、右と左に大きくブランコのように揺れはじめ、
寝ている布団の右側にあった洋服ダンスの扉は開いたり閉まったり、
反対側にあった整理ダンスの引き出しが、これまた飛び出し
今にも倒れそうです。そこでやっと「地震だ!」と気付きました。

4畳半のその部屋にはタンスが2つ。
それとテレビ台、学習机、上着をかけるようなハンガーラックがありました。
布団一組敷けば、スペースはなくなります。
(ちなみに納戸じゃないですよ。ちゃんと窓もあります。
 6人家族が3LDKのマンションに住んでたら、こうなりますのよ・笑)

その布団一枚しか敷けないスペースで、大きな揺れの中で逃げることなんて
当然無理なこと。布団を被ってじっとしているしかありませんでした。
ドン!と大きな音を立ててタンスが、テレビが、机が、布団の上に落ちてきたのを
感じました。布団というクッションがあったおかげで痛みは感じませんでした。

揺れが収まるのを待って、少しずつ身体をずらしながら出口を探しました。
幸い(といっていいのか)布団の両隣りにあったタンスが互いに倒れて、
少しだけ、ほんの少しだけスペースができてました。そこから何とか這い出て
妹や母が寝ている寝室に行こうとしました。

とにかく家じゅうのものがぐしゃぐしゃに全部倒れてます。
食器は全部割れて床は割れた陶器やガラスだらけ。
玄関も物でふさがり靴も取りだせなかったので、
割れたもので足を怪我しないよう、倒れた棚の板やテーブルの上を
つたいながら、寝室に行きました。部屋のなかは散々なものでしたが
家族全員、無事でした。けがひとつなく。奇跡です。

電気も、ガスも、水道もでませんでしたが、生きてたことに感謝です。
そのとき、家族全員が、震源地はこのマンションの真下だ!と思っていました。
ベランダから見えるヘリコプターが、どんどん目の前を過ぎ去っていく理由が
さっぱりわかりませんでした。神戸であんなことになっていたとは。

電気はその日のうちに戻りました。水道はたしか翌日には戻っていたかと。
ガスが戻るのは1カ月以上たった頃でしたが、近所の長屋の家屋は全滅していたし、
住んでいたマンションも大きなヒビは入ったものの、住めない状態ではありませんでした。
地震の翌々日から、大阪の会社にも出勤しました。無事を確認するためです。

当時勤めていたのは社員10人の小さな広告制作会社で、社員の3人が神戸に住んでいました。
彼らが住んでいた地域は、神戸の東灘区と長田区。被害が大きい地域だったので、
安否確認ができないでいました。
かといって、テレビや新聞で亡くなった方のリストを見る勇気もでませんでした。
地震から1週間ぐらいたってようやく全員の無事を確認しました。

だけど、看板製作でかなりお世話になっていた取引先の会社では
社長を残して社員全員が亡くなりました。たまたま寮が神戸にあったから。
社員だけじゃない、社員を含めた家族全員、ひとり残らずです。

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家でも、会社でも、テレビでも、とにかく地震の話題で持ちきりでした。

自分はどんなところにいたのか、誰が亡くなった、誰が怪我した、
家の中はどうなったのか、そこからどうやって避難したのか、
そこではどんな様子だったのか、道路や、町の様子、
自分の家が燃えていく写真を撮って見せてくる人もいました。

みんな大変な思いをしていることだけはわかります。

だけど、わたしも怖かった。
命があるだけでもありがたいのだけど、生活もままならない。
家のなかはぐちゃぐちゃで、なにから手をつけたらいいのかわからない。

なのに、大阪がなにもなかったかのように普通に時間が流れてる。
許せない。憤りを感じる。ふとした瞬間に涙がでてくる。
当時付き合っていた彼氏はテレビ局に勤めていたので、連日神戸入り。
お前の被害は神戸の何百分の1だと怒鳴られ、それっきり。

なんで、こうなっちゃうんだろう。みんな自分のことばかり考えてる。

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昨日、同じく阪神の震災を経験された
広告プランナーの佐藤尚之さん(さとなおさん)のコラムをみつけ
激しく納得したことがありました。

http://www.satonao.com/column/variety/shinsai.html

ごく一部分ですが、引用させていただきます。

ボクはどうしても眠れず、割れなかったウォッカをがぶ飲みしつつ、
やっと通じるようになった電話で暗闇の中いろんな人と話をした。
大阪や宝塚の知り合いに電話をしたが、
「こっちがいかに揺れたか」ということしか彼らは言わない。
みんな自分がいかに怖い経験をしたかばかり話す。

そうか、結局、災害とはごく個人的な体験なのだな、と理解する。
他人とわかり合うふりは出来ても、結局自分だけの体験なのだ。


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このブログの最初に、長々と私が地震の揺れを感じた瞬間から
その後の話を書きましたが、私にとっての震災はこれなのです。

亡くなった人が何人いたとか、怪我した人が何人いたとか、
火事で家を失った人が何人いたとか、高速道路がビルが倒れたこととか
そんなことは、自分のなかでの「震災」ではありません。
結局、ごく個人的な体験でしか残ってないのです。

これって、、、、
「妊娠」や「出産」や「産後」に
すごく似ているなと今朝気付きました。

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自分だけの体験を共有しあうことは悪いことではないし、
はけ口はあったほうがいい、けれど、わかりあえないこともある。

とても辛いことだけれども、
それは心のどこかにとどめておいたほうがいいと私は思います。

だけど、個人的な体験を乗り越えるには、
自分を支えてくれる人たちがたくさんいたほうがいい。
家族だけじゃなく、本当の意味での思いやりと節度がある
おせっかいな人たちの力も借りてほしい。

※この思いやりと節度あるおせっかいというのが難しいんだけど。
 要するに、空気読めてない人の支えを受取る必要はないってこと。
 時には断ることも自分を助けることになります。 

そしてやっぱり、最後は個人で乗り越えるしかない。
乗り越える体力をつけるために、
いま、いっぱい支えてもらえばいいとおもう。
支えてもらったぶん、あとから返していけばいい。

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今、このブログを読んでくださるのは、
もはやマドレボニータの関係者ぐらいしかいないとおもうので、
こんな形でスミマセンが、一緒に考えてほしいとおもって投稿しました。

被災地のために働きたい、動きたい皆さん。
やがて大量の人手が必要になります。
そのときに、手を上げられるような準備をしましょう。

読んで下さったかたありがとうございました。





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Last updated  2011.03.21 00:06:35
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