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近所の空き地の都忘れです。空き地にこんなきれいな花を咲かせる人って、いいですね。NHKラジオ第2放送、古典講読の時間、五味文彦先生の「平家物語」、今週は巻1の最後の段「内裏炎上」と、巻2の「座主流」です。 あらすじを書きますが、これは五味先生のお話をもとに、私が解釈したものです。違っていたら文責は私ね。 山門の衆が、御輿を投げ出したまま山に帰ってしまったので、先例を上げて殿上の会議をし、今回は、刺さった矢は神人に抜かせ、祇園の社に入れることに。 今まで騒動はいろいろあったけれど「神輿射奉る事は、これ始めとぞ承る」。 山門の大衆が仕返しに来るとの噂があり、天皇も中宮も車に乗って避難された。 平重盛が直衣に矢を負って警護に当たった。 (突然ですが、大河ドラマの重盛役は、窪田正孝くんです。浪花の華、で若き日の緒方洪庵役をやって良かった~♪彼は、真面目な重盛役にピッタリだと思いますねん♪) その嫡子の維盛は、束帯に「平(ひら)やなぐひ」を背負って従います。(武士りんりん!) 山門では3000人が会議をして、京の都も根本中堂も皆焼き払って自分たちは野山に隠れようと決議。朝廷では山門の強訴を聞き入れようと決めて使いを送ったが、追い払われてしまいます。 そこに使いとして平時忠。(時子の弟?、滋子の兄、平家にあらずんば人にあらずと言った人。その時はまだ佐衛門督)彼は、大講堂庭に集まっていきりたつ大衆を前に、「暫く静まりたまへ」と言って懐から小硯と畳紙を取り出し、一筆書いて渡します。 「衆徒の悪は魔の所行。明王(天子)の制止を加えるのは善政の加護」 と書いてあって、それを読んだ大衆は、納得してそれぞれの山に帰って行った。 一紙一句をもって三塔三千の憤りを鎮めた、時忠すごい。 朝廷では約束通り強訴を聞き入れて、(加賀で白山の坊さんをいぢめた兄弟の)加賀守師高を解職、師経は獄につながれ、矢を射た重盛の部下たちも獄につながれました。 御神輿の騒動は4月13日 強訴を聞き入れたのは4月20日。 そして4月28日の夜半、京の東南の隅の樋口富小路から出火、折からの東南の風に吹かれて、御所も含めて、京の町の大半が焼ける大火となります。 平家物語では 「折節 巽の風はげしく吹きければ、大きなる車輪の如くなる焔が、三町、五町を隔てて、乾の方へすぢかひひ、飛び越え飛び越え焼け行けば、恐しなどもおろかなり」 以下には焼けたお邸の数々を。 この同じ大火を、鴨長明が方丈記で書いています。 当時の鴨長明は父の死にあい、賀茂神社から離れ零落していた頃であったらしい。 これも、加賀美幸子さんが読んでくださいました。 「火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして、一、二町を越えつつ移りゆく。その中の人、うつし心あらんや。或は煙にむせびて倒れ伏し、或は焔にまぐれて、たちまちに死ぬ」 鴨長明の「うつし心あらんや」は、平家物語にはないのですね。 そしてまた、平家物語にある 「(一時がうちに皆灰燼の地とぞなりにける。家々の日記・代々の文書・七珍萬宝・さながら塵灰となりぬ。その間の弊如何ばかりぞ」 の、文化的資産が失われた、、、の記述は、方丈記には無いようです。 今週も、その2に続きます。
