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カテゴリ:芭蕉の紀行文をよむ
鳩の森八幡さまの枝垂れ桜です♪後ろは富士塚。 NHKラジオ古典講読の時間、今年度は「芭蕉の紀行文を読む」です。 昨年度は1年間かけて「おくのほそ道」を読んだのですが、今年は「ほそ道」に至る芭蕉の紀行文の格闘を追っていくらしい。 芭蕉は「ほそ道」では、何を書くべきか、何を省くべきか考えながら書いたらしい。 手紙も頻繁。 以下こぴぺ。野生=自分をへりくだる男性の一人称。 『 元禄2年(1689年)3月23日、芭蕉は美濃の落梧宛に手紙を書いている。 「26日(当時の旅は早朝出発で、夜があけていない場合は前の日と考えられた)深川を発つ。陸奥、三越路には風流歌人もあれかし」と書いてあり、その出会いを求める人の中には、時空を超えた、実方、能因、西行も含まれるという思いでほそ道の旅に出たのだそうです。 昔、貫之は歌人でありながら土佐日記も書いている。 芭蕉が文章に力を入れるのは 漢詩・・・・漢文 和歌・・・和文 があるように俳諧も同列に置きたい、という意図があったため。芭蕉以前にも、旅をする連歌師は紀行文を残しては、いた。 宗長は、道記(みちのき)を残している。伊勢の塩屋の浜の夕べの様子を書き *この夕べ花ももみじもあるものを浦の苫やの人の心に ?と、定家の*見渡せば花ももみじもなかりけり浦の苫やの秋の夕暮れ を引き、宗長は景色より美少年に心引かれる、、、と書く。 野野口立圃(1595~1669)(松永貞徳の弟子)は、1658年、東山花見記を書いている。 花の頃は貴きも卑しきも見歩くことに夢中、というような文章に業平の世の中に絶へて桜のなかりせば春の心はのどけからまし、を引いて、 *古き歌や花の名所の道しるべ という句をつける。 談林派の西山宗因は、1663年の「奥州紀行」の書き出しに、「ここに一人の翁ありけり。・・・・」から自分はこういうものだ、から旅の思いを連ねて、これはすでにほそ道のパターンが出来ている・・・かも? こうした伝統に続き、芭蕉も文章を書く。 寛文12年(1672年)伊賀上野の菅原神社に奉納した「貝おほひ」の判事も俳文的なものがある。貝あわせに合わせた題名で、二つの句を並べて評価する。その2番は *紅梅のつぼみやあかいこんぶくろ 左 勝 *兄分に梅をたのむやちご桜 右 というようなもの。これに芭蕉の判事文がついている。江戸に上り深川に居を構えて書いた「笠やどり」は、笠づくしから展開して自分の笠~自分自身へとつながるもの。 =坡翁 雲天の笠の下には 江海の蓑を振る。 無為の巷に、雨やどりし給ふめる、西行の侘笠、 哀に貴し、鶯のぬふてふ梅の、花笠は老いを隠して、 妹があたりのしのび笠、行過兼て、笠やどり、 ひぢ笠の雨に打そぼつ覧、みかさと申せ。 蓮の葉の笠、いさぎよし、此笠は是艶ならず、美ならず、ひとへに山田守りし案山子の 風に破られ雨に痛めるがごとし。 笠の主も又、風雨を待て、情尽る而己。 *世にふるは更に宗祇のやどり哉 ★旅の象徴である笠を、中国の楚東坡や日本の西行の笠などを示して、自分もそのような「わび笠」につながろうという思いを表している。そして宗祇の *世にふるもさらに時雨のやどり哉 に倣った句をつけてある。 ★今週はこういう感じ♪
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最終更新日
2015.04.28 09:36:43
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