カテゴリ:旅の話
道歩いてたら刺されるかもしれない。
運転していたら撃たれるかもしれない。 電車に乗ったら脱線するかもしれない。 家で寝てたら崩れるかもしれない。 年金もらえないかもしれない。 明日核が降ってくるかもしれない。 そんなことを言い出したらきりがないと、良識者は言います。 前向きに考えなさいと。 まあ、言いたい事はわかりますよ。 非生産的な考えはおいといて、希望に満ちた人生が云々。 でもね。 俺がいつも無謀に突っ走れるのは、 それでも幸せだと断言できるのは、 かもしれない人生をいつも考えてるから。 「今が楽しけりゃそれでいいのか!?」 「もっと将来のこと考えてコツコツと....」 等々、声が聞こえてきます。 俺は問いたい。 「今は楽しくないけど、将来の事考えたら我慢するしかない。」 の『将来』を具体的に設定して下さい。 いつの事を言ってるのですか? 「もしもの時のために蓄えを...」 の『もしも』は、人生を賭ける程のもしもですか? 俺は日本人にとっては 大した社会貢献も、納税も、蓄えもしない まあ、駄目な人です。 ただ、 俺の言う『将来』と『もしも』は 常に想像可能な範囲内に設定してあります。 それを超える何かが到来したら、その時考えるというスタンスです。 最悪、人に迷惑かけなければ、奴隷でもホームレスでも社長でもアリだと思います。 まあ、そういうのは、せめて親が死んでからにしますけどね。 今は、 家族の手前、大切な方々の手前、 それなりに働く意思を示しつつも。 今何をしたいのか。何ができるのか。 それを考えています。 その結果、今すべき事、それは、 やはりゆっくり考える事。 焦らないで、先走らないで、ひたすら考える事です。 人間関係、家族、夢、罪過、等々。 金やなんかは、まあ適当にどうにかします。 もっと大局的な部分で、責任重大な26の夏。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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