挿し木のバラです。きれいに咲き誇っています。今朝、犬友と一緒にバラのきれいな家を見て回ったんだけど、特にきれいでゴージャスなHさんの家は、財力にものを言わせて、ガーデナーさんに管理してもらっているらしい。金持ちにはそういう手があったのか! 帰って来たら、挿し木でついた我が家のバラの何といとしいこと。 また今日は、二十四節気七十二候の「紅花栄=こうかさかう」の日だそうです。良いお日和になりました。 それとは関係ないけど、生活保護の話が盛り上がっているので、ちょっと憲法を。 第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 国の義務であるこの25条の精神を、今回の件をたてに、国が国民の権利を奪う理由付けにしそうで、やな感じ。 1903年に発表された、同志社に学び、新島襄、新渡戸稲造に傾倒した、児玉花外という人の詩をご紹介。 「失業者の自殺」 鬼こそ堪へめ、人なるを 長き苦しき労働に 身は青草の細くのみ 一たび肺を病みしより 血を吐き遂はるほととぎす 彼方こなたとさまよひて 今はすみかもあら悲し 血に啼き狂ふばかりなり 両国橋の欄干に 流るる水をながめしが 夜のかもめのともとなり 哀れや水に沈みけり 越中島の蘆の辺に 死骸(むくろ)は浮きぬ、そのあした 嗚呼、惨(いた)はしや聞くさへに これぞ働く人の果て。 大多数の庶民に人権なんてなかった時代から、近代日本は努力して、今の憲法を持つことができたことを、再確認したいです。 この人はのちに明治大学の校歌を作った人だそうです。
去年剪定をした枝を挿しておいたら、大きく育って花をつけました。品種はスーパーエクセルサ、といいます。元の木は、まだつぼみです。バラはこの品種みたいに、丈夫で花付きが良いのが、素人向けですね。ただ、満開の時には花が多過ぎて。 色を、薄いピンクか白にすれば良かったです。(ないかも) この色は、多分バラの本来の色なので、それで丈夫なのかも。 さて、大河ドラマで崇徳帝が人気です。 よく知らない人だったので、橋本治さんの桃尻語訳百人一首を見てみました。 *瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ という歌の作者です。 橋本治先生は、説明に 「退位して、崇徳院と呼ばれるようになったこの人は、悲運の天皇で、悲運の上皇です。 退位したのは、自分の父親である、鳥羽上皇や、関白をやっていた藤原忠通にだまされてのことです。だから、退位してから、こんな激しい歌を詠みました。 「われても末に逢はむとぞ思ふ」というから、恋の歌みたいですが、きっと違います。 「一度は退位したけど、またの機会だってある」と言っているように思えます。自分がもう一度即位するのか、または自分の息子を天皇にするのか。 でも、その願いはかなわなくて、崇徳上皇は保元の乱に巻き込まれます。 それは、崇徳上皇の軍隊と、関白忠通の軍隊の戦争でもあります。 その戦いに敗れて、崇徳上皇は四国の香川県へ流されます。そして、そのまま死ぬのです。」 ☆という解説です。へ~え。 そして、百人一首というのは、2枚の札がペアになっているんですって! 崇徳院のこの歌には、源兼昌という人の *淡路島かよふ千鳥のなく声に いくよねざめぬ須磨の関守 という歌がペアなのだそうです。 この作者は、関白忠通の所にも出入りしていた、当時の有名歌人なのだそうです。そして、この歌には源氏物語で、源氏が須磨に流された時の本歌があるのだそうです。 *友千鳥諸声に鳴く暁はひとり寝覚めの床もたのもし 千鳥の声を聞きつつ起きるのもいいもんだ、という感じ。 橋本治先生は 「しかし、それが崇徳院の歌とペアになるとどうでしょう。須磨の対岸は淡路島。でもその向こうには、崇徳院の流された四国の讃岐があるのです。 この「須磨の関守」は、なんでそんなにも眠りが浅くて、千鳥の声のなにが気になるのでしょう? 歌の内容を超えて、まるで讃岐に流された崇徳院のことを気遣っているように思えてしまうのは、和歌の配置のせいですね。」 ☆と、橋本治先生は書いていらっしゃいます。 今度の日曜の平清盛は、いよいよ保元の乱の悲劇ですね。
ツルバラのミミ・エデンです。テレビで、バラの害虫よけに、ハーブと一緒に植えれば殺虫剤がいらないと言っていたので、ミントと一緒に植えてみました。結果は、青虫に葉っぱは食べられ、ミントの勢いにバラは青息吐息。花も、小さくて今年は失敗です。 こののち、ミントをみんな抜きましたが、根のはびこり方は、尋常ではありません。害虫はやはり、お箸でつまむのが一番のようです。 カップ咲きの可愛いミミ・エデンなのに。我が家に来てから、まだ一度もよい花を見ていません。 さて、なかなか体質改善できない東京電力ですが、そのすごい利益構造が明らかにされました。 電気料金の値上げの妥当性を検証する「電気料金審査専門委員会」が、東電など全国の十電力の収益構造を明らかにしたそうです。 東電の場合 電気の販売量は、家庭向けが38%、企業向け62%。 利益は、家庭ぶん91%、企業からは9%。 目を疑います。誰も知らないままにぼったくられていたやんけ! 企業向けの電気料金は自由化されていて、電力会社は自由に金額を設定できるのだそうです。 家庭向けは、電力会社がそれぞれの営業区域で販売を独占。料金も、発電にかかる費用に利益を上乗せできる「総括原価方式」に守られているので割高になるらしい。 それにしても、この割合にもびっくりだし、今まで問題にもならなかったことにびっくりです。 関西朝日放送おはようコールでの二木啓考さんは、 「一般企業は売り上げ-コストが利益になり、競争のため売り上げ(価格)を上げられないのに、電気料金は独占企業で上げられる、これを二木さん、電力会社は悪代官といい、一般の家庭(農民)から年貢を取り上げ、越後屋(企業)には甘くする」 越後屋と悪代官の癒着を断ち切らねば!
三年前に、挿し木したスイカズラです。枝を折って地面に差しただけ。今年初めて花をつけました。これも、葉っぱの数と同じくらいいっぱいの花。スイカズラは、忍冬ともいい、西欧では庭木として好まれているみたいだけど、日本では薮の中で高い香りを放つ、という待遇のような気がします。 この花の香りが好きなので、ぜひ欲しかったのですが、友達の話だと普通の庭では大きくなり過ぎるらしい。フェンスの所に植えましたが、我が家ではフェンスには何も這わせない、という不文律があるので、今後を考え中です。 今日は、太極拳の老人講座に行きました。 ニイハオ!シェシェ! がごあいさつ。 今日習ったのは「手揮琵琶」の形で、琵琶を抱くポーズなんだけど、左手で敵をおさえつけ、右手でのど輪でしめあげる、、、というポーズね。 太極拳で思い出したのですが、以前(20年近く前)スカイツリーの地元の墨田区のおばばたちと交流したことがありました。 おばばたちが自慢して言うには 「墨田区は区民サービスが行き届いている。太極拳も絵手紙も、詩吟も、みんな無料で受けられるのよ。皆で区に要望書を出してやるようにしてもらったの」 「へ~え、さすが東京」 「東京でも区によっていろいろよ。住民サービスは墨田が一番進んでるの」 という話でした。自分たちの要求運動でかちとった、という誇りまんまんな感じ。 他の区の様子なども、いろいろ調べているようでした。 千葉ではどうかなあ、今でこそ、無料の講座を受けられるのですが、「そういう講座があるから受ける」 という程度の受け止め方かも。 木更津の友達は、この春から、1回800円で太極拳教室を受講し始めました。 「千葉は無料のがあるよ」 と言ったら、 「へ~え、いいねえ、さすが千葉」 と言っていました。 ツアイチェン!
