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今日が何の日か、正式名称が分からなかったけど、カレンダーには「終戦の日」と書いてありました。昨日は、それに合わせてTBSで倉本聰さんの「帰国」というドラマを放映していました。BSの7で、ゲゲゲの娘の進行する「水木しげる」を8時から10時までやっていたので、それを見てあまりちゃんと見られなかったのですが、ちょっと類型的かなあという感じ。
先日、大沢悠里さんの番組で、倉本聰さんが来ていて、このドラマは「特殊な人ではなく、普通の人たちに見てもらいたい」と語っていたのが、ちょっとひっかかったのです。「特殊?って右翼?それとも、、」と。 普通とは、意思を持って分析したりしない方がいいということか??? 英霊が靖国神社の前で、夜にしか参拝できない政治家の姿を見て嘆き「なぜ国を任されている人たちが正々堂々と参拝できないんだ」「あの中には指導者たちも祀られているからという理由らしい」。 そこから深まらない。 また、英霊のビートたけしが好きだった、浅草の踊り子だった母の死を知ってほっとした石坂浩二の官僚が、妻にメールする内容も、類型的過ぎてありえな~い! 髪の毛も兵隊さんなんだから丸刈りにしてほしかったし~。 そうそう、水木しげるの番組(3年くらい前の再放送)では、自分のために作った水木家の墓と、それを作った石材店が出ていました。石屋さん(しげる氏が日本のミケランジェロとおだてたらしい)はもう亡くなっていますが、息子さんが墓の設計図を出して来て「家宝です」と言ってました。 今日は終戦の日。東京新聞では、戦後65年として、「天性の詩人・竹内浩三」を載せています。 竹内浩三は 「1921年5月、三重県宇治山田市生まれ。映画監督を志し、40年に日本大学映画科入学。 42年に創刊した同人誌「伊勢文学」などに、みずみずしい詩や小説などを残した。戦死公報によると45年4月9日、フィリピン・ルソン島のバギオで戦没。23歳だった。」 生きていたら、どんなに多くの作品で私たちを楽しませてくれたでしょうか。 では、竹内浩三の詩「骨のうたう」 戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ 遠い他国で ひょんと死ぬるや だまって だれもいないところで ひょんと死ぬるや ふるさとの風や こいびとの眼や ひょんと消ゆるや 国のため 大君のため 死んでしまうや その心や 白い箱にて 故国をながめる 音もなく なんにもなく 帰っては きましたけれど 故国の人のよそよそしさや 自分の事務や女のみだしなみが大切で 骨は骨 骨を愛する人もなし 骨は骨として 勲章をもらい 高く崇められ ほまれは高し なれど 骨はききたかたt 絶大な愛情のひびきをききたかった がらがらどんどん事務と常識が流れ 故国は発展にいそがしかった 女は化粧にいそがしかった ああ 戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ こらえきれないさびしさや 国のため 大君のため 死んでしまうや その心や ☆彼は43年夏、筑波山麓に新設された滑空部隊に転属。小さな手帳を軍装にしのばせて日記をつけます。44年の元日から1日も休まず2百余日間。 この「筑波日記」は、姉の松島こうさんが送った宮沢賢治の本に埋め込まれて返送されます。 45年4月9日、フィリピンで戦死した浩三の骨は、姉のもとへは戻って来ませんでした。 彼の思いをもっともっと多くの人たちに伝えていきたいですね。若くして死地に追いやられた人たちを、思い起こすことが大事な終戦の日です。 という意味で、「帰国」良かったかもね。
薔薇様、暑いですねーなるべく冷房はよそうと思いますが
先日、頭痛くなってきたのでやばいやばいとつけてから、結構依存しています。 クーラーの室外機から出る熱風もまた、外の温度をあげているのだろうな、、と思いつつ、気持温度を低めで使用しています。 帰国は、見ませんでした、夫が見ていたようです。 夫にはよかったようです。 ここのところ、祖母の父親のことg(2010年08月15日 19時00分19秒)
が、思い出されています。
やはり、思い出すことは大事なのですよね。 実家にいって過去帳をみて、名前を確認してきました。 「くものじゅうたん」の中条静雄に似ていたそうで、あのドラマを観て、祖母は、よく泣いてました。 祖母の家は祖母以外、男ばかりだったので戦争に行った人が何人かいました。一人はなくなり、一人は満州に行ってなかなか帰ってきませんでした。 陸軍大学校を出ていたので、終戦時に向こうで処刑されたと思っていたら、ずいぶん後に帰ってきたそうです。 シベリア抑留ではなく、中国で毛沢東軍に加わって国民党軍と戦っていたそうです。 うちのなくなった父と思想上に反駁するところがあったようで、家に来るといつも議論になるので、私はこの大叔父さんがくるのが子どものころ、とても嫌でした。 でも今思えば、いいあいをしながらも一緒にお酒を飲んでいたので仲がよかったのかな、、と思います。 (2010年08月15日 19時17分32秒)
milkのmamaさん
暑いですね。今日はたまりかねてエアコンをつけてしまいました。 ご実家は、あのかっこいい家紋の家ですね。どの家にも戦時中の記憶がまだあるのですね。 戦争中の記憶は、ひとつには若い日のドラマチックな冒険譚にもつながるのでしょうか。中国に残った人たちは、帰国してからは差別を受けて大変だったようです。 (2010年08月15日 21時55分40秒) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |