誰かとしゃべってないと死んでしまう人も・・・。
吉田紫磨子先生のブログを読んで、思い出した。そうそう、私の5年前の次女出産は聖母病院でお世話になったのでした。 選んだ理由は、保健センターの電話相談で。 「この辺で分娩できるのは聖母病院しかないですねぇ。」 と言われて。↑んな訳ないことが、後々になって判明(涙)聖母病院では、年間1000人以上もの赤ちゃんが生まれます。赤ちゃんの取り違え防止などのため、赤ちゃんは生まれたらすぐ、ほんとにすぐ!その年の生まれた順に通し番号がつけられます。「はい、野田さん。おめでとう!2003年の444番です。」「わ!不吉なゾロ目ですね~(笑)」と、後産の処置をしてもらいながらも、ジョークが吐けるぐらい余裕があったのですが、 ちなみに長女の時は別の産院で 「体重は1980gです。」と言われ、 「バーゲンかよ!」とつっこみ、 場の爆笑をかっさらった経験アリ。 笑いは、究極の状況で生まれるんですな。聖母病院でよかったな~とおもったのは、たくさんの産婦さんと触れ合えたこと。私は母子同室を希望していたのだけれど、次女も小さめの赤ちゃんで、すぐ体温が下がるため保温室から出せなく、やむなく母子別室となり、そのときにたまたま入った部屋が6人部屋。(8人だったかも)帝王切開の産婦さんや、母子別室を希望する産婦さんたちが集まる部屋で、これまたみんな、よくしゃべる。しゃべる。赤ちゃんがその場にいないと、元気な人は相当ヒマですし、元気じゃない人は、不安で一杯で誰かに気持ちを聞いてほしかったりで。まあ、とにかく食事の時は、いろんな話をしてました。(それ以外の時間は、全員、爆睡している・笑)全員、2人目出産というのもよかったのでしょう。人見知りな人はいませんでした。授乳室に行くたびに「行ってらっしゃ~い」と誰かしら声をかけ、戻ってきたら「どうだった?」と、聞き、家族が来れば紹介する。そんな暖かい雰囲気がありました。今、考えるとみんな産後ハイ、だったのかもしれないのですが、誰かに自分の言葉を聞いてもらえ、話したくない時はそっとしてもらえる環境はありがたかったな~。その分、退院してからが、すんごいツラかったですけど・・・。誰かとしゃべってないと死んでしまうのではないか?と本気でおもっていた、産後ハイ。あれからもう5年も経っていますが、この仕事をやっているおかげで、記憶が鮮明なままに残っています。