エゴの花が沢山咲きました。葉っぱと同じくらい花がついています。ずっと前にNHKの趣味の園芸のコラムに、この木には毒があり、実にも毒があるのだが、ヤマガラだけはこの栄養分豊富なナッツを好んで食べる。と書いてあったので、秋になるのを待って注目していると、ヤマガラ夫妻がやってきて、毎日啄んでいました。 どんな実なのかと思って5個ほど取って来て、ナイフで切り裂いたら、全部の実に、蜂の幼虫が入っていたのです。蜂たちは、蜜を吸いつつ、卵を産みつけていたみたい。 このエゴの木の印象的な風景は、立原道造の足跡を訪ねて、結核の彼が1939年に亡くなった、東京中野の療養所に行った時です。 季節はほんとに今くらい。 何本ものエゴの木が、木全体が真っ白になるくらい花をつけていました。 さて、20代半ばで亡くなってしまった彼の作品の中で、どれかを書き記してみようと読んでみたけど、あの日、あんなに好きだったのに、今は、どれもが気恥ずかしくて書けないわん。 心にうるおいがなくなってしまったのか、ゆとりがなくなったのか。また行きたいな、立原道造の愛した信濃追分。 では、一つご紹介。 「ひとり林に」 だれも見ていないのに 咲いている 花と花 だれもきいていないのに 啼いている 鳥と鳥 通りおくれた雲が 梢の 空高く流されて行く 青い青いあそこには 風が さやさや すぎるのだろう 草の葉には 草の葉のかげ うごかないそれの ふかみには てんたうむしが ねむっている うたふやうな沈黙に ひたり 私の胸は 溢れる泉! かたく 脈討つひびきが時を すすめる
紫ランです。昨日の大河ドラマ、平清盛、保元の乱の前夜で、いろいろな人々の動きをはしょってありました。詳しく書くと人々が混乱して「面白くない!」なんて怒るからでしょうか。 でも、清盛と義朝がそれぞれ妻子を安全な所に疎開させたのなんて、良かったですね。 常磐さまの上の子の今若?は、(1192)いい国作ろう鎌倉幕府ののち、頼朝の子の頼家に、謀反の疑いありとして殺されてしまうらしい。 すごい歴史。 また、池禅尼の宗子さまは、崇徳上皇の皇子、重仁親王の乳母だったので、身を切られる思いで、天皇側につく清盛を支持したのだと思います。 崇徳上皇は、破れたのちに四国に流され、地元の人たちと交流しつつ、けっこう楽しいその後を過ごしたみたいです。井浦新さんに、四国での日々も演じてほしいなあ! 昨日は、のちの弁慶になる、ちりとてちん、のそうそう兄さんも出ていましたね。比叡山から下りて来たのでしょうか。 ではラジオの古典講読「平家物語」の続き「御輿振」 通常の手続きをしても裁断が下されないので、強訴をしようと怒って比叡山を下りた神輿で町があふれかえるような騒ぎ。 ♪神人、宮仕、しら大衆、専当満ち満ちて、いくらといふ数を知らず♪べべんべんべん そこで、源平の両大将にこれを防ぐよう命令が下ります。 平家は、小松殿重盛が3千余騎で大宮表の、陽明、待賢、郁芳の3つの門を固めます。 (情報によれば、1騎には10人以上の人がつき従っているので、大人数らしい) また、宗盛、知盛、重衡、伯父さんの頼盛、敦盛、経盛などは、西、南の門を堅めています。 源氏は、頼政が3百余騎で、北の門を堅め増す。 大衆は、ここが無勢だということで、北の門から入ろうとします。 そこに頼政は急いで兜を脱ぎ、手水うがいして、神輿を拝み、兵達も従います。 頼政は、渡辺の唱(となふ)を使者に立て、大衆の中に向かわせます。 ♪唱その日の装束には、きぢんの直垂に、小桜を黄に返へしたる鎧着て、赤銅作りの太刀を佩き、二十四さいたる白羽の矢負ひ、滋藤の弓脇にはさみ、兜をば脱いで高紐にかけ、神輿の御前に、かしこまって、 「しばらく静まられ候らへ。源三位より、衆徒のおん中へ申せと候らへと、、、」 べべんべんべん♪ 要するに、こんな手薄の所を突破したら、京の童たちが後世もずっと悪口をいうと思うので、平家の方へ行ったほうがいいと思いますよ。 という使者。 大衆が、どうしようと相談していると、ある人が、頼政は源氏の正統であり、文武にすぐれた男であって、近衛の院の折りの歌会に「深山の花」という題が出て、人々がなかなか読めなかった時に、この頼政の卿が *深山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり という名歌を作ってたいそう褒められたこともある。 という話もあって、数千人の大衆は、先陣より後陣まで、すなおにその場から立ち去った。 そして神輿は、待賢門から入ろうとしたが、平家の武士たちに矢を射られ、御輿にも当たり、神人も射殺され、衆徒の多くは傷を負って、御輿を放り出して、大衆たちは泣く泣く比叡山へ帰って行きました。 というのが、「御輿振」でした。 これにより、山門の呪詛は恐ろしいという時代から、武力こそ威嚇の実力がある、、、という時代に変わって行くらしいです。
バラのオレンジバニーちゃんが咲きました!今週のNHKラジオ第2放送、五味文彦先生の平家物語は、「鵣川合戦」「願立」「御輿振」でした。 院政の時代の問題点を挙げています。 白河院は 「賀茂川の水、双六の賽、山法師」と、制御出来ないものを挙げていますが、法師達の「山門強訴」の恐ろしさを。 鵜川合戦は 「北面は上古になかりけり。白河院の御時、始めおかれてよりこの方、、、」 少年の時から仕え育ったり、院の近くにいたために、北面に仕える位の低い者たちが、人々の訴えを院に伝える役になり、やがて成り上がってきて、謀反に加担するものも現れてきた。 信西の従者で、平治の乱に連座して出家した西光、西景の二人は、出家後も院の御倉預かりをしている。 その西光の子に、師高というものがいて、なかなかの切れ者で加賀の守になった。その弟の師経は、鵜川の寺に乱暴を働き、兄弟が結託して配下の一千余騎で寺に火を放ち、合戦のもとになったのが、鵣川合戦。 鵜川はは白山の末寺だったため、白山三社八院の大衆(だいしゅ)二千余人師経の館を襲う。 しかし、大衆は、力及ばず撤退し、山門を通じて朝廷に訴えることとなり、比叡山に集結します。 山門は、加賀の守師高を流罪に、師経を禁獄にと訴えたが、なかなか沙汰がおりません。 山門の訴えは、時に道理に合わなくても呑んだ歴史があり、 この件については 「大臣は禄を重んじて諌めず、小臣は罪に恐れて申さずといふ事なれば、各々口を閉ぢ給へり」 と、誰も関わろうとしなかった、、、。 次の「願立」は 白河院の時とは関係ないが、当時の人たちにとっての山門強訴の恐怖を語っているそうです。 その昔、美濃の守の源義綱(八幡太郎義家の弟)が、比叡山の修行僧を殺害した時のこと。 この時、日吉の社司、延暦寺の寺管など三十余人が上申したのだが、後二條の関白が命じて、八人を射殺し、十余人に怪我を負わせた。 山門では、日吉の神輿を根本中堂へ上げ、その前で後二條関白を呪詛した。 結願の夜、鏑矢が音を立てて王城を指して飛んで行く夢を人々は見た。 翌朝、関白の邸の戸を開けると、山から取って来たばかりのような、露に濡れた樒の一枝が立っていた。その夜から、関白は山王の咎めを受け、重病の床についた。 その母は嘆いて、日吉の神社に願をかけ、身をやつしてさまざまな方法でお祈りしたので、一応は治ったのだけど、3年ほどたって四十歳前に亡くなってしまった。 平家物語は、人に聞かせるための作品のようですが、加賀美幸子さんの朗読が、名調子になってきました。 ♪北国の方より雷おびただしく鳴って、都をさして鳴り上り、白雪くだって地を埋み、山上洛中おしなべて、常緑(ときは)の山の梢まで、皆白妙にぞなりにける♪べべんべんべん♪ ちょっとおかしかったのは、裁定を下す時に、みんな無責任で 「大臣は禄を重んじて諌めず、小臣は罪に恐れて申さずという事なれば、、、」 という所。今の日本のトップにそっくり。 さわらぬ神にたたりなし、、は日本の伝統芸かいな。
今年は公園のエゴの花が沢山咲きそうです。隣に12階の建物が建ってしまって10年くらいかな?この場所はちょっと強い風が吹くと強風になります。強風の時は暴風になり、大きなエゴノキも咲いたり咲かなかったりします。 その実には、なんとかという小さな蜂が卵を産みつけ、秋の実りの時期には、ナッツは、ヤマガラ夫妻の貴重な栄養源 になるのですが。 この花の印象的な思い出は、立原道造がいた中野療養所の庭です。まだあるかな? さて、時は移り、裁判員裁判精度も3年経ったのだそうです。 今日の東京新聞では、歓迎的な周防正行さん。「それでも反対」という意見は斎藤貴男マイラブ。 周防さんは、法廷が分かりやすくなった。また「疑わしきは被告人の利益に」という基本を、裁判ごとに裁判員に話すことにより、裁判官にも再確認になる。 など、利点を挙げておいでです。 マイラブだからじゃないけど、私は斎藤貴男マイラブの意見に賛成です。 「裁判員経験者の95%が「良い経験だった」と答えているが、彼は「危惧してきたことが表面化してきた」と批判的。 本文では 「普通の人が国家権力と一体化して裁くことはリンチになると、開始前から唱えてきた。 被告にとっては、市民の多数決で裁きを受けることで「世の中から全否定されてしまう」。 そして「いい経験だった」という多くの裁判員の声こそ、「市民が国家権力にコントロールされている表れだ」。と強調する。 「くじで選ばれた素人が、プロの裁判官に反論するのは難しい。結局、官に都合のいい判決を言わされているだけではないか」 (中略) (えん罪防止は、再審制度を充実することで対応すべきだ) 「市民参加という言葉に乗っかって、実は操られていることに気づいてほしい。自分にはできないと思うのなら、断固拒否し、裁判官の意見に異論があれば、躊躇せずにぶつけてほしい」。 ☆そう、斎藤貴男マイラブは語っているそうです。 この3年間で、裁判員をした人は、2万8074人!だそうです。 そして、判決を言い渡された人は3690人。 うち死刑が14人、無期懲役が76人、無罪が17人。 すごい数ですね。何がすごいかはよくわからないけど。
貰った花束を挿しておいたら、大きく育ったバラです。なので、名前がわからないのです。今はまだ一つですが、オレンジから黄色くなってスプレー状に沢山咲いてきます。これから高温多湿の気候なので、挿し木の成功率が高いです。みな様も如何ですか。 全然難しくはありません。地球にズブっと挿すだけで根を出します。 さて、今朝の東京新聞の一面は楽しいビール半額、ワイン無料のサービスの記事でした。人寄せに四苦八苦している商店街のヒントになるかも。 「脱原発をアピール」「商店街に経済効果」という見出しで、 リード文はこんな感じ。 「デモの参加者はビールを半額ーー。飲食店などによるこんな試みが、東京都杉並区周辺で始まっている。名付けて「デモ割」。大勢が集まることで「騒がしい」と迷惑がられることもあるデモだが(先日、うるさいという投書があったんです)経済効果としてとらえようと、デモと地元を愛する女性たちが、店に強力を呼び掛けて実現した。」 んだそうです。 5月6日の脱原発杉並デモでは、高円寺、阿佐ヶ谷などの20店舗が「デモ割」に参加。 飲食店では「デモに参加した」というお客さんに、割引やお通し無料などのサービス。 考え出した二人の女性は 「デモを応援してくれる店と参加者をつなげることは、お金の流れを自分たちの手に取り戻すことにもつながる」と考え、 「お祭りの時のように、店がデモに合わせて屋台を出してくれるような関係になれれば」 と。 デモ割りでビールを半額にしたカフェの店主は 「ぼくらの時は、打倒、反対ばかり。今のデモは何かを作って行こうとして励まされる」と話しているそうです。 参加店の中には、ワイン一杯無料の期限を 「廃炉まで」としている所もあるそうです。 脱原発も地域から発信して、地球に根ざしていきたいものです。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |